25


「っ……」

枯れ葉の上に倒れこんだ柚は、腕を擦りながら体を起こした。
その隣に倒れ込むフェルナンドが、悪態を漏らしながら体を起こす。

「状況は?どうなっているんだい」

フェルナンドは額を押さえながら周囲を見渡し、柚の手首にまだ巻き付いている鎖に気付いた。
鎖を視線で辿った先には、鎖鎌を手にした男が一人佇んでいる。

長いローブに身を包み、肌を一切見せようとしない。
アシャラの面を付け、さらに用心を重ねるようにフードを目深にかぶっている。

だが、明らかにアシャラとは違う雰囲気を纏っていた。

それに柚も気付いたのか、緊張した面持ちで身を強張らせる。
柚は視線を男の向けたまま、躊躇うように口を開いた。

「なんだ、こいつ。アシャラじゃないよな」
「数字持ちだろうよ」

フェルナンドの頬を汗が伝い落ちる。

「冗談じゃない、なんで数字持ちが二人も来ているんだ。こんな山火事に!」
「え、二人?あ、本当だ、焔……ハムサと戦ってるのか?」
「ただの鎮火が任務だったはずなのに……!ここで君を奪われたらとんでもない失態じゃないか!」

フェルナンドが柚の腕を掴む。
柚は踏み止まり、手首の鎖を外しながら仮面の男を見上げた。

「お前は何なんだ?山に火をつけたのもお前か?目的は?」

男は鎖を外す柚を止めもしなければ、微動だにもしない。
僅かな間を置いて、異質な仮面が僅かに揺れ、男は傅くように膝を折った。

「我が名は"アルヴァ"――若輩ながら、アダムより四の数字を賜るものです」

フェルナンドが目を見開き、息を呑んだ。

柚は暗記させられた数列を思い出す。
ハムサが五、サラーサが三――つまり……

「あのハムサよりも上じゃないか」
「最悪だ!」

理解する柚の隣で、フェルナンドが舌打ちを漏らす。
傅いていたアルヴァが音もなく立ち上がった。

「いかにも。この火事は我々の本意ではありません。勝手な行いに走ったハムサを連れ戻しに参りましたところ、エヴァをお見掛け致しました。このような場所で貴女とお会いできるとは思っておりませんでした、お会いできて光栄です」
「なら、私に構わずさっさと連れて帰れ。私達は火を消さなければならない、ハムサは迷惑だ」
「さっきから、君は何を普通に話しているんだい!?相手は神森だよ!」

フェルナンドが苛立った面持ちで柚の肩を掴んだ。

「だって、ハムサを連れ戻しに来たんだろ?だったら今は火を消すことが優先だし、邪魔なハムサは連れ帰ってもらうに越したことはないじゃないか」
「話し合いの通じる相手が、テロ行為なんてするか!?」

フェルナンドが地団駄を踏みそうな勢いで柚に怒鳴り掛かる。
柚は腕に撒き付いていた鎖を外し終えると、木の葉の上に投げ捨てた。

「どうなんだ、アルヴァ」
「ハムサは連れ帰ります。エヴァ、あなたと共に」
「ほらみろ、やっぱりそう来たじゃないか!逃げるよ!」

フェルナンドが柚の腕を掴んで走り出す。
その行く手を阻むように鎖鎌が木に突き刺さり、フェルナンドは振り返り様に弓を引いた。

弦を引く手と弓を構える手の指を繋ぐように、氷の矢が真っ直ぐと伸び、アルヴァに向けて放たれる。
矢をかわしたアルヴァを目掛け、刃は魚雷のように向きを変えてアルヴァを追う。

振り返ったアルヴァが掌を翳すと、氷の弓が折れて砕け散る。
フェルナンドが口元に笑みを浮かべた瞬間、折れた弓は地面に落ちることなくアルヴァに襲い掛かった。

「……小賢しい」

アルヴァが再び手を翳す。
途端に弓は内側から粉砕し、さらさらと粉々に砕け散った。

まるで燐光のように散っていく氷をアルヴァの掌が握り潰す。

「フェルナンド・リッツィ――中級クラス・第四階級ドミニオン、だったな。私の力がいかほどのものか、試すには不足ない相手だ」
「数字持ちの首ひとつでも持って帰りたいところだけど、今はお荷物を抱えてるんでね。悪いけど、君の相手をしている暇はない」
「お、お荷物って、まさか私!?」
「他に誰がいるんだい?君がノコノコと捕まったから、こういう状況に陥っているんじゃないか」
「うっ、それは」

柚が口篭った。

その瞬間、柚と向き合うフェルナンドの目前に、鎖鎌を構えたアルヴァが滑り込む。
足元の木の葉が舞い上がる中、浮ぶように異質なアシャラの面の下から、鋭い声がフェルナンドへと向けられた。

「エヴァに無礼の数々、許しがたい」
「っ!?」

アルヴァの鎌がフェルナンドの胸元を裂く。
続くアルヴァの猛攻を弓で防ぎながら、フェルナンドが声を荒げた。

「なっ、なんて事をしてくれるんだ!この僕が手傷を追わせられるなんて!」
「それより怪我が……」

傍観する柚がおろおろと叫ぶ。

アルヴァがフェルナンドに鎌を振り下ろした。
空気を裂く音と枯れ葉を踏み付ける音が響く。

「うるさい!」

掬い上げるように鎌を弾き、フェルナンドは柚に怒鳴り返した。

フェルナンドは飛び退くと、ぱっくりと切れた軍服を掴み、怒りに震える。
その瞳がアルヴァを睨み付けた。

「どいつもこいつもっ――僕の計画をめちゃくちゃにして!もう許さない!僕は自分の計画を狂わせられるのがこの世で最も不愉快だ!」
「もっともらしい顔でいってるけど、世間はそれを我侭と言うんだぞー!」

遠巻きに、柚が遠慮がちな突っ込みを入れる。

木の上に移ったアルヴァは鎖を左手に持ち、鎖を回転させた。
投げ放たれた鎖を、フェルナンドが地を蹴ってかわす。

氷を足場に空へと駆け上がったフェルナンドが、四本の指を立てて弦を引いた。
四本の矢が地上のアルヴァに狙いを定め、放たれる。

だが、矢はアルヴァに触れる前に目前で砕け散り、アルヴァは鎖を放つ。
鎖はフェルナンドに触れる前に、フェルナンドが張った氷に跳ね返された。

柚はその様子を見守りながら、眉を顰める。

(駄目だ……)

柚は赤く燃え上がる空を見上げた。
煙が風に漂ってくる。

(アルヴァは能力を出し惜しみにしている、フェルナンドもそれを警戒していて全力で戦っていない――このままじゃ決着が付かない)

煙に、柚は小さく堰を漏らした。

(焔もハムサも、消火そっちのけ。ハーデスの力じゃ、消すことは出来ない……でも、頭に血が昇ってるフェルナンド一人にここを任せて平気なのか?とはいえ、私ここにいても役に立ってないしな)

視線を感じた柚は、はっと顔を向ける。
アルヴァを相手にしながら、フェルナンドが冷静な一瞥を投げた。

柚は小さく目を見開く。

(フェルナンドの奴、冷静じゃないか。っていうと、さっきのは怒ったふりか?相手を騙す為の?)

柚は空を染める灰色の煙を見上げる。
そして、「よし」と笑みを浮かべた。

体の奥から沸騰するように水の音が響きだす。

頭の中に、空から水を降らせるイメージを描く。
伴って空気中の水分に力を送り込めば、水の姿が具現化して動き始めるのだが、今日はどうにも動きが鈍い。
柚は思わず「あっ」と声をあげた。

(そっか、この間習ったやつか!)

柚はジョージの言葉を思い出して顔を顰める。

(火の中だから、ここは私にとって不利な場所だ)

氷属性のフェルナンドにも言える事だ。
得体の知れないアルヴァとの戦いが長引けば、フェルナンドにとっては不利になっていくばかりだ。

柚は水で足場を作りだし、空へと駆け上った。
頂上のブロックの上で膝を付き、炎と煙に覆われた森を見下す。

ゆっくりと膝を伸ばし、改めて立ち上がった。
煙を含んだ風が、消せるものならば消してみろと挑発するかのように髪を揺らしていく。

瞼を閉ざし、熱を含んだ空気を吸い込みながら、ゆっくりと両手の指と指の腹を胸の前で合わせた。
大気中の水分が、呼応するようにざわざわと蠢き始める。

その瞬間、柚の瞳が開かれ、素早く背後へと向けた。

アシャラの陰がひとつ、ふたつと迫ってくる。
その一体の体上部がメキメキと筋肉に膨れ上がり、柚に向けて拳を振り上げた。

柚が体を反転させ、アシャラを睨み据える。

半歩横に足を引き、打ち込まれた腕を掴み、アシャラの面に右手を翳す。
アシャラの面が砕け散り、もげそうなほどに頭を仰け反らせたアシャラが地上へと吸い込まれ、地面に叩き付けられた。

そのアシャラを追い越すように、もう一人のアシャラが柚に向けて風を吹いた。
風は唸りながら回転を増し、竜巻のように落ち葉を巻き込んで柚に襲い掛かる。

柚は両手を翳し、手を薙ぎ払った。
水が刃となって竜巻を切り裂くと、風は真っ二つに割れて破綻し、穏やかな風となって散っていく。

「邪魔をするな」

柚は地上のアシャラ二人を見下し、不機嫌に吐き捨てた。

風を操るアシャラが地面を踏みしめ、肉体強化のアシャラがよろよろと体を起こす。

その背に走る空間の歪み。
柚は、ふっと口元に笑みを浮かべた。

軍靴が立ち上がり掛けていたアシャラの背にとんっと舞い降り、巨大な鎌が男の首元を掬い上げる。
気だるそうな眼差しが、ゆっくりと周囲を見渡し、足元のアシャラへと向けられた。

「俺が相手してるのに、逃げるなんて酷いね」
「ハーデス!」

大鎌が振り上げられ、刃は三日月の軌道を描いて鮮血を散らす。
喜々として声を上げる柚を見上げ、鎌に付いた血を払うハーデスがのんびりとした口調で柚へと言葉を投げる。

「柚、やっちゃって」
「うん。有難う、ハーデス」

柚は、再び水の上で立ち上がった。



交わるように焔の刀とハムサの鉤爪がすれ違い、歯が浮くような金属音が響き渡る。
火花の向こうで、ハムサが口端を吊り上げて舌なめずりをした。

ハムサの鉤爪が刃に絡み付き、それと同時、焔の刃が向きを変え、柄がカチリと音を立てる。
焔の刀が横へと真一文字が走ると、ハムサの掌から鮮血が散った。

痛みを感じないかのようにハムサは笑い、焔は本能に従い、ハムサから飛び退いた。

焔がいた場所を目掛け、雷が垂直に降り注ぐ。
飛び退いた焔が再び地を蹴り後退すると、その後を追うように矢の様に降り注ぐ雷

「くそっ!」

体を翻し、焔がハムサに背を向けて走り出す。

走りながら焔は左手の指にふっと息を吹き掛けると、焔の指先に炎が灯った。
炎を纏った指先で刀を挟み、気を塗りつけて練り込むと、焔は指先の炎を振り払い、足を止めて振り返る。

滑り込むように足を止めた焔を目掛け、空が光り、雷が降り注ぐ。
焔が空に向けて片手で振り上げた刀に、雷が降り注いだ。

焔が痛みを堪えるように顔を顰めながら、もう片方の手を添えて力を込める。

雷を受け止めた刀が重く感じた。
歯を食い縛り、足が地面を滑って踏みしめる。

「自分の、攻撃でもォ――」

力を込めて振り下ろした刀が、滑るように空気を切り裂く。
焔は刀を振りかぶり、ハムサの雷をはね返した。

「くらいやがれ!!」
「はっ、馬鹿か!誰が自分の力にやれるかよォ!」

ハムサが笑いながら右手を翳す。
焔の刀を離れて襲い来る雷がハムサの目前で粉砕し、青白い雷が辺りに飛び散った。

爆音と共に、閃光が目を焼く。

目がくらむ眩い閃光が晴れていく中、焔の刀が空気を切り裂いた。
炎が薄い刃となってハムサに幾重にも撃ち込まれる。

ハムサは攻撃をかわしながら、両腕を上下に振り下ろした。
雷が十筋の刃となり、焔の炎と相殺する。

焔がふっと楽しむような笑みを浮かべた。

不謹慎ながら、血が滾る。
高揚が全身を駆け巡り、やたらと調子が良い。

「どうした、借りを返すんじゃなかったのかよ!」
「焦るな。今、返してやるぜ!」

ハムサが右手を空に翳す。
その掌に、バチバチと音を立てて青白い電流が集結してくる。

焔の右足が砂埃を上げて地面を滑り、安定を定めた。
すっと真横に構えられた刀の刃に炎が灯る。

「「くらえェぇえ!!」」

青い雷と赤い炎

二人の間で接触した雷と炎は、互いを呑み込む様に交わり、一瞬カッと閃光を散らす。
光と共に第一の衝撃波が木々を揺らし、落ち葉を吹き上げる。

次の瞬間、唸るような轟音と共に、閃光と熱風が焔とハムサを呑み込んだ。





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