使徒の一日は、健康診断から始まる。

その席で、柚専属の女性看護師マリア・リードと共に部屋を訪れたのは、ラン・メニーだった。
柚から体温計を受け取り、カルテに体温を書き込むマリアの隣で、ランは陽気な口調で昨夜出た結果を柚に告げた。

「今、君はPMS――"生理前症候群"、名前の通り生理前に不調になったりする症状のことだね、それであることが判明したよ」
「……は、はぁ」
「ここ一週間ほど、能力が不安定だと自分でも気付いているでしょ?」

おずおずと、柚が小さく頷く。

(だからアスラの奴、あんなことを言い出したんだなっ――改めてムカツク)

不安そうにしていた柚が、恨めしそうにランから顔を逸らした。

仕方がないこととはいえ、本人よりも先にアスラや所長に何でも話されてしまうのが嫌だ。
ましてや、こうしたデリケートな問題ならば尚更だ。

「それはそういうことだから。君だけじゃない、女性が抱える問題だね。使徒に関しては未知だけど人間と同じ症状が出ている。さらに面白いことに」
「先生」
「おっと失礼」

マリアが咎めると、全く悪びれた様子もなく、ランはへらっとした笑みを浮かべた。
柚は困惑した面持ちで眉を顰める。

「使徒の女の場合はPMS時、能力が不安定になるということだ」
「そんな!」

柚は不服そうにベッドから立ち上がった。

「まあまあ、これも黄体期を過ぎれば落ち着くから」
「……」

ひどく憂鬱な気分だ。
自分が女である事をこれほどまでに恨めしく思った事はない。

日課となった診断と朝食を終えると、柚は一人で外に出て溜め息を漏らした。

「大きな溜め息」
「ガルーダ尉官?」

降り注ぐ明るい笑い声に、柚は仰け反るようにして木の上を見上げる。

褐色の肌に刺青を施した青年は、猫のような瞳を無邪気に細めた。
木の上から体重を感じさせずに音なく飛び降りたガルーダは、眠そうな柚の顔を覗き込み、ニッと笑う。

「顔色も良くない、夜更かしでもした?」
「ううん、なんだか寝つきが悪くて。昨日、いっぱい昼寝しちゃったからかな」

失敗したと、柚は溜め息混じりに呟いた。
そして、気付いたようにガルーダの顔を見上げる。

「ガルーダ尉官こそ、まさかそこで寝たとか言わないよな?しかもそんな格好で」

士官服の胸元を大きく肌蹴た姿は、陽光が降り注ぐ中でも少し寒々しい。
当の本人は寒さなど知らないかのような顔をして、「ばれた?」と呑気に笑っている。

風邪のウイルスも避けて通りそうなガルーダを、柚は半場呆れた面持ちで見上げた。

「ねぇ、ガルーダ尉官?」
「なに?」

ガルーダは身を屈め、鼻が触れそうな距離で柚を見下す。
柚は思わず身を引きながら、溜め息を漏らした。

「自分にあった武器って、皆どうやって決めるんだ?」
「そうだなぁ……戦ってる内に、こういうのが欲しいなって思うようになってくるかな」
「えー、思わない!」
「じゃあ、必要ないんじゃん?使わない奴もいるし」
「でも欲しいな……」

ガルーダの答えに、柚はしゅんとした面持ちで指を絡ませながら、俯いてしまう。

途端に、ガルーダが柚を放り投げるように抱え上げた。
ぎょっとする柚を他所に、ガルーダは腕に乗せた柚を見上げる。

「焦ってる?」
「え?」

ガルーダの言葉に、柚はきょとんとした面持ちで返した。

「あー……そう言われればそうなのかもしれない。焔は凄くやる気だし、実際強くなってるし、挙句に武器まで決まっちゃってさ」

昨日も、別に武器が羨ましかったわけではないのだ。
ただ、どんどん強くなっていく焔と、最近妙に調子の出ない自分

焔は同期だからこそ尚更、その距離が引き離されていくようで落ち着かない。

「やだな……こういうの」

つくづく、自分が女であると思い知らされる。
だからといって、伴わない結果に"女だから"という理由など使いたくない、思われたくもない。

少し前までは、強くなりたいと思っていた。
今は、強くならなければと思っている。

思えば思うほど、伴わない結果に苛立ちを感じた。

柚の視線が流れるように風のない深い森を見詰める。
ガルーダは、そんな柚の横顔を見詰めた。

まるで一人、迷いの森に迷い込んだかのように……
それは心細い面持ちをしていた。





アスラはジョージからの報告書を受け取りながら、ため息と共に窓の外へと視線を投げた。
心此処にあらずな様子のアスラに、ジョージは眉を顰めつつ話を進める。

「焔の成長が著しいですね。武器も決まりましたし、そろそろ任務で実戦の経験を積ませるのもいいかもしれません」
「……検討しよう」

アスラは書類に目も通さないまま、机に戻した。
哀愁が漂ってくるアスラをさすがに見過ごす事が出来ず、ジョージは遠慮がちに声を掛ける。

「元帥、如何致しましたか?何か問題が?」
「いや、昨日も気遣ったつもりが何故か柚を怒らせてしまった……女とは難しい生き物だな。どうすれば」

アスラは、溜め息と共にしみじみ漏らした。

何を言うかと思えば、予想外の言葉にジョージは思わず絶句する。
思い出したように、ジョージは咳払いをした。

「元帥、とりあえず今は仕事に……」

すると、ドアをノックする音が響く。
外から告げられた来訪者の名に、アスラは椅子から立ち上がる。

アスラが入室を許可すると、観音開きのドアがゆっくりと開け放たれた。

腰の後ろで手を組んだ男が、ゆっくりとした歩調で部屋に踏み込んでくる。
厳格な顔立ちをした壮齢の男はアスラを見やり、唇にのみ弧を描いた。

「お久しぶりです、カルヴァン佐官」
「久しぶりですな、デーヴァ元帥」

アース・ピースの一般兵部隊の統括者であるスミス・カルヴァンは、滅多に基地に足を踏み込まない。

元は陸軍の士官で、政府が内部から使徒を監視するように仕向けた監察官のようなものだ。

四十前半の男は仕官としての貫禄を備え、まるで視察に訪れたかのようにゆっくりと部屋の中を見回した。
カルヴァンは、階級が上であるアスラに対して敬礼を行なわないまま、部屋の隅にいたジョージに一瞥を投げる。

ジョージは軽く頭を下げ、部屋を後にした。

慌しく外に出たジョージは、部屋の外に出て初めて、人が立っている事に気付く。
軍人ではない、それは柚と歳の変わらない少女だった。

少女はジョージの視線に気付くと、上品な仕草でぺこりと頭を下げる。

部屋のドアを閉ざされた。
席を勧められたカルヴァンはやんわりと断りを入れ、机の前に立つアスラを見やる。

「私もまだこの目で見ていないのですがね。宮 柚の調子はどうですかな?」
「問題はありません」
「それはよかった、安心致しました。ご承諾感謝しますよ、デーヴァ元帥。実は今回、さっそく連れて参りましたが……」

社交辞令を交わし終えたカルヴァンが、さっそく本題に入った。
カルヴァンは机の上のパソコンに視線を向ける。

「お送りしたデータは拝見していただけましたか?」
「ええ、迅速な対応感謝します。人選はお任せしているので、私からはなにも」
「ええ、こちらで選ばせて頂きましたよ。入りなさい」

カルヴァンが部屋の外に声を掛けた。
ドアが開け放たれ、静々とした足取りで少女が部屋に入ってくる。

軍事基地にはあまりにも不釣合いな服装の少女は、見るからにおっとりとした少女だった。

「失礼致します。この度、柚さんのお世話を賜りました、シェリー・グラゴールと申します。どうぞ、宜しくお願い致します」
「元帥、アスラ・デーヴァだ」

金のたわわな髪と透ける様に白い肌をしており、品が良い。
琥珀の瞳に緊張を覗かせながらも、シェリーはアスラに向けておっとりと微笑む。

世話をする側の人間ではなく、される側の人間である事は一目瞭然だった。
無論、グラゴールという姓にも聞き覚えがある。

「彼女はグラゴール議員のご令嬢です」

カルヴァンの言葉に「やはり」と、アスラは声に出さずに呟いた。

柚の周囲に世話役として女を置くという提案を受けたのは先日
イカロスの助言もあり、それを了承したのが昨夜――行動の早さには舌を巻く。

理由をつけて渋っていたものの、一番の理由は"それ"だ。
使徒の身近に血縁者を送り込み、誰かと関係を持たせて強い繋がりを作ろうと画策する政治家が必ず出てくる。

女には女同士でしか話せない事もあるし、その方が柚の精神面にもいいだろうというのがイカロスの言い分だった。
気は進まなかったが、また柚を怒らせてしまったこともあり、渋々承諾したのだ。

懸念通りとなった。

こんな少女に何が出来るのだろう?
部屋に通された少女の第一印象とあわせ、アスラには理解が出来ない。

柚とシェリーのタイプは正反対に見えた。
とても話が合うようには思えない。

アスラは雑誌の表紙で別人のように微笑む柚を思い出した。
あんな風におっとりと微笑む柚ならば、確かにシェリーと気が合うかもしれない。

そこで、アスラはなるほどと納得した。

カルヴァンは、写真でしか柚を見た事がない。
勘違いをしたカルヴァンは、柚がシェリーのようなタイプだと思い、シェリーを選んだのだ。

(違う、本当の柚は――…)

なぜか、胸にむかむかとしたものが込み上げてくる。

案の定、柚にシェリーを紹介すると、柚はシェリーをまじまじと見詰めて首を傾げた。

「え……お世話?私が?彼女を?」
「逆だ」

アスラは淡々と返す。
何故使徒が人間の世話をしなければならないのか……その発想が理解に苦しむ。

「え?こ、こんな可愛いお嬢様が私なんかのお世話を?いやいや、それ何かの間違い。逆だろ?もの凄く申し訳ないから、いいです!遠慮します」

もう一度シェリーを見た柚が、恐れ多いとばかりに顔を赤くして首を横に振った。

すると、その隣に立つ男が足を踏み出す。
柚は、見慣れない男をきょとんとした面持ちで見上げた。

「間違いではないよ。君は世話をされるべき特別な存在だ」

子供に教え込むように告げるカルヴァン
柚は、こそっとアスラに訊ねた。

「……誰?」
「カルヴァン佐官だ」
「佐官っていうと、えっと……」
「将官、佐官、尉官だ。いい加減に覚えろ」

指を折りながら頭の中を整理する柚に、アスラが淡々と説明する。

「噂通りの子だな」
「うっ……」

カルヴァンの口調は決して嫌味なものではなかったが、どんな噂なのか聞くのが恐ろしい。
頬を染めて俯く柚に、カルヴァンはにこやかに告げる。

「十六年間、君は本来受けるべき待遇を受けずにきてしまった。そのせいで戸惑うことも多々あるとは思うが、我々の判断に間違いはない。慣れていきなさい」
「……はぁ」

柚が、複雑そうにカルヴァンを見上げた。

慣れろと言われても、必要性を全く感じない。
今まで一人で難なくこなしてきたのだ、それを今更他の者に手伝ってもらう事の方が無意味に思える。

「でも、やっぱりお世話なんて必要ない、です。自分のことは自分で出来ます」

途端に、シェリーが顔を曇らせた。

「私では、お気に召しませんでしたか?」

愛らしい琥珀の瞳が揺れ、じわりと涙が滲む。
ぎょっとした柚が、再び慌てて首を横に振った。

「い、いえ!そういう問題ではなく!わー、凄く嬉しいー」

反場自棄気味に、柚は笑顔で取り繕う。
シェリーは顔を上げ、「本当ですか?」と不安そうに首を傾げる。

頷く柚に、シェリーは頬を染めて「私も嬉しいです」と微笑み返した。

同姓にも関わらず、思わず見惚れるような微笑みだ。
自分が男ならば思わずなんでも言う事を聞いてしまいそうだが、実際、女でも逆らえない。

柚は笑顔のまま顔を引き攣らせる。

すると、アスラがカルヴァンとシェリーに聞こえないよう、声を抑えて告げた。

「試験的なもので、一週間の期限付きだ。問題があれば我慢することはない、すぐに言え。追い出す」
「う、うん。でも追い出すってそんな物騒な……大丈夫だと思うよ」

アスラの言葉に、柚も小声で返す。
知らず、柚はため息を漏らしていた。





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