26


集中していた柚は、気を乱すような波動に眉を顰めた。
下からハーデスの叫ぶ声が聞こえ、渋々瞼を起こす。

「へ?」

山を震撼させる巨大な爆音が響き渡った。
熱風と共に、空気を震撼させる爆風が襲い来る。

「うわぁあ!?」

腕で顔を覆った瞬間、小さな足場の上にいた柚の体は毟り取られるように吹き飛ばされた。

空間を飛んだハーデスが、吹き飛ばされる柚に手を伸ばす。
その手を取ろうとした柚の指先とハーデスの指先が霞め、するりと遠ざかる。

あっという間に前も見えない白煙に呑み込まれ、柚は地面へと叩き付けられた。

「っう゛!?あんの、馬鹿焔ァ!!ったたたた……」

勢い良く怒声と共に立ち上がった柚は、足首を押さえて蹲る。
どうやら捻ったらしい、腫れていそうでブーツを脱ぐのが恐ろしい。

涙目になりながらも、見付けたらぶん殴ってやると呪いの言葉を吐き捨てた。

「なんで山火事を消しに来て、火事を大きくしてるんだ!あの馬鹿、大馬鹿、アホンダラー!!」

苛々が収まらず、空に向かって一人大声を張り上げていると、煙をおもいっきり吸い込んでごほごほと噎せ返る。

「うぅ……ここ、何処だ?皆は?」

気付けば、たった一人
途端に心細くなった。

柚は近くの木に手を付き、恐る恐る立ち上がる。

薄暗い森の遠くに、炎が見えた。
今にも自分に襲い掛かってきそうな炎が不気味に映る。

すると、枯葉を踏むような足音がゆっくりと近付いてきた。

柚はぎくりと体を強張らせる。
心臓が破裂しそうな程にどくどくと音を立て始めた。

これが敵だったら……と思うと、現在非常に不利な状態だ。
木の根に身を寄せ、一体化するように蹲る。

「おい」
「うぎゃぁああ!?」

ぽんっと肩を叩かれた柚は、悲鳴と共に肩に置かれた手を掴み、気合一発、投げ飛ばした。

「どわぁあ!?て、てめぇ、何しやがる!!」

地面に背中から叩き付けられた焔が起き上がって声を荒げる。

柚は目を瞬かせ、溜め息と共にへたりと座り込んだ。
柚はすぐさま目を吊り上げ、舌打ちを漏らした。

「驚かせるな。ほんっと、腹立つな!」
「てめぇが勝手にビビってたんだろうが!」
「それは皆には黙っておいてね、焔君!」
「言いふらしてやる!」

青筋を立てて二人は睨み合う。

落ち着くと、柚は座り込んだまま周囲を見渡した。

焔は噎せながら手で煙を払う。
煙が濃くなり、迫ってきている。

柚は焔に振り返り、煙を避けるように口元を手で押さえながら問い掛けた。

「皆は?って、知るわけないよな」
「ああ、俺はお前の馬鹿でかい愚痴が聞こえたから来ただけだ」
「馬鹿でかいは余計な」

柚はむすっとした面持ちで吐き捨てる。
気分を切り替えるように、柚は息を吐き出し、空を見上げた。

「さて、時間もあんまりないんだ。改めて火を消すぞ」
「おい、今力を使ったら確実にハムサが来るぜ」

腰に手を当て、焔は他人事のように告げる。

「でもやるしかないだろ」
「はァ?」

焔が呆れた面持ちを浮かべた。
柚は身を乗り出す。

「さすがにこれだけ大規模な場所に雨を降らせるとなると、ある程度集中する時間が必要だ。その間、私は無防備になる。ハムサは確実に邪魔をしにくるだろう。ハムサは焔に任せるけど、問題はアルヴァなんだよな。まずはフェルナンドかハーデスと合流するのが先か……」

柚が足を気遣うように立ち上がった。
焔はそれに気付き、眉を顰める。

「足、どうかしたのか?」
「ああ、誰かさん達の爆発に吹き飛ばされて挫いたらしい」
「そりゃー、悪かったな」

焔が悪びれた様子もなく謝った。
その態度に柚の眉がぴくりと吊り上り、柚は焔に掴み掛かる。

「もっと反省しろ、猛省しろ、土下座しろ!」
「どうせお前には自己治癒があるだろ!?」
「皮膚に負った傷はすぐ治るけど、こういうのは少し時間が掛かるんだ。前にアスラに腕を捻られた時も、治るまでに一、二時間は掛かった」
「安心しろ、普通の奴は一、二時間で治らねぇよ」

半眼で返す焔に、柚は「ふんっ」と鼻を鳴らし、腕を組んだ。
焔はそんな柚をちらりと見やり、溜め息と共に焔は刀を置き、柚に背を向けてしゃがむ。

「乗れ」
「ふんっ、お姫様抱っこじゃなきゃ嫌だ」
「お前なァ……」

焔が顔を引き攣らせた。

「っていうのは冗談。一人で歩ける、行くぞ」

素っ気なく告げ、軍服に付いた落ち葉をぱたぱたと叩き落とすと、柚は近くの木に手を付いて歩き出す。
痛めた足を庇うように歩く柚に、焔は刀を押し付けて溜め息を漏らした。

「わかったわかった。好きなようにしてやるから、これ持ってろ」
「いいってば」
「なんだよ、いきなり。訳わかんねぇ」

焔が不機嫌に吐き捨てる。
一昨日の夜のことを気にしているのだろうかと思ったが、それを口にすれば自分が気にしているといっているようなものだ。

ちらりと視線を向けると、柚は不貞腐れたように口を尖らせている。

「だって、やっぱり恥ずかしいもん」
「はァ?んなもん、させられる俺のほうが恥ずかしいぞ!つーか、てめぇがやれって言ったんじゃねぇか」
「そりゃあ、お姫様だっこは乙女の憧れなんですー」
「誰が乙女だ、誰が」
「私だ、わーたーし。一応、か弱いレディなんだ」

柚は、つんとした面持ちで吐き捨てた。

「焔だって、一応男だろ」

窺うようにちらりと向けられる眼差しと共に告げられた言葉に、焔は思わずたじろぐ。
確実に、一昨日の夜の事を言われている気がした。

頬がほんのりと染まっている柚に釣られるように、焔は赤くなりながら口を開く。

「い、言っとくが、一昨日のは誤解だからな!」
「わかってますー」

不貞腐れたように、柚は口を尖らせた。

「シェリーには好きな人がいるし、焔からって様子でもなかったし」
「……」
「焔は、不器用だからな」
「それ、どういう意味だよ……」

焔は眉を顰める。
柚は苦笑を浮かべた。

「本気じゃない相手と、そういうことできる奴じゃないだろ」
「……買い被り過ぎなんじゃねぇの?男ってそういうもんだぜ」
「じゃあ、一昨日どうなんだ?」
「ばっ!すぐに追い返したに決まってんだろ!」
「ほら、やっぱり」

くすくすと笑う柚に、焔は眉を顰める。

あまり自分に気を許すなと言いたくなった。
理性など、容易く崩れるものなのだ。

「でも、焔も男だったんだなって思ったんだ」

だったら、今までなんだと思っていたのだろう?
恐ろしくて聞くに聞けない。

柚は腕を組むようにして、抗議をするように焔から半分、体を背けた。

「正直、ちょっと寂しかったな」
「え?」
「後から冷静に考えれば、二人が好き合ってるとかじゃないって気付いたけど、あの時は思いっきり誤解したし。焔がシェリーのものなんだって思ったら、寂しかった。私、焔に凄く甘えてたんだって気付いた」

「自立するんだ」と気合を込めて告げる柚を、ぽかんと見詰める。

「だって、焔ってば文句は言うけど、結局最後には私の我侭に付き合ってくれるんだもん」

焔から、呆れた溜め息が漏れた。

がしがしと頭を掻くと、焔は柚の腕を掴んで引き寄せる。
驚いた柚の顔を見下ろすと、少しだけ意地悪な笑みが浮かんだ。

「我侭なんて、雫の相手で慣れてんだよ」
「うわぁ!?」

地面を離れかけた柚の膝を掬い上げ、焔は柚の体を抱き上げた。

「落ちる落ちる!」
「だったら掴っとけ」

渋々、柚は焔の首に腕を回す。

気恥ずかしさに、二人は赤くなりながら黙り込んだ。
触れる手が、お互いにぎこちない。
まるで火傷をしそうな気がする。

焔は柚から顔を背けるように呟いた。

「俺は、本当に嫌なことは嫌って言うぜ」
「……そっか」

柚は瞼を閉ざし、力を抜くように微笑みを浮かべる。

「じゃあ、お言葉に甘えようかな。重くない?」
「重い、腕が痺れる」
「そりゃ、悪う御座いましたね」

柚は口を尖らせ、焔の首に回す腕に力を込めた。

そんな二人の会話を邪魔するように、風に吹かれた煙に二人はごほごほと噎せ返る。
木々に視線を向けた柚は、赤くなった顔を伏せながら遠慮がちに口を開いた。

「焔、もう降ろして。恥ずかしい」
「誰も見てねぇよ」
「でも……」

柚が、焔の背後へと指を向ける。

「そこでフェルナンドとハーデスが見てる」
「ギャー!?」

顔から湯気を出しそうな勢いで赤面した焔が、悲鳴と共に柚を手放す。
地面に落とされた柚が声にならないうめき声をあげる中、焔が落ち葉に埋もれて悶絶した。

ハーデスは柚に歩み寄り、心配そうに柚の体を気遣う。
何故か一人泥だらけになったフェルナンドが、とてもばつが悪そうに咳払いと共に口を開いた。

「痴話喧嘩は終わったのかい?」
「いや、痴話喧嘩じゃないし。っていうかフェルナンド……ヘドロ付いてるぞ」

歩く度に水音をさせているフェルナンドを、柚が指差す。
フェルナンドは真っ赤な顔で「うるさい!」と怒鳴り返し、神経質そうに体を戦慄かせた。

「君達との任務は、もううんざりだよ!金輪際願い下げだ!」
「私悪くなーい」
「あ?俺、かぁ?」
「どっちもだ!?」

つんっとそっぽを向く柚に、焔が首を傾げる。
フェルナンドは地団駄を踏んだ。

「とにかくもう、僕はさっさと終わらせてシャワーを浴びたいんだ!」
「確かに……煙の匂いが染み付いてる感じだし、髪も砂と煤まみれだし。っていうか、フェルナンドくさーい」

柚が口を尖らせる。
フェルナンドは拳を握り締め、怒りに震えた。

「とにかく、火を消すよ。火を消している最中、ハムサは確実に邪魔をしてくる筈だ。そこでアルヴァを利用する」
「アルヴァ?」
「報告を交わしていないのか?君達は一体何をやっているんだい。ああ、ごめんよ、任務そっちのけで痴話喧嘩だったね。失礼」
「「ぅ……」」

フェルナンドにじろりと睨み付けられ、柚と焔が首を竦めた。
首を傾げるハーデスを押しのけ、フェルナンドは腕を組んだ。

「この山火事を起したのはハムサ、それを止めに来たのがアルヴァ」
「あ、そういえば、アルヴァは声からして相当若いと思ったけど、どうかな?」
「僕も同感だ。それから実戦に慣れていない。ま、君達よりはマシだろうけどね」

棘のある言葉に、柚と焔は居心地が悪そうに黙り込む。

「ついでに、とんでもない生真面目タイプだ。その性質を利用する。というわけで、早速此処を移動しよう。さっき、誰かさんに吹き飛ばされて沼を見付けたんだ」
「そこに落ちたのか?案外ドン臭いな。実際臭いけど」
「う、うるさいっ!そもそも僕は肉体労働には向いてないんだよ!」

得意気に説明を始めたフェルナンドに、鼻を摘んだ柚が呟く。
焔が同情の眼差しを向けた。

「柚、あんまり虐めちゃだめだよ。フェルナンド、泣きそう」
「そりゃ悪かった、ごめんね」
「なんていうかまぁ、俺も悪かったよ」

ハーデスに咎められ、わざとらしく舌を出して謝る柚に、フェルナンドの額に青筋が浮かび上がる。

「君達、本当に嫌な性格してるね……」
「フェルナンドほどじゃないさ」
「君のその減らず口にヘドロを突っ込んでやりたいよ……」

笑顔で返す柚に、必死に怒りを堪えるフェルナンド
何処となくすっきりした面持ちで、柚は「さて」と息を吐いた。

「どうするんだ、指揮官殿」
「やっとやる気になったね。宮は沼の水を媒介に雨を降らせて火を消す。僕と西並、それからハーデスとでハムサとアルヴァを引き付ける。ただし深追いは許可しない、特にアルヴァは未知だ」
「未知だからって、見逃すのか?」
「僕は石橋を叩いて渡るタイプなんだよ」

焔の言葉に、フェルナンドは睨み返す。

「君達のような足手纏いさえいなければ、僕だって少し位無茶はしてたさ。手柄はいくらでも欲しいからね」

フェルナンドの酷薄な顔に、涼しげな笑みが彩る。
顔を引き攣らせた柚の顔には、すぐに挑戦的な笑みが浮かんだ。

「今にみてろ。お前なんかよりも強くなって、今の言葉撤回させてやる」
「ふんっ、出来るものならやってみな」

フェルナンドは、余裕のある物言いで返す。

能力も高いが、フェルナンドの武器はその頭脳だ。
いつも取り澄ました顔をしているフェルナンドがヘドロにまみれている姿は、柚にとって不謹慎ながら何処か親しみを感じた。

フェルナンドの案内で傾斜を下る。
フェルナンドが通った跡だろう――背の高い草木に獣道のように軽く踏みしめられていた。

その先にひっそりと聳える沼は小さいものだったが、周囲の土はぬかるみ、次第に普通に歩くことすら困難になってくる。

フェルナンドを先頭に、柚を背負った焔は柚が水で作った足場を転々と進み、開けた沼の中央に立つ。
その後にハーデスが続いた。

柚は焔の背から降りて濁った水を覗き込み、不服そうにフェルナンドに振り返る。

「汚い水だな」
「水に変りはないだろう、文句を言うな」

フェルナンドは「ふんっ」と鼻を鳴らし、腕を組んで周囲を見渡すと、短く作戦の開始を告げた。

柚は自分で作った足場に片膝を付き、水面に右手の指先を浸す。
小さな波紋が幾重にも重なり始め、次第に波紋は水面全体に広がっていく。

それに呼応するかのように、周囲の木々がざわめき立った。
焔が刀に手を掛ける。

「西並!」

フェルナンドが鋭く声をあげた。
わかっているとばかりに焔は足場の水を蹴り、刀が鞘を走る。

木々を焼き尽くしながら、青白い雷が目にも留まらぬ速さで沼の中央にいる四人に迫った。

焔の刀からは、抜刀する鞘と鍔を繋ぐように炎が溢れ出し、獣の尾のように刃の起動を追いかけて炎が踊る。
刀を頭上から振り落とした衝撃と共に、焔がハムサの雷に向けて炎を放つ。

双方の力が正面からぶつかり合い、熱風が激しく髪を揺らした。
フェルナンドは迫ってくるハムサへと氷の矢を放ち、焔の着地地点に氷で足場を作る。

片腕で顔を覆った柚は、はっと空を見上げた。
暗雲が立ちこめ、雷が柚と周囲を引き裂くように降り注いだ。

ハーデスとフェルナンドが飛び退くと、フェルナンドが足場にしていた氷が粉々に砕け散る。

そちらに気を取られた柚の頭上に雷が走った。

逃げようとして、足の痛みに一瞬反応が遅れる。
何処からともなく、アルヴァの「エヴァ」と叫ぶ焦った声が聞こえたが、声は雷鳴にかき消された。

柚が避けようとするよりも早く、フェルナンドの矢が雷を貫いて相殺する。

はらはらと氷の燐光が降り注ぐ中、氷の上にフェルナンドがふわりと舞い降りるように着地した。

「この僕が付いているんだ。これしきの事でうろたえないで貰おうか」
「フェルナンド……」
「予定通り、君のピンチに釣られてアルヴァが来た。全て僕の計画通りだろう?」

振り返りもしないフェルナンドの視線は、自信に満ち溢れた笑みを浮かべながら真っ直ぐと前を向いている。
柚はフェルナンドを見上げ、無言でこくりと頷き返した。

森の奥からアルヴァが姿を現し、ハムサに迫る。

「ハムサ!貴様、エヴァに手を出すとは何事か!貴様の愚行、目に余る!」
「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあとうるせぇな、女かてめぇは!黙らせっぞ!?」

アルヴァがハムサに対する怒りに吠えた。
ハムサは苛立ちを露わに、アルヴァに怒鳴り返す。

「おいおい、仲間割れか?」

いぶかしんだ面持ちの焔が呟きを漏らした。
ハーデスが首を傾げつつ、フェルナンドへと振り返る。

フェルナンドは、淡々とした面持ちで軽く右手を上げた。

「丁度いい、宮、ハーデス。作戦第二段階に移行する」
「りょーかい」
「了解」

フェルナンドの合図に、柚の緊張感に欠ける返事が返る。

柚の指先が水面を刺激するように弾く。
指に弾かれて飛び散った水の雫が、弾けるような音と共に、一瞬にして水蒸気へと姿を変えた。

瞬く間に、右も左も分からないほどの濃い霧が一帯を包み込んだ。
世界が白へと埋め尽くされる。

フェルナンドが口角を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。





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