シェリーは、まさに女の子という言葉が当てはまる、女の鏡のような美少女だ。
その上お嬢様のような外見に反し、よく働き、とても気が利く。

周囲の不安を他所に、二人はあっという間にうち溶けていた。

森を駆ける柚の後を、シェリーが小走りに追い掛ける。
その後をのんびりと追うフランツとジョージ、そして最後尾を離れて歩く焔は、森の広場に出て足を止めた。

「今日の柚、調子がよさそうですね」
「ああ、最初は不安だったがよかった」

ジョージが安心したように腕を組んで頷く。

眠くなるような温かい陽気だった。
澄んだ空気すらも映しだしてしまいそうな日差しの下に、木々の間からリスが顔を出し、小鳥たちが追い掛けてくる。

シェリーは驚きの声をあげた。

「すごいです。野生のリスですか?私リスを見るのは初めてです」
「最近はもう、姿を見ただけで寄って来てくれてすっごく可愛いんだ」

柚は腕を伝って肩を移動するリスに笑みを向ける。
シェリーがパン屑をリスに差し出すと、リスは小さな両手でパン屑を掴み取り小さな前歯であっという間にパンを平らげた。
歯を動かすたびに上下する髭とふっくりした頬が愛らしく、癒される。

「「可愛い〜!」」

声を揃える柚とシェリーに、焔はむすっとした面持ちで終始不機嫌だ。

「焔、もう少し愛想良くしないと感じ悪いですよ?」
「知るか。なんで訓練にまであの女が来るんだよ……」

フランツが咎めるが、ポケットに手を突っ込んだままの焔は寄り付こうともしない。

シェリーが来た日から、柚とシェリーはセットだ。
知らない人間が増えて居心地が悪い上、相手は少しつついたら泣き出しそうな少女で、焔としては居心地が悪い。

きょろきょろと周囲を見回していたジョージが、空に向かい声をあげた。

「ハーデス、ハーデス!」

動物達がぴくりと顔を上げ、逃げるように走り去っていく。

木の上で木の葉が揺れる音が耳に届いた。
音のした方へと見上げた先にハーデスが舞い降り、躊躇うようにこちらを見下している。

「俺の喉を潰す気か!そんな離れたところにいないで、こっちに来い!」
「……」

木の上にいたハーデスの姿が一瞬にして消えた。
その直後、シェリーから離れた木の後ろにハーデスが姿を現し、木の陰からおずおずと顔を出す。

そんなハーデスに、焔が苛立った面持ちを向けた。

「おい、さっさとこっち来いよ。訓練になんねぇーだろうが」
「……うん」

ハーデスが木の陰から姿を現す。

「グラゴール嬢、念の為に我々の傍にいてください。フラン、何かあったら頼む」
「はい」

フランツがシェリーを連れてジョージの隣に並ぶ。
柚がジョージの隣に並んで立つと、ジョージは焔とハーデスに広場の中央に立つようにと促した。

「今日は、目に見えない気配をいち早く感知する訓練だ。水や炎のように目に見える力を感知するのは比較的簡単なことだ。しかし、目に見えないものは捕らえ難い分、攻撃を受けた際に対応が遅れがちになる。例えばデーヴァ元帥の重力、ハーデスの空間移動や毒がいい例だ」

焔は、向き合って立つハーデスに挑むような強い視線を向ける。
居心地が悪そうに、ハーデスは違う方へと視線を受け流した。

「焔はその場所から動かず、ハーデスの攻撃を武器で受け止められるようにしろ。ハーデス、頼むぞ」

焔が声なく頷き返し、身構える。

さわさわとそよぐ風が、ハーデスの髪を揺らした。
やる気を全く感じないハーデスの瞳が憂鬱そうに瞬きをしながら、長い指先が大鎌の柄を撫でていく。

「もう始めていいの?」
「構わん、ただし焔を真っ二つにするなよ」
「気をつける」

緩慢な動きで、ハーデスの視線が焔へと向けられる。

「!?」

目が会った瞬間、ハーデスの姿が消えた。
ハーデスがいた場所の足元に散る小さな砂埃に焔は目は奪われる。

次の瞬間には、ひやりとした感触が喉元に滑り込んだ。

「っ……!」

息を呑む。
背後に立つハーデスの顔は見えなかったが、彼が口角を吊り上げて笑った気配がした。

「一回、死んだ」

カッとなった焔が腕で振り払うが、掠りもせずにハーデスが消える。

何事もなかったかのようにひらひらと舞い落ちる落ち葉
まるでハーデスが存在していなかったかのような静寂

焔はギリリと奥歯を噛み締め、刀を握り締めた。
神経を研ぎ澄まし、周囲に視線を走らせる。

「目で追おうとするな、気配を探れ」

腕を組んだジョージが、焔に向けて声を張り上げた。

余所見をしている柚に、「お前も見ておけ」とジョージが告げる。
柚が視線を焔の頭上に向け、小さく口を開いた。

「上」

焔の頭上に陰を落とし、上空に現れたハーデスが空中で反動を付けるように上体を捻る。
揺れる長めの前髪の間から、獲物を捕らえることのみに執着する灰色の瞳が覗く。

刃が太陽の光を反射させ、振りかぶった刃が焔に向けて振り下ろされた。
遅れて攻撃を防ごうと翳した刀が、焔の掌から弾き飛ばされ、地面を転がり落ちる。

風を切るように大鎌を回転させ、ハーデスは音もなく地面に着地した。

「早く拾って」
「っ……」

焔は、先程まで刀を握り締めていた自分の掌を見下し、爪が食い込むほどに握りこむ。

「ハーデス、もう少しゆっくりやってやれ」
「これ以上?」

ハーデスが面倒臭そうにジョージに振り返った。
刀を拾おうとした焔の顔がピクリと引き攣り、声を震わせる。

「んの野郎ォ……」
「ごめん、気に触った?」

ハーデスが申し訳なさそうに眉尻を下げた。

悪気のないハーデスの謝罪も、今の焔には逆効果だ。
焔の中で、何かがブチッと音を立てて切れた。

「一回ぶった切らせろ!?」
「えー……痛そう」

刀を手に襲い掛かってくる焔を、ハーデスは軽くかわす。

ハーデスにあしらわれても喰らい付いていく焔を見ながら、フランツが苦笑を浮かべる。
ジョージは溜め息を漏らした。

「まったく焔の奴、頭に血が昇ってるな。あれじゃあ訓練にならん」
「じゃあ、次は私?」

柚は期待した面持ちでジョージを見上げる。

ジョージは柚を見下し、小さく唸った。
見上げてくる無邪気な瞳に負け、肩から力を抜く。

「まあいいだろう。ハーデス、焔、止まれ。焔は柚と交代だ」

ジョージの声にハーデスが顔を向け、刀を振り下ろした焔の前からすっと姿を消して柚の目の前に現れる。

「柚と?」
「うん、宜しく」
「……うん」

ハーデスが、柚の手を取って姿を消す。
広場の中央にふわりと降り立つ二人は、和やかに話し込んでいる。

肩で息をする焔が顔を引き攣らせ、刀を杖代わりにしゃがみ込んだ。

「あ、あの野郎……俺の時と態度違くねぇか?」

フランツとジョージが無言で肯定する。
心配そうな面持ちのシェリーが、「大丈夫でしょうか」と呟きを漏らす。

柚と向かい合って立つハーデスは、名残が惜しそうに柚の手を離した。
するりと遠ざかっていく体温の先、柚の瞳には、使徒が力を使う時に現れる波長のようなオーラがハーデスの姿を包んでいくように映る。

「いくよ」
「うん」

ハーデスが姿を消した。

耳を澄ました柚は軽く地面を蹴って後ろに飛び退く。
柚がいた場所にハーデスが降り立ち、ハーデスは飛び退いた柚へと顔を向け、再び姿を消す。

ひらりひらりとかわしていく柚に、ハーデスも攻撃を早めていく。

「なんで……」

その光景をみていた焔は、納得がいかない面持ちで呟きを漏らした。

フランツの姿を目で追えない柚が、何故ハーデスの気配を感知できるのか……
考えて見れば、アスラに追われた時、柚は何度も重力の動きを感知していた。

「人には得手不得手というものがありますよ」

フランツがフォローをするように、焔に苦笑を向ける。
同意するように、ジョージがこくりと頷いた。

「報告書を読んだが、お前達はデーヴァ元帥と直接戦ったんだろう」
「……」
「ハーデスの能力とデーヴァ元帥の力は、目に見えないということが共通点だ」
「ハーデスを感知出来ないようじゃあ、勝てませんよ?」

フランツはくすくすと笑みを浮かべる。
「他人事だと思いやがって」と、焔が悪態を漏らした。

少しずつスピードを上げるハーデスに、最初は難なくかわしていた柚も、顔が必死になってくる。

「コツ、教えましょうか?」

にこりと微笑むフランツの顔を、焔はじろりと見上げた。
僅かな逡巡の後、焔はきっぱりと「いい」と断る。

「そうですか」と、フランツは引いた。

焔の意識は周囲の音を遮り、真っ直ぐ柚とハーデスのやり取りを追いかけている。

「うかうかしてられませんね、僕は特に」
「気負うことはないんだぞ」

フランツの呟きに、ジョージが宥めるように告げた。
心配そうなジョージの顔に、フランツは苦笑を浮かべて顔をあげる。

ジョージは、自分の言葉が気休めにしかならないことを知っていた。

もはや笑みは消え、フランツの真剣な眼差しがハーデスと柚を追い掛けている。
普段は幼さを残すフランツの横顔が妙に大人びて映った。

戦闘の最中に負った古傷と共に、胸が痛む気配を覚える。

治療が遅れ、戦闘で支障が出る後遺症が残った。
自分はさっさと戦線を離脱し、新入りや子供達に戦闘の技術を叩きこみ、戦場へと送り出す役目を与えられている。

ジョージは僅かに顔を伏せた。

すると、その目の前に柚を小脇に抱えたハーデスが姿を現す。
ジョージは驚いて顔を上げた。

「柚も捕まえた」
「捕まったー……」
「そうか、ハーデスどうだ?」
「鬼ごっこみたいで楽しかった」
「そういうことを聞いてるんじゃないだろ……」

ジョージが額に手を当てて溜め息を漏らす。
そして、むすっとしている焔の肩を叩いた。

「焔。自主トレのメニューに、感覚を鍛える為に皆の居場所を追う練習を加えてみろ」
「はァ?」

焔が嫌そうに顔を顰める。
無言で抗議してくる視線を無視して、ジョージは腰に手を当てた。

怪我はないかと心配するシェリーと談笑をしている柚とフランツは、歳相応の面持ちであどけなさすら感じる笑みを浮かべている。
戦いしか知らないハーデスの顔ですら、三人の前では柔らかに感じた。

そんな平穏な時間を砕いてしまうようで、声を掛けることを躊躇う自分がいる。
ジョージは溜め息を漏らし、気持ちを切り替えた。

「いいか、柚とフランも聞け。アダムと接触したことがあるから俺よりも詳しいとは思うが、アダムは時間を操ったと聞いている。お前達の方が詳しいな?」
「思い出したくねぇ……」

ぼそりと呟き、焔が顔を逸らす。

「焔は仕方ないとして、元帥や将官までその攻撃を受けたんですよね……」
「おい、てめぇ今、さりげなく俺を馬鹿にしなかったか?」
「なんのことでしょう?被害妄想じゃないですか?」

睨み付けた焔に、フランツはにこりと微笑みを返した。

ハーデスが口を開く。
僅かに覗く瞳は、揺るぎなく見えない敵を見据えていた。

「神森はいつ関わってくるとも知れない。アスラとイカロスは二度とそんなヘマはしないだろうけど……。時間を止めている間に殺されなかったことは、運がよかったとしかいえない」

ハーデスの言葉に、柚と焔の顔が引き締まる。
突き刺さるかのように、緊張感が肌を刺す。

ジョージが深く頷いた。

「ハーデスの言う通りだ。お前等も今後任務で外に出るときは十分注意を怠るな。気配を消して近付かれ、気付いたら殺されていたなんてことだけはあってはならん!」

無意識に口調が強くなる。

過去に、任務の最中に命を落とした仲間達を見てきた。
いまや同期で生き残っているのは自分のみだ。

死んだ後も、彼等が墓に葬られることはない。
研究の為、肉体を保存されている。

「ハーデスは、焔にもう少し付き合ってやってくれ。柚の相手はフラン、頼むぞ」

それぞれに別れて訓練を始める四人を見守りながら、ジョージは目を細めた。

未来など誰も見えはしない。

この先の未来は、使徒にとって死んだほうがマシだと思うようなものかもしれない。
だがもしかしたら、生まれてきてよかったと心から思える未来かもしれない。

「強くなれ……」

小さく小さく……
ジョージの唇が、呟いた。





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