フランツが放った風の針が、音を立てて木に突き刺さる。
タイミングを見計らった柚が木の陰から飛び出し、右手が地面を叩き付けるように地下の水脈を刺激した。

大地に亀裂が走り、噴噴き出した水が次々と鋭利な刃となってフランツに襲い掛かる。
その衝撃に吹き飛ばされるように空に舞ったフランツが、空中でふわりと宙返り、その動きとは対局な俊敏な動作で両手を薙ぎ払った。

空気を切り裂く音が耳に届く。
風がかまいたちの刃となって森を震撼させる。

木の葉が舞い散り、土埃が巻き上がった。
木からは枝が毟り取られて舞い上がり、幹に爪あとを残す。

水の結界で攻撃を防いだ柚は、木々を抉る爪あとに一瞥を向けた。
そちらに気を取られた柚の間合いに、滑り込むようにフランツが潜り込む。

フランツを見下す柚と、見上げながら腕を振り上げるフランツ
振り上げようとしたフランツの腕が、後ろから巻き付いた水にぐいっと引き寄せられる。

二人の間で、唸るように互いの力が衝突した。
風と水が混じり合い、反発し、爆発するように砕け散る。

弾き飛ばされて離れたフランツは、枝に掴まりながら木の幹に足を付き、「くっ」と喉を鳴らした。

反撃の態勢に入った柚の指先で、リング状の形をした水の刃が回転している。
柚が上体を捻った反動を付け、水の刃を放った。

木から飛び退いたフランツを追って放たれた攻撃は、意思を持ったように木々の間を縫ってフランツを追い掛けていく。

後からフランツを追い掛ける柚は、水で作った足場に足を掛けて空へと駆け上った。

枝から枝へと飛び移りながら振り返ったフランツは、はっと急ブレーキを掛けて強引に体制を変える。
目前を地中から伸びる水の刃が貫き、背中から落ちていくフランツを、二撃目が別方向から襲い掛かった。

一瞬風を纏って跳ね上がるようにかわしたフランツのすぐ横を、水の円刀が掠めて木に突き刺さる。

フランツは力のキャパシティーが少ない。
力を無駄遣いしないように、誰よりも上手い力配分とコントロールを行なう。

同じ属性でもキャパシティーのあるガルーダは、風を纏って鳥のように空を"飛ぶ"が、フランツは"跳ぶ"だ。
体中のありとあらゆる場所に自在に風を出現させ、空中であろうが何処であろうが、空を舞う木の葉のようにひらりひらりと空を舞うのだ。

空中で向きを変えたフランツを、再び掠めるように水の刃が走る。
フランツがかわした方角から、体勢を立て直す暇も与えずに走る攻撃

フランツが攻撃をかわせばかわすほど、木々の間に氷柱のような水の刃が張り巡り、蜘蛛の糸のように追い詰め、逃げ場をなくしていく。

「くっ!」

フランツの針が水を砕いて逃げ場を切り開き、絡み合う水の刃を足場にして、空へと体を押し上げた。
空に逃げたフランツが、空で待ち構えた柚の行動を見越していたように見上げる。

柚が左手を翳した。
同時に、フランツが針を放つ。

フランツが放った針は、柚が足場にしている水のブロックを貫通した。
水が溢れ出し、柚の足元が崩れ落ちる。

「うわぁ!?」

落下した柚が恨めしそうにフランツを見上げると、ちょうど昼を知らせるサイレンが基地に響き渡った。
フランツは軽い足取りで着地をして、苦笑を浮かべながら柚に手を差し出す。

「そんな目で見ないでくださいよ。だって、柚の注意は爪先までにしか行ってなかったでしょう?あんな攻撃で崩れるほど足場の強度も疎かでしたし。あの攻撃は結構焦りましたが全体的に雑で、後半になるほど威力にもバラつきがありました。ついでに言うと、柚自身が攻撃に集中しすぎてて、僕が上に出て行くギリギリまで無防備でしたよ。もし二対一で戦っていたとしたら、柚はあっさりやられてます」
「今回はフランだけだったもん……」

柚が口を尖らせる。

「そうですね。でもその思い込みに裏切られる事だってありますよ」
「うぅ……今日は勝てると思ったのに」
「発想は良かったと思いますよ。あれを完璧にやられたら、僕もどうなるか分かりません」

穏やかな口調で諭すように告げていたフランツが、「でも」と付け加えた。
向けられた眼差しが真剣そのもので、そこに躊躇いや情は一切ない。

「僕もそう簡単には負けませんから」

フランツにそんな言葉を言わせるくらいには、成長しているのだろうか?
フランツを見上げた柚は、ぼんやりとそう思った。

「……うん」

柚は頷きながら、フランツの手を取って立ち上がる。

少し離れた場所では、一人呼吸すら乱していないハーデスを他所に、立ち上がる気力も失せている焔が大の字に寝転んでいた。
そんな焔を柚がからかっていると、近くの東屋でお昼の準備を終えたシェリーが戻ってくる。

シェリーは、訓練を終えた四人にタオルと冷えたスポーツドリンクを手渡した。

「今日の訓練は終わりだ。柚と焔は、くれぐれも午後の講義に遅れるなよ」

去って行く際に念を押したジョージの言葉に、柚と焔は気のない返事を返す。

シェリーとお昼の話をする柚と、一人別の場所で食べようとする焔を引き止めるフランツ

その光景を見ていたハーデスは、視線を足元に落とす。
ゆっくりと柚に歩み寄り、声を掛けた。

「俺も行くね」
「え、ハーデスまで行っちゃうのか?せっかくだし一緒に食べようよ」

柚がハーデスの手を掴む。

驚いた面持ちで、ハーデスは掴れた手首へと視線を落とした。
そして、おっとりとした面持ちでこくりと頷いて返す。

「……柚がそう言うなら」

特に会話もないが、互いににこにこと笑みを浮かべながら並んで歩く柚とハーデス
フランツは首を傾け、口を開いた。

「柚はハーデスが好きですね」
「うん、だって一緒にいると落ち着くんだ」

フランツに振り返って返す柚に、ハーデスの瞳が緩やかに見開かれていく。
ハーデスの灰色の眼差しが、柚を見下して瞬きをした。

自分を見上げて笑った柚の赤い瞳が、穏やかに弧を描いている。
差し込む光の下、ガラス細工を光に翳した時のように、澄んだ赤の色彩が綺麗だと思う。

くすぐるような風が、体の中をそよいでいる気がした。
足元から、太陽の暖かい日差しと同じくらいに温かい何かに覆い尽くされていくかのような気がした。

釣られるように自然と頬が動き、目と口元が彼女と同じ様に微笑み返す。

シェリーは柚とハーデスに穏やかな眼差しを向け、呟きを漏らした。

「柚さんって不思議……」

フランツは、シェリーの言葉の意味を問うように視線を向ける。
離れて歩く焔も、後ろから見るシェリーの横顔に一瞥を投げた。

「私、すぐに自分を抑えて人に合わせちゃうんです。それなのに柚さんとお話していると、まるで前々から気心の知れたお友達だったみたいに本当の自分でいられる気がします」

大きな目を丸くしていたフランツが、くすくすと笑みを漏らし始める。

「皆を見ていると、分かる気がします」

フランツの見守るかのように穏やかな眼差し柚を見詰め、目を細めた。
微笑むシェリーから、羨望の眼差しが柚に向けられる。

眉間に皺を刻んだまま、焔も柚へと視線を吸い寄せられた。

木漏れ日のカーテンをくぐり、軽やかな足取りで歩く柚
銀の髪に淡い桃色を散らして歩く少女は、そのままどこかに走り去ってしまいそうな気すらする。

焔は、シェリーの言葉にもフランツの言葉にも、賛同など出来はしない。

深く関われば関わるほどに、自分ではない自分になってしまいそうで嫌だ。
触れられたくない弱さや知りたくもない感情を、全て暴き出されそうで恐い。

柚はまさに嵐だ。
そして、津波のようでもある。

東屋で食事をとりながら、焔はそよぐ木々を見上げていた。
終始、居心地の悪さが付き纏う。

嵐も津波も、かき乱すだけかき乱して引いていく。
そのとき、残されるのは大きな爪痕だ。

最後の一切れとなったパンを口に押し込み、紅茶で飲み干す。
焔は刀を手に取ると無言で立ち上がり、東屋を後にした。

焔の背を見詰め、シェリーが不安そうに顔を曇らせる。

「私がご一緒したせいでしょうか……」
「あー、違う違う。あいつは誰に対してもそうなんだ。一匹狼気取っちゃってるんだ。ついでに露出狂だから気を付けて、シェリー」
「聞こえたぞ、てめぇー!まだ忘れてなかったのか!嘘吹き込むんじゃねぇよ!!」

わざと大声で告げた柚の言葉に、去ったばかりの焔が怒声と共に駆け戻ってきた。

暢気にお茶を啜っている柚の隣で、フランツがげんなりとした面持ちで焔から顔を逸らす。

「そりゃあ、忘れられませんよ。っていうか、柚……食事中に、嫌なもの思い出させないでください」
「フランツ、てめぇ!?」
「ほ、本当なんですか……?そんな方には見えませんが」
「てめぇも信じるな!!」

真っ赤になったシェリーが、焔から顔を背けた。
屈託もなく声を上げて笑い出す柚に、焔が怒鳴りかかる。

ハーデスは、ゆっくりと視線を柚へと投げ掛けた。

焔と言い合う柚が眩しい。

この間は元気がなかったけど、今日はいつも通りだ……と、ほっとしている自分に気付く。
ハーデスの口元に、穏やかな笑みが浮かんだ。

立ち上がり、まるで最初から自分などいなかったかのように……
ハーデスは音もなく姿を消した。

「あっ……」

それに気付いた柚が、小さく声を漏らし、残念そうにため息を漏らす。

シェリーが腕時計に視線を落とし、後片付けをしながら柚に声を掛けた。

「柚さん、そろそろ準備をしないと撮影に遅れますよ」
「あ、分った。フランと焔も一緒に行かないか?」
「僕はすぐに講義が入ってるんで。焔はどうせ暇ですよね?一度くらい行ってみたらどうですか?」

フランツは苦笑を浮かべた。

「その内、一度もカメラの前に姿を現さないって話題になっちゃいますよ?」
「んなことやってられるかよ、くだらねぇ」

焔はひらひらと手を振り、三人に背を向けて森の奥へと去って行く。
その背に向けて、柚が舌を出した。





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