33


一眠りをし、欠伸をしながら部屋から出てきたライアンズは、後ろから飛び掛ってきた柚の突進に遭い、勢い良く床に倒れこんだ。
双子とシェリーが、床に顔を埋めるライアンズをフランツと共に心配そうに覗き込む。

「柚!?」

怒声と共に飛び起きたライアンズの上に乗ったまま、柚は悪びれた様子もなく首を傾けた。
フランツはライアンズを見下し、にこにこと微笑む。

「ライアン、暇ですよね?」
「ん?ああ」
「じゃあさ、他の皆も誘って外で遊ぼうよ」
「遊ぶってなぁ……例えば?」

ライアンズが眉を顰めた。
柚は無邪気なほどににっこりと微笑む。

「ドッジボール」
「うわっ、ガキ。バスケにしようぜ」
「ドッジは大人もしますよー」

顔を顰めたライアンズが吐き捨てると、フランツが口を尖らせる。
柚はライアンズの背を飛び降り、腕を振り上げて力説を始めた。

「ドッジはボールに日頃の恨みを込め、一球一球に魂を込めて相手を打ちのめす!これほど楽しい競技はないぞ」
「お前とは、ぜってぇやりたくねぇ」

ビシリと突き付けられる柚の指を、ライアンズは間髪を入れずに叩き落す。

「大体、皆って言ったって……」

そう呟いたライアンズの脳裏に、忌まわしきユリアとの出来事が脳裏を過ぎった。
それは、ライアンズが徹夜した今朝の出来事だ。

"おい、ユリア。一睡もしてない俺の前で飯食いながら寝るな"
"はァ?僕が寝ながら食事をすることで、何か君に迷惑を掛けたかい?君に不利益なことが生じたなら言ってごらん"
"いや、気になるだろ"
"気になる?何故?僕としては、そんな事を気に掛けるならば毎朝君の品のない顔を見ながら食事をしなければならない僕の心情を察して欲しいね"
"表に出ろ、ぶっ殺す!"
"ほうら、やっぱり品がない。全て暴力で解決しようとする君がいっそ憐れだよ、ふぅ"

ライアンズは戦慄いた。

「俺、ユリアの顔面にぶつけてぇ……」
「ユリアの顔にぶつけたら、ライアンは二度と表に出られない顔にされますよ」

フランツがぼそりと呟く。

「なら、ライアンはユリアとハーデスを連れてくる担当な」
「じゃあ、僕は先生と教官を呼んできますよ」
「アンジェとライラは焔を呼んでくる係な」
「柚姉は?」

ライラが柚を見上げた。
柚は指を折りながら、残りのメンバーの顔を思い浮かべる。

「後はえーっと、アスラとイカロス将官とガルーダ尉官と、フェルナンドと玉裁か」
「さっき、ガルーダお兄ちゃんなら見掛けたよ」
「「ガルーダ尉官!?」」

アンジェの言葉に、ライアンズとフランツが青褪めた。

二人の脳裏に、楽しそうな笑顔で地面に穴が開く程強烈なボールを投げるガルーダの姿が浮ぶ。
ぶるりと悪寒が走った。

「あの人誘ったら死ぬぞ」
「味方にすれば心強いんでしょうけどね」

腕を組み、フランツはしみじみと呟きを漏らす。

「あの人は誘わなくても寄ってきそうだが、残りの四人は無理だろうな」
「まあ、上官は忙しいでしょうし。フェルナンドと玉裁は、声を掛けるだけ掛けてみますか」
「じゃあ、私が行ってくる。ハーデスとユリアと焔はどうせ暇だろうし、頼んだぞー」

手を振り、柚はシェリーと共に走り出した。
柚はフェルナンドと玉裁の気配を辿り、宿舎に戻る。

フェルナンドの部屋のインターフォンを押すと、すぐにフェルナンドが顔を出した。
柚の姿を見た途端、フェルナンドはドアを閉める。

「なんで、閉めるんだよっ」
「関わりたくないからに決まってるだろうっ!」

足を挟んで食い止めた柚と、ドアを閉めようとするフェルナンドが、お互い譲らずに攻防を繰り広げる。
シェリーの加勢が加わり、フェルナンドは諦めたようにドアから手を放すと、迷惑そうに二人を見下した。

「で、何の用だい?」
「皆でドッジボールしよう?」
「帰れ」
「あー!」

間髪を入れずにドアを閉めようとするフェルナンドに、柚が慌てて追い縋る。

「フェルナンドとも一緒にやりたいんだ!」

柚の言葉に、フェルナンドは眉を顰めた。
腕にしがみ付いている柚が、縋るような面持ちでフェルナンドを見上げる。

「ハーデスの優しさに救われた気持ちもあるし、フェルナンドに気付かされたこともあるんだ。その人とちゃんと接していかなきゃ、いいところも悪いところも見えてこないだろう?私は、人のいいところはいっぱい見習いたいし、悪いところは変えていきたい。だから、えーっと……協力してください」

眉間に皺を刻んだフェルナンドが、無言で柚を見下ろしていた。
返事をもらえない柚が考え込み、再び口を開く。

「つまりな、皆で言いたい事をはっきり言えるような関係になりたいんだ」

フェルナンドの瞳が僅かに見開かれた。

手応えを感じた柚の顔に、しまったと内心で苦虫を噛み潰す。
考えていることが分かりやすいほどに顔に出る柚に、ある意味感心してしまう。

「家族や帰りたい場所には戻れないし、使徒よりも過去の生活に後戻りは出来ないんだ。だったらいっそ、私は今の環境を変えていきたいと思ってるんだ」
「それは神森の言っていることとそう変わりはないんじゃないかい?」

フェルナンドの顔に酷薄な笑みが浮ぶ。
柚は慌てたように首を横に振った。

「そんなんじゃない!私はただ、皆と家族みたいになりたいんだ」
「は?」
「皆に教わったり貰ったりしたように、私も何か皆に返していきたい。私に出来る事なんて、皆を大好きだって思ったり伝えたりすることくらいだけど」

父と母が、全身全霊で"愛している"と伝えてくれたように……
自分も仲間達に、家族のように揺るぎない愛情を捧げたい。

奪われた家庭という温もりを、再び自分達の手で作っていきたい。
使徒に与えられたこの場所を、心が安らげる安息の場所にしていきたい。

「そうしたらきっと、ハーデスは変わる。アスラも、アンジェも――それから私と、もちろん、フェルナンドも玉裁も」
「……何を訳の分からないことを」

フェルナンドは踵を返し、吐き捨てた。

簡単に言ってくれるが、所詮他人同士……家族になどなれるはずがない。
やりたければ、ライアンズ達のようにおせっかいな連中と馴れ合っていればいいのだ。

柚はフェルナンドの後ろから身を乗り出し、机の上の本に目を留めた。

フェルナンドの部屋には、難しい本が綺麗に並べられている。
今も、読みかけの本が机の上に置かれてあった。

本を読むという行為は、イカロスにとって自分を保つ為の息抜き行為だが、フェルナンドにとっては人として生きてきた名残や未練のように思えた。

「あ、もしかして今、あの本読んでた?」
「そうだよ!僕は忙しいんだ」
「よし、じゃあ続きは外で読もう。シェリー、その本持ってきてくれるかな」
「はい」

穏やかに微笑み、シェリーは「失礼します」と告げてフェルナンドの読み掛けの本を手に取る。
止めようとするフェルナンドの腕を掴み、柚が無邪気に微笑んだ。

「居るだけでもいいから!」
「全っ然、行かない!」

フェルナンドの腕を掴み、柚は強引に部屋の外に引き摺り出す。

柚とフェルナンドを追って小走りに部屋を出てきたシェリーは、廊下を曲がっていく玉裁の姿を見つけ、フェルナンドを引き摺って走る柚に声を掛けた。

「柚さん!孫さんが居ましたよ」
「何!玉裁、いいものやるからこっちこーい」
「ん?なんだよ」
「だ、騙されるな、玉裁!?罠だ!」

フェルナンドが上擦った声で叫ぶ。

数分後、ライアンズとフランツは驚いた面持ちで得意気な柚を見下した。
玉裁はともかくとし、フェルナンドをどうやって捕らえたのか疑問だ。

サッカーのようにボールをリフティングして双子の相手をしているガルーダと、逃げ出そうとした焔の襟首を捕らえているフランツ
ベンチに腰を下ろすジョージとヨハネスに、シェリーは紅茶を注いで差し出す。

のんびりとした歩調で歩いてきたユリアが、憂鬱そうに欠伸を漏らした。

「で、何の為にこの僕を呼んだんだい?」
「……部屋に戻ってもいい?」

落ち着かない様子で、ハーデスが柚に問い掛ける。
柚がハーデスのそでを掴み、口を尖らせた。

「駄目!昨日、戻ってから部屋に閉じこもりっきりじゃないか!体に良くないぞ」
「でも、俺……」

ハーデスの視線が、ちらりと不機嫌なフェルナンドに向けられる。
フェルナンドが、むっと眉間に皺を刻んだ。

慌てた柚はハーデスとフェルナンドの腕を掴み、向かい合わせるように引き寄せた。

「まあまあ。失敗をいつまでも責めたり落ち込んでいるよりも、二度と起こさないようにする事の方が意味のあることだ。な?」
「ふんっ……」

同意を求められ、フェルナンドが不機嫌にそっぽを向く。

ぴくりと笑顔を引き攣らせながら、柚は踵でフェルナンドの足を踏み付けた。
火花を散らす柚とフェルナンドに、昨日何があったかを知る焔が呆れたようにため息を漏らす。

「まあ、俺もそう思うぜ」
「焔……」

呟くように告げた焔に、ハーデスが小さくその名を呼んだ。
焔の手が、軽くハーデスの胸を叩く。

俯くハーデスの手を引いて、柚は手を振りながらガルーダ達の方へと歩き出した。

「さー、皆でドッジボールをしよう!」

視線が柚へと集まる。
その隣に立つハーデスは、居心地が悪そうに俯いた。

すると、ユリアが大きな欠伸を漏らし、木陰にごろりと寝転がる。

「めんどい、パス」
「付き合い悪いー。まあいいよ、居てくれるだけでも。ハーデスはやってくれる?」

柚の赤い瞳が、期待に満ちてハーデスを見上げた。
たじろいだハーデスは、首を横に傾ける。

「ドッジボールって何?」
「俺達も知らない」

アンジェと手を繋ぐライラが、大きな瞳で柚を見上げた。
きょとんとした柚はハーデスから双子へと視線を落とし、呆れた面持ちで腕を組む。

「知らないのか?憎しみを込めて相手の顔面にボールをぶつけるスポーツだ!」
「へぇ、面白そうじゃん」

ガルーダが舌なめずりをして、腕を回した。
ライアンズから、さっと血の気が引く。

「それもうスポーツじゃねぇよ!つーか、間違ったルール教えんな!」

身の危険を感じたライアンズが、肩を怒らせ怒声をあげた。
ボールを拾い上げたフランツが乾いた笑みを漏らす。

柚に任せていられないと悟ったのか、ライアンズは双子の頭を掴んで自分の方へと向けつつ、ガルーダを見上げた。

「いいですか!ドッジボールってのは二つのチームに別れ、敵の肩から下にボールをぶつけ合うゲームだ。ちなみに、ボールにぶつかったらアウト、コートの外に出て外野に回る。外野は内野にボールを当てたら中に入れる。最終的に、コート内に残った人数が多いチームの勝ちだ。決して憎しみをぶつけるゲームじゃありませんっ!いいですね?」

念を押すように迫るライアンズに、ガルーダが「ちぇ」とつまらなそうに口を尖らせる。
ぼんやりとした面持ちで、ハーデスがこくりと頷いた。

フランツが周囲を見渡す。

「えーっと、じゃあ、まず参加する人数をはっきりさせましょうか」
「俺、パ――」
「はい、私と焔は参加!」
「勝手に決めんな!?俺はやらねぇって――」
「はい、まず焔ですね」
「おい!?」

逃げようとする焔に腕を掴み、柚が手を上げさせた。
フランツは指を折り、口を開く。

「ガルーダ尉官と焔、柚、ライアン、ハーデス、アンジェ、ライラ、僕……で」
「俺はやってもいいぞ」
「私は皆さんの体力に付いていける自信がないので、審判でもしましょう」

ジョージが腕を捲くりながら顎を撫で、ヨハネスが苦笑を浮かべて名乗り出る。
シェリーがおっとりとした面持ちで、「見ているだけでも十分楽しそうですね」と微笑む。

「じゃあ、教官を入れて九人ですね。フェルナンドと玉裁はどうします?」
「僕はやらない」
「いいよ。あ、でもお昼までは近くに居てね」

柚はあっさりと頷き、フェルナンドに木陰のベンチを指した。
フェルナンドは、渋々シェリーから本を受け取り、ベンチに向かう。

木陰に寝転がるユリアは、隣を通り過ぎていくフェルナンドを横目で一瞥した。

最後に、柚の視線が玉裁へと向けられる。
その視線に気付いた玉裁に、柚は指を立てた。

「じゃあ、玉裁は参加ね」
「おい、なんでそーなる」
「だって、七人じゃチームを分けられないだろ」
「知るか」

吐き捨てる玉裁の後ろにある渡り廊下
柚は、そこを歩いてくる人物に気が付き、玉裁の影から身を乗り出して手を振った。

「アスラー、イカロス将官ー」

何故か集合している仲間達の姿に、アスラは無言で眉を顰める。
柚がアスラに駆け寄り、イカロスを見上げた。

「暇?」
「……決して暇ではないが、時間の余裕はある」
「じゃあ、一緒に遊ぼう!ね?人数が足りないんだ」
「……遊ぶ?」
「行っておいで」

イカロスは、なんと返せばいいのか考え込むアスラの背を押す。
抗議をするように無言で振り返るアスラに、イカロスは苦笑を浮かべて囁いた。

「部下の自由時間の過ごし方を知るのも、いいことだよ」
「……分かった」

丸め込まれているような気もするが、アスラは素直に頷く。

全員が集まっている光景も珍しいが、イカロスやガルーダ以外に誘われたのも初めてだ。
当然ながら、元帥である自分に親しげに声を掛けてくるものなどいない。

さすがに遊ぶと言われるとあまり気は乗らないが、自分の返事を聞いた柚が嬉しそうに笑ったので嫌な気はしない。

「イカロス将官は?」
「俺は見学――あ、分かった分かった。やるから」

アスラに睨まれ、イカロスが苦笑を浮かべながら両手を上げた。
ガルーダが嬉々とした面持ちでアスラとイカロスの肩を抱き、「懐かしい」と無邪気な笑みを浮かべて背中を押す。

「マジかよ。元帥が、あの元帥と将官がドッジボール」

こちらに向かってくる三人を見て、ライアンズとフランツが必死に笑いを堪えていた。

シェリーはその光景に目を細め、おっとりと微笑みを浮かべる。

焔がにやりと口角を吊り上げた。
途端にやる気に火が付き、ボキボキと指を鳴らす。

嫌がっていた玉裁の顔にもやる気がみなぎり出した。

「いいねぇ。あいつ等のすかした顔に堂々とボールをぶつけられる機会なんて滅多にないぜ」
「顔面はファールですよ」

フランツからボールを受け取ったヨハネスが、眼鏡を押し上げながら忠告を挟んだ。

アスラは、仲間達の顔に目を止める。

ライアンズが説明するルールを聞きながら、単純なゲームだと思った。
柚が、子供の頃によく遊んだのだと言っている言葉を聞き、やはりそういう類の遊びなのかと納得する。

人間の子供は、こんな遊びをして楽しいのだろうか?
何の役に立つのか理解出来ない。

「力の使用は禁止だから、忘れるなよ」

柚が念を押すようにアスラに告げた。
アスラは柚の顔を見下す。

能力は、アスラにとって手足を動かすことと同じ感覚のものだ。
今まで誰も、その力を使うななどと言う者はいなかった。

ガルーダ、柚、アンジェ、焔、玉裁、ライアンズの六人と、アスラ、イカロス、ライラ、フランツ、ジョージ、ハーデスのチームに分けられ、砂に棒で描かれたコートに入る。

何もかもに戸惑う。
力を切り離して何のメリットがあるのか、ますますこの遊びの意味が分からない。

イカロスが苦笑を浮かべ、考え込むアスラの肩を叩いた。

「アスラ、あまり深く考えずに楽しめばいいんだよ」
「なるほど……」

考える事を放棄したアスラを、不安そうにフランツとジョージが一瞥する。

その正面のコートでは、焔と玉裁が獲物を取り合いいがみ合っていた。
ライアンズは日頃の恨みを込め、イカロスを狙っている。

何故か、彼等は生き生きとした顔をしていた。
外で育った彼等がこれほど生き生きとした顔をしているのだ、きっと余程楽しい遊びなのだろう。

ボールを目掛け、空に向けて地面を蹴る柚を見上げた。

気持ちが良さそうに体をしならせ、空を舞うボールに手を伸ばす。
長い髪がふわりと浮き上がるように靡くと、とても眩い。

人を魅了する、生き生きとした彼女特有の表情が心をくすぐる。
愛しいと感じた、ただ純粋に……

「アスラ!」
「元帥!」

慌てたように、イカロスとライアンズの鋭い声が自分を呼んだ。

ボールが視界に飛び込んでくる。

はっと現実に引き戻されたアスラは、先程力を使うなと言われたことを思い出し、動き掛けた指を咄嗟に止めた。
耳に誰かの悲鳴が届く。

眩かった視界が黒に染まった。





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