24


山を煌々と照らす炎は、自然の驚異を知らしめるかのようであった。
赤い炎と白煙が空を染め、灰が降り注ぐ。
炎が爆ぜる音が、耳を鈍くさせている。

フェルナンド・リッツィは苛立ちながら舌打ちを漏らした。

炎を押し込めるように張った氷の壁が次々と溶かされていく。
それは一時の時間稼ぎにしかならず、むしろ自分達を追い立てるかのように迫ってくる炎の勢いは増すばかりだ。

「フェルナンド」

何処からともなくハーデスが姿を現し、周囲に視線を向ける。

「一通り確認してきたけど、逃げ遅れた人はもういないようだよ。そっちは?」
「煩い!今やっている!」

フェルナンドは苛立ちを露わに声を荒げて返した。
彼の顔には、焦りと共に汗が滲み出ていた。

熱風が呼吸の度に喉に流れ込んでくる。
煙が目に沁み、煤が頬を染めた。
時折、火が飛んでくるので気が抜けない。

フェルナンドが舌打ちを漏らした。

「ハーデス、どこかに水は?」
「捜して……あ」

ハーデスは、空へと視線を向ける。
釣られるように、フェルナンドも空を見上げた。

軍のヘリコプターが近付いてくる。

そのハッチから見慣れた白い軍服が身を乗り出していた。
揺れるおさげを手で押さえながら身を乗り出す柚が、フェルナンドとハーデスに向けて手を振る。

フェルナンドは、忌々しそうに舌打ちを漏らした。

「ちっ……余計な事を!僕一人で充分なのにっ」

空中で動きを止めたヘルコプターのハッチから、焔の手を引いた柚が軽やかに空へと身を投げ出す。
彼女の足元で水が波紋を描き、柚と焔の体は空中に浮ぶように水の塊の上に踏み止まった。

が……柚と焔はそのままへたりと座り込んでしまう。

「お、思ったよりも高い。風強い、煽られる!恐いぃい!」
「ま、まま、待て!落ち着け、今ここで集中を乱したら、俺達下に真っ逆さまだぞ!だから何処か着陸出来る場所を捜すべきだって言ったんだ!」

青褪めて叫ぶ焔の声が下にまで響いて来る。
フェルナンドは、空に呆れた眼差しを向けた。

「柚」
「あ、こら、ハーデス!?」

ハーデスが小さく呟き、フェルナンドの制止を無視して姿を消す。

焔にしがみ付いていた柚が、はっとした面持ちで正面に顔を向けた。

透ける様にハーデスの姿が現れ、柚に向けて手を伸ばす。
柚は焔に片手でしがみ付いたまま、ハーデスの手を掴み返した。

一瞬のふわりとした浮遊感に悲鳴をあげそうになる。

柚の手を掴んだハーデスは空間を飛び、柚と焔を連れて再びフェルナンドの隣に姿を現した。

地に足が付いた焔が、どっと安堵のため息を漏らす。
柚が勢い良くハーデスに抱き着いた。

「うわーん、ハーデス!有難う。勢いで飛び降りてみたものの、あまりの高さに腰が抜けそうになったぁー!」
「よしよし」

ハーデスが抱き付く柚を宥める。

「柚、てめぇ!後先考えずに動くんじゃねぇ!つーか、俺を道連れにすんな!?」

焔が柚に怒鳴り掛かると、不機嫌な面持ちのフェルナンドが二人を睨み付けた。

「随分早かったじゃないか……増援なんて必要ないって言ったのに。新人二人なんて、足手纏いもいいところだね」
「何、せっかくあんな恐い思いして来たのに必要ないのか?」
「多分、フェルナンドじゃ消せない」

柚が不服そうに告げると、ハーデスが無言で首を横に振り、淡々とした声で付け加える。
途端に、フェルンナンドは目を怒らせてハーデスを睨み返した。

「なんだって!聞き捨てならないね!火も消せない死神風情が……」

フェルナンドや玉裁が、たまにハーデスに向けて使う侮蔑の言葉
その意味が分からずに眉を顰める柚と焔を余所に、ハーデスは何も言い返すことなく、すっと視線を流す。

「多分、使徒が意図的に操って起した火事だ。だから、火が消えにくい」

ハーデスの言葉に、フェルナンドが舌打ちを漏らした。
思い付いたように、柚が喜々として手を上げる。

「頂上に行って、山にどばっと水掛ければいいんだろ?」
「ばっ、馬鹿だよ君は!簡単に言うな!大体無闇にそんなことしたら土砂崩れが起き兼ねない。その頭は飾りか?君の脳味噌に皺は刻まれているのかい?」

フェルナンドは柚に指を突きつけ、一気に捲くし立てた。
それを鼻で笑い飛ばしたのは焔だ。

「さっきから八つ当たりしてんじゃねぇよ。あんたが現場の指揮官なんだろ、さっさと指示しろよな」

焔が腕を組み、蔑むように吐き捨てる。
すると、フェルナンドが苛立ちを露わに焔を睨み返した。

「うるさい、だから別の手を使おうとしていたら君達が来たんじゃないか!」

ハーデスが、誰にも気付かれないように小さくため息を漏らす。

最悪のメンバーだ。
一刻を争うというのに、このままでは消火が進まない。

その時、柚が身を強張らせた。

「ちょっと待って、今炎の奥に人影みたいなものが!まさか逃げ遅れた人?」

柚が燃え盛る炎に目をすがめ、ハーデスの腕を引く。
炎を透視したハーデスの目付きが変わった。

「違う、あれは――…」

説明も疎かに、ハーデスが大鎌を構える。

少しずつ、ざわめきとも共鳴ともつかない感覚が迫ってきていた。

柚は耳を押さえながら、周囲を見渡す。
焔は鞘を握り、緊張に体を強張らせた。

「アシャラだ」

ハーデスの決定打となる言葉に、柚と焔が固唾を呑んだ。
フェルナンドが苦々しく唇を噛み締め、弓を構える。

「次から次へとっ……」
「……俺が一人で引き受けようか、フェルナンド」

ハーデスが肩越しに振り返り、指示を求めた。

その瞬間、フェルナンドとハーデスが柚に振り返る。
きょとんとした面持ちで目を瞬かせる柚の後ろから、風を切るように迫った鎖が柚の手首に巻き付き、暗い森へと引き摺り込む。

「「柚!」」
「冗談じゃないよ!?」

叫ぶハーデスと焔を押しのけ、フェルナンドが夢中で柚の手を掴んだ。

「柚!」

ハーデスがその後を追おうとした瞬間、ハーデスは何かに気付いたように動きを止めて姿を消した。
ハーデスがいた場所を雷が貫き、土を焼く。

とんっと地面に足を付く音が響き、焔と背中を合わせるようにハーデスが舞い降りた。
目をすがめ、焔は一人ごちるように呟く。

「これは――…」
「ハムサだ」

周囲に気を張り巡らせる焔に、ハーデスがこくりと頷き、呟くように告げた。

「焔、柚達が消えた方に、数字持ちレベルの気配がもうひとつある」

岩の上に、雷を両手に纏った赤毛の男が舞い降りる。

焔は男の顔を見上げ、ギリリと奥歯を噛み締めた。
そんな焔を一瞥し、ハーデスが冷静な声音で焔に声を掛ける。

「俺がハムサの足止めをするから、隙を付いて柚とフェルナンドの後を追いな」
「悪いが……あんたが、あいつ等を追ってくれ。俺は――」

まるで待っていたかのように、焔が剣から鞘を抜いた。

「こいつに借りがある!」
「俺もだ、西並 焔ァ!?」

焔が刀を下に構えて走り出す。
ハムサが雷を纏った腕を振り上げ、爪先を覆う研ぎ澄まされた鉄の刃が鈍い光沢を放つ。

双方の刃が交わり、炎と雷が交じり合って閃光を散らした。

ハーデスは眩しさに、腕で目を覆いながら数歩後ずさる。
その背後に、足音がふたつ……

ハーデスは鎌の柄を腕の上に滑らせて持ち変えると、静かに振り返った。

「別に……アシャラでもいいんだけどね」

すっと落とされた腰と、瞳に鋭く差し込む眼光
頼りなく開かれていた唇が引き結ばれた。





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