はっとした面持ちで萎縮する青年・相澤 慎也(あいざわ しんや)を、柚はじろりと横目で見やる。

「あー……知り合いっていうか、昔私を虐めてくれた奴の内の一人だ」
「え……」

フランツと焔が、慎也をジロリと睨み付けた。
使徒二人に睨み付けられた慎也が、顔色を変えて慌てふためく。

「なっ!い、いつまでも昔のコト言うなよ!大体お前、俺達が泣いて謝るまでボコボコにしただろ!」
「柚……」

その光景があまりにも容易く想像出来てしまい、慎也に責めるような目を向けていたフランツが一変し、呆れの入り混じる視線を柚に向ける。
それと同時、焔も憐れみの眼差しを慎也に向けた。

すると、柚が赤くなって口を尖らせる。

「だって、やられたら五倍にして返せってママに教えられたんだ!」

柚の言葉に焔が青褪め、戦慄いた。

「冗談じゃねぇ!まさか、雫にも同じこと教えてないだろうな、雫がお前のような男女になったらどうしてくれる!」
「どういう意味だ、それは!私のように強く美しく育てば光栄だろ!」
「止めてください、彼が引いてますよ」

フランツが、つかみ合う二人を恥ずかしそうに引き剥がす。

すると、慎也は可笑しくてたまらないといった感じに、声を上げて笑い始めた。
柚と焔は、ばつが悪そうにそっぽを向く。

「相変わらずなんだな」
「なんだよ、それ」
「いや、安心したよ」

そう告げた慎也が、はっとした面持ちで俯き、もごもごと口篭る。
フランツと焔は、心の中で「なるほど」と納得した。

焔は興味が失せたような面持ちで慎也を見やり、口を開く。

「で、俺の荷物」
「あ、はい。すみません、すぐに」

慎也は帽子を被りなおし、慌てて荷物を漁り始めた。
壊れ物として保管されていた長い箱を慎重に取り出すと、慎也は伝票を確認しながら箱を焔に差し出した。

木製の桐箱に、現在では珍しい和文字が彫られてある。
崩された書体は読むことも難しく、受け渡された箱はとても重そうに見えた。

「中の確認をお願いします」

焔は赤い紐を解き、木箱の蓋をそっと開け放つ。

箱の中には、厳重に包まれた一振りの刀が眠っていた。
焔は箱から刀を取り出すと、感触を確かめるように赤い柄と黒い鞘を握る。

焔と一緒に覗き込んだ柚とフランツが、焔以上に目を輝かせた。

「うわー、刀だ!いいないいなー!」
「僕初めて見ました。失われた日本文明のブシですね!ちょっと貸して下さい!」
「嫌だ」

あっさりと切り捨て、焔の指が鞘と柄に掛けられた紐を解いてゆく。
はらりと紐を落とすと、焔は鞘から僅かに刀身を滑らせた。

黒塗りの鞘から姿を現した鋼色の刀身は、覗き込む漆黒の瞳を鮮明に映し出す。

「でも、いつの間に武器を決めたんですか?」
「結構前に申告した。ガキの頃、少し剣道かじってたからな……」
「今でもガキだろ」

満足そうな焔に対し、柚が半眼で呟く。
柚はカウンターに頬杖を付き、つまらなそうに口を尖らせた。

「いーいーなぁー」
「普通、武器はこんなに早く決まりませんって。柚は使いたい武器あるんですか?」
「こいつに武器なんて与えたら、ますます凶暴になるだろ」

焔が鼻で笑い飛ばし、鞘に刀身を戻す。
鍔と鞘が重なる静かな音が響いた。

少し考え込み、フランツが提案する。

「じゃあ、弓なんてどうですか?」
「無鉄砲に突っ込むことしか脳のないコイツに弓?当たらなくて、終いには武器放り投げて突っ込んでくぜ?」
「……」

普段ならば、二人が話していても会話に入ることの少ない焔が、柚よりも早く答えた。
ご機嫌な焔を、柚が恨めしそうにねめつける。

焔は夕飯の時間を惜しむように、早速武器を試しに去っていく。

「焔の分まで食べ尽くしてやる!」と吐き捨てながら食堂に行こうとした柚を、慎也が慌てて呼び止めた。
慎也は出し掛けた手にはっとして、躊躇うように俯いてしまう。

フランツは小さく苦笑を浮かべ、すっかり慎也の存在を忘れている柚に声を掛けた。

「折角ですし昔の事は水に流して、二人で少しお話したらどうです?」
「あー、うん。いいのかな?」
「僕も、いつものおじさんと仲良しなんですよ」

愛嬌のある顔に何処か悪戯な笑みを浮かべ、フランツは先に保管室を出て行く。

押し切られた気もするが、どんな相手であれ、知人と出会えたことは素直に嬉しい。
柚はフランツに苦笑を浮かべ、慎也を見上げた。

「でも、本当に久しぶりだな。まさかこんなところで相澤に会うとは思わなかった……っていうか、"知り合い"にかな。もう、知っている人とは二度と会えないと思ってたし」
「……俺は、宮が此処にいるの知ってたよ」

慎也は何処となく寂しそうな笑みを浮かべ、帽子を脱いだ。

「座れよ」と促しながら、慎也は近くのダンボールに腰を下ろす。
柚もそれに習い、保管室の中に置かれたダンボールの上に座り込んだ。

あまり保管室に来たことはない。
何でも手に入るとなると、不思議と物欲が失せるのだ。

呼び止めたわりに、慎也は柚と目を合わせようとしない。
持て余すように、指が脱いだ帽子の鍔を撫でて往復する。

会話が続かない為、柚が何を話そうかと考え込んでいると、慎也は照れたように視線を落としたまま口を開いた。

「宮のこと、ニュースで知って本当に驚いた」
「だよな、私も自分で驚いた」
「そっか」

やっと顔をあげた慎也が、陽だまりのように無邪気さを残した笑みを返す。
柚は少し肩から力を抜き、改めて慎也に声を掛けた。

「相澤と会うのは何年ぶり?」
「五年以上は経ってる。でなきゃ、此処に入れないんだってさ」
「え、そうなの?」
「ああ。血縁者を除き最低五年以上、使徒とその親族や関係者と接触したことのないことが確認できた場合のみとか、いろいろ煩いんだぜ」
「分かる分かる、こっちもそうだよ。家族に会うなとか、手紙もだめとか、訓練しろーとか!」
「使徒ってのも、大変だな」

慎也を見上げた柚は、その視線に同情というよりは心配が入り混じっている事に気付く。

かつてのいじめっ子に心配されるとは……と、柚は内心苦笑を浮かべた。

こうして改めて話してみれば、彼の以前と印象が全く違って感じる。
当然だろう、五年も立てば人は成長するのだ。

「私、ここにはあんまり来ないんだけど、いつも相澤が来てるのか?」
「いや、二日前から先輩の代理。先輩が怪我しちゃってさ」
「怪我?大丈夫なのか?」
「ただの骨折だよ。脚立から落ちたんだ、って言っても先輩年だからな」
「そうか……早く良くなるといいな」
「……そうだな」

慎也は小さな窓の外に視線を投げ掛け、小さく呟く。

外は日が落ち、すっかり暗い。
慣れない自分の作業では、軍の宿舎に戻る頃には翌日を迎えているだろう。

慎也は帽子をかぶり直した。
照れ隠しのように弄られる帽子

柚は小学生の頃のことを思い出した。
もう、慎也からは何処にもあの頃の面影を感じられない。

あの頃自分は四年生で、同じクラスに相澤 基也(あいざわ もとや)という男の子がいた。

基也はクラスのリーダー格で、ある日、柚の尖った奇形型の耳が変だと騒ぎ出したのだ。
それはクラス中に伝染し、クラス中の男子や一部の女子が、便乗して柚を冷やかした。
相澤家と宮家は家が近かったので、登下校の途中まで兄弟揃って柚を虐めたのだ。

ある日、相澤家が引越ししたことにより、次第に虐めも消えていった。
それは、あまりにも突然の転校だったことを覚えている。

「相澤はいつ軍に入ったんだ?相澤弟は?どうしてる?」
「基也は……死んだよ」
「え?」

柚が呼吸を忘れ、目を見開いた。
"死んだ"という単語が、あまりにも唐突で理解出来ない。

帽子の鍔が、慎也の目を覆い隠してしまう。

「家族で遊園地に行ったんだ。そこでテロに巻き込まれて、皆死んだ。俺だけ生き残って施設に入って、高校行く金もなかったから軍に入った」
「それが、転校の理由……?」
「まあな」

なんということもないと言うように、慎也は笑った。
その笑みの中に、見逃してしまいそうな悲しみが尾を引く。

柚は深く俯いた。

慎也にとって、自分との再会は嫌なことを思い出すだけかもしれない。
彼が大変な思いをしていた頃、自分は何をしていただろう……?

テロが横行する時代だ、テロに巻き込まれて家族を失う者もいる。
だが柚は両親も健在で、常に友達と笑って過ごして来た。

つくづく自分は幸運で、世間に無関心だったと痛感する。
それはひどく罪深く、恥ずかしい事に思えた。

「ごめん、嫌なこと聞いて」
「別に、もう昔のことだよ」

慎也は苦笑を浮かべ、「慣れてる」と付け加える。
それが一層、柚に罪悪感を植えつけた。

「昔の俺、嫌な奴だったよな」
「そっ……んなことは、あったけど」
「否定しろよ」

慎也が笑う。
ほっとしながら一緒に笑っていると、窓口が音を立てて開き、派手ないでたちの青年が顔を出した。

柚の天敵とも言うべき男・孫 玉裁(そん ぎょくさい)の出現に、柚がぎくりと身を強張らせる。
柚に気付くと、玉裁はにやりと笑みを浮かべて保管室のドアを潜った。

「へぇ、一人でいるなんて珍しいじゃねぇの」
「ひ、一人じゃない」

ニヤニヤと笑みを浮かべて近付いてくる玉裁のピアスが、歩くたびに音を立てる。
柚は、物怖じしながらも玉裁を睨み返した。

柚の目の前で足を止めた玉裁が、腰を折って柚の顔を覗き込んだ。
ミント味のガム風船が膨らむ。

柚が玉裁を退けようとすると、その手を掴み、玉裁が引き寄せた。

「なんだよ、つれないんじゃねぇ?俺とも仲良くしてくれよ」
「はなせ!」

柚が玉裁の足に、ブーツの踵を振り下ろす。
玉裁は素早く柚の手を離し、後ろへと足を退いた。

余裕を漂わせるようににやりと笑う玉裁に、柚が身構える。

「おっ、やる気?」
「然り!三十六計逃げるに如かず!」

脱兎の如く逃げ出した柚を、構えかけた玉裁がぽかんとした面持ちで見送った。
玉裁は思い出したように舌打ちを漏らす。

呆気に取られていた慎也も、玉裁に気付かれないように声を押し殺して笑った。





夜になり、特殊能力国家研究所の所長"モリス・ドルチェ"に呼び出されたアスラは、差し出された数値を見て顔をあげた。
ドルチェはふくよかな体が重いのかに、ソファに沈むように座り込んだ。

「結果が出たので報告をしておこうと思ってね。ここ数日、柚君の数値が乱れている件だが」
「それで原因は?」

使徒の力は、感情に左右されることがある。
淡々と問い返すアスラに、医師のラン・メニーが肩を竦めた。

「なんてことはないよ。推測するに、"PMS"の一種ではないかな」
「PMS?」

聞きなれない言葉にアスラが眉を顰める。
マイペースなランは肩を竦め、もう片方の手でくるくるとペンを回す。

「"月経前緊張症"、もしくは"生理前症候群"などなど……症状は人によってさまざま。女性の性周期には卵胞期・排卵期・黄体期・月経期という流れがあるけど、主に黄体期の症状だね」
「身体的なものや、怒りっぽくなったり理由もなく悲しくなるというような精神的なものなど、女性であれば誰にでも起こり得る症状です。むしろ、女性として健康である証ですよ。取立てする程のものでもありません」

ヨハネスは安心したような面持ちで、朗らかに説明を補足した。

「原因はエストロゲン、プロゲステロンなどのホルモンの低下です。生理前から生理中にかけて女性ホルモンは最低値になります。また、セロトニンという苛々を鎮め、精神を抑制する系統のホルモンが低下するのも原因です」

アスラが僅かに首を傾ける。
その隣で話を聞いていた将官・イカロスは、若葉色の瞳を細めて頷き、納得したように苦笑を浮かべた。

「最近柚ちゃんの感情が不安定だと思ったらそういうことだったんだね。この間もアスラが怒られたって言ってただろ?」
「……その"PMS"というのが原因なのか」

「アスラにも原因があったけど」と、イカロスは心の中で呟く。

イカロスは心を見る力を持つが、他者の心を見るのはイカロスの視点からとなる。
柚が苛立っていたことには気付いても、そもそもの原因が把握できず……その理由が女性特有のものともなれば、本人の自覚がない限りイカロスでさえ理解出来ない。

イカロスが、隣に立つアスラへと視線を向けた。

「だからアスラ、君も寛大にね」
「……そういう理由があるのならば、仕方がないな」

少しだけ不満そうにアスラが頷く。
素直に頷くアスラに、イカロスは満足そうに笑みを浮かべた。

「彼女が親告した本来の月経周期からは少し遅れているけど、体温検査で黄体期であることは間違いないよ。力が不安定になりだした時期と重なるから、これは使徒にとってPMSの一種であることは間違いないだろうね」
「こちらとしても、女性の使徒を扱うのは初めてでね。なかなか他国からの情報も入りにくい。君も、彼女の変化には十分注意して欲しい」

ランやドルチェは、使徒の女性に起きた現象に驚きと感動を感じている。
だが、アスラやイカロスからすれば、驚くべき点が違っていた。

ヨハネスが、念を押すように告げる。

「これは女性自身も気付かないような、ごくごく些細な変化なんです。だから決して騒ぎ立てないようにお願いします」

研究室を出る際に渡された資料に視線を走らせながら、アスラはゆっくりとした歩調で廊下を歩いた。

「性別の違いっていうのには、単純じゃないね」

アスラの頭に刻み込まれていく情報を共有しながら、イカロスはしみじみと告げる。
イカロスに言葉に、アスラは静かに頷き返した。

女性との生殖行為に及ぶ事はあるが、行為が終われば女はすぐに部屋を出て行く。

研究所で生まれ育った使徒は、女性と生活の時間を共有した経験がない。
生理という現象は知識として知っていたが、改めて直面するとどう接すればいいのか戸惑うばかりだ。

そんなアスラに視線を向け、イカロスは僅かに口元を緩めた。

「柚ちゃんの心配をするのはいいことだけど、アスラはもう少し肩の力を抜いていいんじゃないかな。本当にたいしたことじゃないみたいだし、何もしなくていいと思うけどなぁ……」
「そうか?」
「うん。女の人は、そういう点には触れて欲しくないだろうし。柚ちゃんだって、初潮ってわけじゃないんだから、俺達よりよっぽど慣れてるよ」
「……ふむ」

考え込んだ面持ちになるアスラに、イカロスは腰に手を当てて苦笑を浮かべる。

「アスラ。君が見送っているあの案件のことだけど、俺はやっぱり賛成だな」
「……一般人を入れるのは気が進まない」

それは表向きの理由だった。

イカロスにはアスラの考えが手に取るように伝わってくるが、アスラとは長い付き合いだ。
例え心を読む力がなくとも、アスラが渋る理由を知っている。

「"彼"に人選を任せるのが嫌なんだろう?けど仕方がないさ、俺達では選びようもない」
「……」

食堂の前に差し掛かり、アスラはイカロスの言葉に返事を返す前に足を止めていた。

夕食時だと言うのに、食堂の人気はまばらだ。
研究員はほとんどが不規則な生活を送り、使徒はもともと人数が少ない。

そんな中、ライアンズやフランツと共に談笑をしながら、柚が食後ののんびりとした時間を過ごしていた。

「あ、イカロス将官!と、アスラ」

二人に気付いて手を振ってくる柚からおまけのように言われたアスラが不機嫌になる。
さらに、柚が手にするコーヒーカップにアスラの視線が止まり、イカロスは嫌な予感を覚えた。

アスラは食堂に踏み込み、柚を見下ろすように立つ。

「柚、コーヒーは止めておけ」
「え?なんで?」

柚は不思議そうに目を瞬かせ、アスラを見上げた。

「PMS時、カフェインの摂取はよくないと書いてあった」
「は?何?PMS?何それ……」
「生理前に起こる苛々したりする症状だ」

柚の目元が、ひくりと引き攣る。
イカロスが頭を抱えながらため息を漏らし、ライアンズとフランツが青褪めた。

「PMS時には、ハーブティーのようなリフレクソロジーや低蛋白・高炭水化物食、ビタミンB6・カルシウム・マグネシウム・ビタミンEなどが……」

そんな周囲の変化に気付こうともせず、渡されたばかりの資料を片手に黙々と語るアスラの手前

「落ち着け、柚!元帥なりにお前を理解しようと頑張ってるんだぞ!」
「悪気はないんです!むしろ心配してるんだと思います!許してあげてくださいっ!」
「放せ、あのすかした顔にコーヒーをぶちまけてやる!?」

殴り掛かろうとする柚を、ライアンズとフランツが必死に押さえている。

食堂から追い出されたアスラが、「何がいけなかったのだろう」と呟く姿を見詰めながら、イカロスは頭痛を覚えた。





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