34


"アスラ"

アスラはゆっくりと顔を上げ、目の前の人物の目を見た。

黄は疲れたように椅子に体を沈め、長い溜め息を漏らす。
その仕草は彼の体の衰えを感じさせたが、彼の威光に陰りはない。

悠然とした黄の眼差しが、サイドボードに置かれた地球儀を眺めている。
黄は鼻を鳴らした。

"もしもの場合、カロウ・ヴに勝つ自信は?"
"勝てと仰るのであれば、勝ちましょう"
"お前らしい答えだ。しかし……"

口元を緩め、黄は背凭れから体を起こす。
熱めの紅茶に手を伸ばし、息を付く。

黄は、自分の前に立つアスラを見上げた。
面白みに欠ける抑揚のない面持ちをしたアスラを見上げ、黄は足を組んでアスラに問い掛ける。

"あの時の行動はお前らしくない。小僧め、あの程度の挑発で相当頭に来ておったぞ。もしあの時、ラッド元帥がカロウ・ヴを止めなかったらどうするつもりだった"
"必ず止めると思いました"
"ならば、そこにラッド元帥がいなかったとしたら?"
"宮 柚はアジアのものです。挑んでくるならば、退けるまでのこと"

ふっ……と、黄が笑みを浮かべた。

"随分と気に入ったようだな"
"はい?"

「柚のことだ」と呟く黄に、アスラは言葉に詰る。
困ったように眉を顰めるアスラに、黄は意外そうに瞼を起した。

アスラの反応を見て、黄はまるで試すかのように口元に意地の悪い笑みを浮かべてみせる。

"アルテナと柚、どちらが大事だ?"
"質問の意味が分かりかねます"
"わしが、同盟の証としてオーストラリアに柚を貸し与えると言ったら、お前はどうする?"

アスラは眉を顰めた。

柚を貸す?
柚にカロウ・ヴの子供を産ませるということか?

確かに、カロウ・ヴと柚の属性相性はいい。
二人の子供が産まれれば、それはアジア帝國とオーストラリア連邦にとって大きな力となるだろう。

だが、もしその話をしたとき、柚はどう思うだろう?
どんな顔をする?

柚を傷付けることだけは確かだ。

悲しい顔はさせたくない。
なら、どんな顔をしていて欲しいのだろう?

雑誌の表紙を飾る表面だけの微笑み?
否、まだ誰もカメラに治めていない、彼女に近い者しか知らない、彼女の飾らない微笑みを……

――守りたい……

言葉が浮かび上がるように、答えが出た。

"冗談だ、そう恐い顔をするな"
"……そのような顔を、しておりましたでしょうか?"

黄はくつくつと笑みを漏らす。
自分自身に戸惑いながら、アスラは笑う黄を見下ろして立ちつくした。

"変わったな、アスラよ"

黄の執務室のドアが閉ざされる音を聞いた。
部屋に背を向けたまま、暫し佇み、歩き出す。

確かに、少しずつ何かが変わってきていることだけは確かだ。

議事堂の長い廊下を歩く軍靴の音
規則正しく並ぶ灯り
変哲のない太陽
見知った帰り道
帰る場所
無機質な生活
昇っては消えていく太陽

何も変わらない、繰り返しの毎日で染められた世界

(――だった、筈だ)

目に見えにくい変化だ。

以前は母と少しでも同じ空間にいたくてゆっくりと歩いた議事堂の長い廊下を、最近は足早に歩くようになった。
母を愛しく思う気持ちは変わらないが、同様に早く基地に戻りたいと心が急く。

他者と話す、ひとつひとつの言葉が新鮮だ。
以前よりも会話に重みと喜びを感じ、"生きている"と実感している。

柚という少女と共に過ごすようになってからだ。

一瞬でも目を逸らせば見逃してしまうように、移り変わっていく柚の表情から目を逸らせない。
笑みを他の物に見せることすら惜しく、自分の目の届く場所に閉じ込めていたい。
彼女の心を一番に理解し、彼女の為に何かをしたいと思っていた。

振り返れば、色褪せた世界の景色が真新しい色彩に彩られていくかのように、驚きと発見に満ちていた。

まるで別人になっていくかのように、穏やかに世界を見詰め、優しくなれる。

(この感情は……)

何処か寂しさを伴い、それ以上に彼女を想うと喜びを感じた。

彼女に言葉、仕草、感情、ひとつひとつが、甘い毒のように、爪先にまで染み渡ってゆく。

この感情は、危険だと感じていた。
嵌まれば嵌まるほどに、感情に歯止めが効かない。

人間の男に嫉妬をし、柚にまで激情をぶつけ、衝動を抑え切れずに体が動く。

カロウ・ヴの時も衝動だった。
行動の理由などただの建前で、単に、柚がお前のものではないのだと見せ付けてやりたかったのだ。

時に激しく、時に穏やかに……
自分でも驚くほどに、自分の感情が読めない。
自分でも抑えきれない知らない感情を沸き起す。

アルテナに対する想いに似ている。
だが、アルテナに対する感情が、使徒ゆえの特別なものであることを自分は知っている。

柚を通して、どんな自分にもなっていく。

だが、決して嫌なものではないのだ。
むしろ、その感情を愛しいと思う。

(母上と柚)

片や恩義を感じ、片や愛しいと想う。

今までは、使徒の力も元帥という地位も、何もかもが用意され、与えられてきた。

だがこの感情は、生まれる前から用意されたものでも与えられたものではない。
柚と触れ合い、自ら手に入れ、行き着いた感情だ。

それが誇りで、何よりも大切に感じる。

アスラは瞼を起した。

何故、自分は外で寝ているのだろう?
まだ夢を見ているのだと納得した。

太陽の光を背負うように、柚の顔がある。
すぐに、柚の膝を枕にして寝ているのだと気付く。

何かを見詰めていた柚が、自分が目を覚ましたことに気付き、安堵に微笑んだ。

「目が覚めた?先生は軽い脳震盪だって言ってたけど、大丈夫か?」
「……そうか」

柚の言葉を聞き流しながら、アスラは柚に手を伸ばした。
優しく目を細める柚が幻のようで、触れたいと思ったのだ。

「びっくりしたぞ、いきなり顔面でボール受け止めて倒れるんだもん」
「柚、俺は……」

無意識に呟きが漏れる。

「おい、こいつ大丈夫か?」
「うーん……」

何故か、隣から面倒臭そうに焔が覗き込んできた。
シェリーがヨハネスを呼び寄せる。

無粋な夢だが、答えは出た。
後はただ、伝えたい……

柚が首を傾げ、アスラの顔を覗き込んでくる。

その仕草さえ愛しいと思う。
この細い指も、柔らかな唇も声も、すぐに赤く染まる白い頬も、美しく柚を飾る髪も、赤い果実のような愛らしい瞳も……

伸ばした手が柚の髪に触れ、体を起こしながら顔を引き寄せる。

触れたいと思った――その願いが果たされれば、すぐに次を求めていた。
欲しいと素直な感情が込み上げ、それを遮るものはなにもない。

「好きだ」
――愛している……

柔らかな唇に、唇で触れた。

愛しくて、愛しくて――…何処か切ない。
際限なく溢れるこの慈しみの感情こそが、きっと人を愛するというものなのだ。

隣から覗き込んでいた焔が息を呑み、目を見開く。
シェリーが、赤くなりながら「まあ」と呟きを漏らした。

惜しみながらも柚の唇を開放すると、柚の頬がみるみる赤く染まり、肩がわなわなと震え始める。

夢にしては、妙にリアルな感触だと思った。

「お、起きた途端――いきなり何を晒すか、この変態がァ!?」

怒声と共に、柚がアスラを膝の上から突き飛ばす。
ベンチから転がり落ちたアスラにヨハネスが悲鳴をあげ、ライアンズが青褪めて駆け寄る。

「元帥ー!?お、お前、怪我人、いや、仮にも上官にいきなり何してんだよ!」
「だってコイツがいきなり!」

柚はそででごしごしと唇を拭いながら、地面に倒れこんでいるアスラを指差した。

喧騒に背を向け、焔は眉間に皺を刻む。
ハーデスが、ぼんやりとやりとりを見詰めている。
玉裁が口笛を吹いた。

ユリアが半眼で呟く。

「何やってるんだか」
「あれが上官のすることか!」

フェルナンドは読み掛けの本を閉ざした。

立ち上がったフェルナンドに、寝転ぶユリアが視線を向ける。
フェルナンドは、心底苛立った面持ちで木に拳を叩きつけた。

「カルヴァン佐官が見ていたらなんていうかっ……使徒の品位を問われるぞ」

憤慨しているフェルナンドに、ユリアはただくつくつと肩を揺らす。

「何が変わるだ。その結果がこれか、馬鹿馬鹿しい。これ以上付き合いきれない」

落ち着きを取り戻したフェルナンドが襟を軽く緩め、不機嫌に吐き捨てた。

ユリアは目を細め、唇に弧を描く。
人を食った眼差しが、フェルナンドを見上げた。

「まるで、君は変化を恐れているみたいだね」
「まさか。そういう君こそ、いつまで傍観者を決め込むつもりだい?」
「さあ?」
「変えるというなら、まず君から変えてもらいたいものだね」
「おや、まるで彼女が本当に変化を呼ぶと思っているかのような口調だね」
「そういう意味じゃない」

不機嫌ながらも冷静な口調で呟き、フェルナンドは腕を組んで同類の姿を見やる。

同じ仲間と言われても、何処か遠い。
彼等は自分とは違うもののように思えてならない。

研究所で生まれ育ったアスラ達を見下している自分もまた、外で育った使徒の仲間達に、自分の中身が空っぽだということを知られるのが恐い。
だからこそ、彼等とも一線を引き、見下した態度を取る。

玉裁は、自由な性格だ。
群れることを好みはしないが、面白そうだと思えばふらりと加わり、ふらりと姿を消す。

だが、自分はそう器用ではないのだ。

仲間の入り方など習わなかった、プライドが邪魔をする。
慣れ合う彼等を見ていると、皆が遊ぶ中、塾に行かなければとその横を通り過ぎる自分を思い出して惨めになった。

「ユリア、フェルナンド」

はっと、フェルナンドは顔を上げる。
柚が手を振っていた。

「お昼、皆で食べよう?」
「僕は――」

断ろうとした言葉が喉に詰まる。

バスケットを抱えた柚とシェリーがこちらに向かってきた。
木陰にはあっという間に、シェリーやフランツ達が運んできた昼食が並べられる。

玉裁が、どかりと隣に腰を下ろした。

「じゃあ、シェリーの送別会を兼ねて……」

「乾杯!」と、眩暈がするような声が重なる。
笑い声の耐えない、賑やかな昼食だった。

シェリーが、柚に貰ったというマーマレードを振る舞う。
あっという間に空になっていく瓶が、此処にいる者達の人数の多さを物語っていた。

食事をしながら「まだ頭が痛い」と呟くアスラに、柚が口を尖らせる。

「そりゃ私も悪かったけど、アスラも悪いんだ!」
「夢だと思ったんだ、仕方がない」
「ほぉ……夢だといきなりああいうことするのか、貴様は」

柚がコップを握り潰しそうな勢いでアスラを睨み付けた。
その視線を受け、アスラは暫し考え込み、口を開く。

「……夢ならば、最後までするな」
「元帥!食事中にそういう話は勘弁してください」
「柚も、お、落ち着いて!」

ライアンズが咽ながらアスラを咎め、フランツが青褪めながら柚を宥める。
イカロスとガルーダが愉快そうに笑っていた。

大人数での食事は、何処か落ち着かない――だが悪くはない。
釣られるように苦笑染みた笑みが浮かんでいる自分にはっとして、フェルナンドは慌てて顔を背けた。

すると、柚は紙袋からバウンドケーキのようなものを取り出す。

「ハーデスに渡したいものがあるんだ」

照れたように笑う柚に、ハーデスは目を瞬かせた。

「これはね、前にハーデスからお見舞いに貰ったゆずで作ったケーキなんだ。甘過ぎないから、もし甘いのが苦手でも大丈夫だと思うんだ。遅くなったけど、お礼になるかな?」

ケーキを差し出す柚に、ハーデスが驚きを露わに柚を見る。
戸惑ったように彷徨った視線が、赤いリボンでラッピングされたケーキに止まった。

「俺の為に?」
「うん」
「本当にいいの、俺が貰って?」
「当たり前だろ」
「……有難う、すごく……嬉しい」

言い慣れない様子の消え入りそうな声は、心からの喜びを表すように柔らかに響く。
長い前髪が顔を隠し、俯いた頬が赤く染まった。

「ハーデスに喜んでもらえたなら嬉しい。作ってよかった」

柚ははにかんだように微笑み、俯くハーデスに手を伸ばす。
細い指が前髪をかきあげるように触れ、いつも遠くから眺めていた微笑みが覗き込んでくる。

雪を少しずつ溶かしていくように、胸の奥底から温かく心を揺さぶるように……
小春日和の日差しのような微笑みが向けられた。

今、自分は、いつも遠くから眺めていたあの輪の中にいる。

「いい香りだね、おいしそうだ」

イカロスが、ケーキを見詰めるハーデスに声を掛けた。
はっと顔をあげるハーデスに、イカロスは穏やかな声音で問い掛ける。

「少し、貰ってもいいかな?」
「あ、俺も欲しい!」

ガルーダが、ライアンズを押し退けて身を乗り出した。

思い掛けない言葉であるかのように、焦ったハーデスが柚の顔を見る。
柚が頷いて見せると、ハーデスはおずおずとケーキを差し出した。

「皆で……食べよう?」

物を貰う事も、人と何かを分け合う事も……全てが新鮮だ。
夢の中にいるような気さえした。

ケーキにシェリーがナイフを入れる。
ゆずの香りが広がった。

貰ったばかりのケーキは、皆で分けるとあっという間になくなってしまう。

緊張して味は良く分からなかったが、その代わり、胸に温かさだけがいつまでも残った。

宝物であるかのように、ハーデスはケーキをラッピングしてあったリボンを見詰める。
まるで柚の赤い瞳のようだ。

当の柚は、フランツが「おいしいです」と絶賛したので、上機嫌だった。

「どう、アスラ。美味しい?」
「不味くはない」
「不味くはないってなんだ、美味しいと言え!」
「……美味しい」

強制的に美味しいと言わされるアスラ

「私だってやれば出来るんだぞ」

得意気な柚を鬱陶しそうに、焔が顔を背ける。
ライアンズが、不服そうに身を乗り出した。

「おい、俺が作ったからその味なんだぞ」
「はぁ?これ、ライアンズが作ったんですか?」

フランツが、今にも吐き出しそうな面持ちで盛大に顔を顰める。
むっとしたライアンズがフランツの胸倉に掴み掛かった。

「なんだ、その顔は!フランてめぇ、吐き出したらただじゃおかねぇぞ!」
「ち、違うぞ!ライアンが手伝ったのは七割くらいだから!」
「それほとんどじゃないですか!?」

慌てて告げる柚に、フランツが不愉快そうに文句を言う。

賑やかな声が嬉しい。
ケーキを飲み込み、ハーデスは「ところで……」と告げてアスラを見た。

「さっき、アスラが柚にキスしてたけど……唇にするキスはどういう意味?」

ライアンズとフランツを引き剥がしていた柚が、ぴくりと顔を引き攣らせる。
文句を言いたそうにアスラを睨み付ける柚を他所に、アスラは口の中のケーキを噛んで飲み込み、紅茶を一口流し込むと、ゆっくりとカップを置いてハーデスを見やった。

一同が息を呑み、はらはらとした面持ちでアスラの動向を見守る。

「愛情表現だ」
「ア、アスラ!」

柚が真っ赤に頬を染めて怒声をあげた。
焔が「馬鹿らしい」と言いたげな面持ちで顔を逸らす。

「俺も、柚にしたい」
「なっ……!何言って」

ぼそりと告げたハーデスに、赤くなった柚がうろたえた。
「子供は聞いちゃいけません!」と、赤面したヨハネスと呆れ顔のジョージが、アンジェとライラの耳を塞ぐ。

「ちがっ、アスラは分かってないんだ!だから」
「そんな事はない。挨拶にキスを用いることもあるが、唇へのキスは一般的に愛情表現だ」
「おっ、おぉ、お、お前っ!」

今にも沸騰しそうな顔で、柚がアスラに掴み掛かった。

アスラはその手を掴んで抱き寄せ、柚を見上げる。
優しいまなざしが、自信に満ちていた。

指が柚の唇を撫でると、柚の頬がますます赤く染まる。

「俺はお前を愛している。お前に愛情表現のキスをしても何等問題ない」
「ま、まだそんなことを――大いに問題あるわ!」
「俺も柚のこと好きだよ?それでもしちゃ駄目なの?柚が俺を嫌いだから?」
「ち、違うぞ!ハーデスは好きだけど……」
「じゃあ、いい?」

覗き込むように顔を近付けてくるハーデスに、柚が「うっ」と言葉に詰った。
すると、アスラがハーデスから柚を遠退けるように自分の方へと引き寄せる。

「駄目だ」
「なんで?アスラばっかりずるい……」

ハーデスが、むっとした面持ちでアスラを見上げた。
少し困った面持ちになり、アスラが柚を見下し、渋々手放す。

「仕方がない、一度だけだぞ」
「何が一度だけだ!勝手に決めるな!?」

柚の怒声が響き渡る。

「とめましょうよ」と遠慮がちに告げるライアンズに、イカロスは「もう少し様子を見よう」と明らかに楽しんでいた。
ヨハネスとジョージが疲れたようにため息を漏らす。

「あらあら」と、シェリーが和やかに微笑みを漏らした。

「焔さんは、止めなくてよろしいんですか?」
「なんで俺が……」

そっぽを向いている焔の隣に音もなく座り、シェリーは穏やかに尋ねる。
不機嫌に呟く焔にシェリーは苦笑を浮べ、僅かに視線を落とした。

「この間は本当にごめんなさい。柚さんとお話をして、私も強くなろうと決めました」
「……」
「あなたのような方を好きになればよかったのにと、思います」
「なっ……」

咽そうになる焔に、シェリーはくすくすと微笑みを漏らす。
ばつが悪そうに、焔は紅茶を飲み直した。

風がゆずの香りを運んでくる。

シェリーは目を細め、焔へと微笑み掛けた。

「私は好きな人に嫌われることを恐れて、あなたは私のように――人を好きになって傷付くことを恐れているんですね」

焔の瞳が僅かに見開かれる。
喧騒すら押しのけ、二人の心臓の音が聞こえてきそうな沈黙だった。

否定をしようとする焔に、シェリーは瞼を伏せ、再びその瞳にまっすぐと焔を映し出す。
嘘を許さないかのような強く澄んだまなざしに見詰められ、焔は口篭った。

「どうか、後悔をなさいませんように……」

打って変わり……はなむけのような柔らかい微笑みが向けられる。

後悔という言葉は切なさを呼び、風と共に胸の奥をくすぐり通り過ぎていった。

焔は手にするカップに視線を落とす。
情けない顔をした自分の顔が、波紋に揺れていた。

ユリアは、波紋を描くコーヒーを一口、喉に流し込んだ。

「賑やかだねぇ……たまには、こういうのも悪くはない」
「意外だ、君の口からそんな言葉が出るとはね」

決して見守っているわけではない……まるで高みから余興を眺めるかのようなユリアのまなざしが、賑やかな柚達を見詰めている。
ユリアの言葉に厭味を返すフェルナンドに、ユリアはくすりと笑みを浮かべた。

「勘違いしないで欲しいな。僕は君の言葉を代弁したまでだよ」
「何を……馬鹿馬鹿しい」

フェルナンドは吐き捨てる。

フェルナンドは、相変わらず仲間達の声に耳を傾けているユリアに眉を顰めた。
実力はあるくせに、何事も本気で取り組もうとしない――そんな彼の生き方も気に入らない。

「慣れ合えば慣れ合うほど……」

フェルナンドは口を噤んだ。

「二人ともー、こっち来て」

柚がフェルナンドとユリアを呼ぶ。
カメラを持った一般兵部隊の青年が、萎縮したように立っている。

「皆で記念撮影するから、並んで」
「は?僕は……」
「まあ、いいじゃないか」

ユリアがフェルナンドの背中を押した。

柚とシェリーを中心に、仲間達が寄り添うように顔を揃える。

全員が全員、カメラに向かって微笑んでいたわけではない。
だが、そこにいることは確かだ。

フェルナンドは、何故自分が彼女のペースに巻き込まれているのか分らない。
仲間達と共にシャッターが切られる時を待っている数秒の間がありえない奇跡に思えた。

シェリーはカメラをしまい、トランクの蓋を閉ざす。

太陽が傾き始めている。
それは、柚がシェリーと過ごす時の終わりを告げていた。





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