23


大統領護衛の間、基地の留守を預かるイカロスは、まだ朝も早い内に秘書官に名を呼ばれて足を止めた。
秘書官は、落ち着いた口調で資料を読み上げる。

「本日未明、南部で山火事が発生しました。火の手が強く、水や消化剤での消火が困難な状況です」
「了解」

落ち着いた声で返し、イカロスは今基地に残っているメンバーの顔を思い浮かべた。

アスラ達八名が大統領の護衛で昨日から基地を空けている。
残っているのは、ハーデス、フェルナンド、ヨハネス、ジョージ、アンジェ、ライラ、自分を含めた七名

ハーデス、ジョージ、ヨハネスは火を消せる能力ではない。
双子はまだ年齢的に未熟だ。

火事となれば水属性の柚が適任だが、こういう時に限っていない。
そうなると、氷属性のフェルナンドに任せるしかない。

土属性の自分が行ってもいいが、基地を無防備にするわけにもいかない。

「フェルナンドとハーデスを呼んでくれ」



同じ頃、柚は美術品を見上げて欠伸を漏らしていた。
それをアスラは淡々と咎める。

慌てて口を塞ぐ柚だが、オーストラリア組も同様だ。
カロウ・ヴがマーシャルに咎められている。

アジア側がクックの為に用意したレセプション
その内にひとつである歴史美術館の観光は、護衛とはいえ柚とカロウ・ヴには少々退屈だったようだ。

二日目ということもあり、柚も昨日よりは気が緩んでいた。
アスラからすれば気を抜くなと言いたいところだ。

夜にはクック達が帰国する。

貸し切られた美術館を所長自らが案内し、熱心に美術品の説明をする中、カロウ・ヴはクックの護衛を完全に放棄しているように思えた。

まるで親に連れて来られた幼い子供だ。
一人でふらりと列を離れては、マーシャルに呼び戻される。

何処までもマイペースで、二十歳前後に見えるが子供のように天真爛漫な青年だった。

アスラとしては、正直あんな手に負えない部下がいなくてよかったと思っている。

その点柚はまだ、まともな初任務でカロウ・ヴのような余裕が一切ない。
昨日の一件もあり、柚のカロウ・ヴに対する態度はいささか冷ややかだった。

「ねぇ、柚」
「は?」
「柚のこと教えて」
「はぁ?」

こそこそと声を掛けてくるカロウ・ヴに、柚は横目で視線を向ける。

静かな美術館ではどれだけ声を潜めようと無意味だった。
美術品の説明をしていた所長がカロウ・ヴに視線を向け、迷惑そうに咳払いを挟むが、当のカロウ・ヴはどこ吹く風だ。

黄の護衛が第一ではあるが、アスラも目の前で柚にちょっかいを出しているカロウ・ヴが気になって仕方がない。

女の使徒が欲しいオーストラリアだ。
いきなり柚に危害を加える事はないだろうが、攫われでもしたら大問題だ。

さすがの柚もそこまで愚かではないと思いたいが、柚なので正直怪しいと思っている。

その反面、いつ柚が爆発するかも不安だ。
堪えてはいるようだが、他国の者を相手にいつもの調子で暴れだしたら、同盟破棄どころか戦争に発展しかねない。

「柚、柚!柚は食べ物は何が好き?」

柚に次々と質問を投げ掛けるカロウ・ヴ
迷惑そうにしながらも、律儀に質問に返す柚

大統領の手前……堪えてはいるものの、妙に馴れ馴れしいカロウ・ヴに、アスラは苛立ちを感じていた。
無視してしまえばいいものの、迷惑そうにしながらも律儀に質問に返している柚にも苛立つ。

「今度の会談はオーストラリアだって。柚も来てくれるでしょ?」
「それは、決めるのは私じゃない」
「えー、じゃあ、僕がまた首相に頼む」
「また?」
「うん。今回の大統領警護に柚を呼んでってお願いしたんだ」
「は……?」

柚が目を丸くする。

親しい雰囲気の強いオーストラリアだが、どうもクックはカロウ・ヴに甘い。
その我侭に振り回された柚はいい迷惑だ。

「オーストラリアは緑も海も凄く綺麗だよ。皆いい人だし、何より自由!来たら絶対に気に入る」
「……」
「柚は水の属性なんだよね?」
「……」
「僕は氷。相性いいと思わない?」
「はぁ……」
「それと、僕、セラフィムなんだ」

柚は柚で、「だからなんだ、自慢か?」と心の中で悪態を漏らす。
またとばっちりでアスラに怒られるのはごめんだ。

「クラスも高いし能力属性も似てる。僕と柚なら、現存する使徒を上回る力を持った子供が作れると思わない?」

柚の堪忍袋の尾が切れる音が聞こえてくる気がした。
暴言が飛び出すのが先か、それともわなわなと震え始める細い腕から拳を繰り出すのが先か……

だが、アスラはどちらも待つつもりはなく、考えるよりも先に足が動いていた。

怒声を張り上げようとした柚の体を閉じ込めるように、後ろから腰に腕を回して抱き寄せる。
頬に滑り込ませた手で柚の顔を引き寄せ、赤い瞳を自分の顔で埋め尽くした。

「んぅ!」

抗議の声が言葉になる前に唇を塞ぐ。
配備された警備兵達が一斉にぎょっとした。

一瞬にして陶器のように白い肌が耳まで赤くなり、零れんばかりに目を見開く柚

アスラは、柚に口付けたまま閉ざしていた瞼を静かに起した。

水色の瞳を長い白金の睫毛が彩る。
その下で、水色の瞳がぽかんとした面持ちでこちらを見ているカロウ・ヴを一瞥した。

唖然としていたカロウ・ヴの目付きが鋭く変わる。
その周囲が不安定に歪み始め、カロウ・ヴの足元から冷気が漂い始めた。

「カロウ・ヴ」

マーシャルが、カロウ・ヴを腕で遮る。

「ア、ァ、アスラ!」

柚がアスラを引き剥がし、声を荒げて睨みあげた。
名を呼ばれ、悪びれた様子もないアスラが柚へと視線を向ける。

「な、何すんだ!こんな時に、いや、場所?いやそういう問題じゃ……いや――」

顔を真っ赤に染め上げ、混乱して何に怒ればいいのか分からなくなっている柚を、黄が制した。
厳格な眼差しがアスラを一瞥し、次に唖然としていたクックへと向けられる。

「失礼を」
「いえいえ、今のはカロウ・ヴにも問題がありました。どうかデーヴァ元帥をお咎めにならないでください」

クックは冷や汗を拭いながらカロウ・ヴを一瞥した。

クックは五十代前半の男だが、体も細くあまり背が高くない。
腰も低く、柔和で少しくたびれた面持ちをしていた。

頻繁に汗を拭う仕草も相まって、今回の旅だけで胃にいくつか穴が開いたのではないかと思えてくる。

そんな中、イワノフが慌しく黄に歩み寄り、小声で耳打ちをした。
アスラにも秘書官が声を掛ける。

二人は顔を見合わせ、クックに「失礼」と告げて離れた。

アスラに連れられてクック達から離れた柚は、休憩中である筈のガルーダと焔の姿に、ますます何事かと緊張を漂わせる。
アスラは簡単に事の次第を柚に告げた。

「南部で山火事?」
「ああ。我が国の重要な森林源のひとつだ。フェルナンドのチームが向ったが、空気が乾燥していて予想以上に火の回りが早いらしい。水を操れるお前が最も適性だ」
「わかった、行く」

迷いなく告げる柚に、アスラは視線を落とす。

本当は不安に感じていた。

決して、スローンズである柚の手に余る任務だとは思っていない。
不安は別のところにある――神森やエデンと遭遇する率の低い任務ではあるが、もしも何かあったら……

溢れ出す感情は手に余る。

(どうして……)

感情を持て余し、奥歯を噛み締めた。

(公平に接しなければならないというのに……)

柚が手を伸ばす。
顔をあげたアスラに触れた指は、眉間の皺に触れた。

意味を理解できずにアスラは首を傾げる。
柚が咎めるかのように、口を尖らせた。

「眉間に皺が出来てるぞ」
「……」

心の中を見透かされているかのようで、居た堪れなくなる。
心の内を覗かれることには慣れているというのに、何故か柚の前では劣情を抱えているかのように落ち着かない。

すると、柚は何処か申し訳ない面持ちでアスラから目を逸らした。

「さっきは、止めてくれて感謝してる」
「……」
「でなきゃカロウ・ヴのこと、殴ってたと思うし」

柚は堪え性のない自分を悔いるように、顔を曇らせる。
その場にいなかったガルーダと焔が、不思議そうに柚を見やった。

焔は淡々とした面持ちで、こちらを見ているカロウ・ヴへと視線を向ける。

「お前の為にやったわけではない」
「……焔と同じこと、言うんだな」

柚は顔を上げ、苦笑を浮かべた。

話の見えない焔が眉を顰めて居心地が悪そうにする。
アスラが眉を顰めて肩越しに振り返ると、焔は不機嫌に顔を背けた。

黄が溜め息を漏らす。

「元帥、次はもう少しスマートにやって貰いたいところだ」
「申し訳ありません」
「クック首相の顔を立てて今回は見逃してやる。それよりも元帥、念の為、柚に護衛を一人付けろ」
「えー」

柚が不満そうにして、慌てて口を噤む。
ガルーダが、喜々とした面持ちで後ろから身を乗り出した。

「俺が行こうか?」
「……お前に抜けられては支障が出る。焔、行け」

失礼な物言いに焔がむっと顔を顰めたが、反論はしない。
不服そうなのは柚だけだ。

「そんなに、頼りないかな?」
「お前の力を軽視しているわけではない。自分の立場は分っているだろう、あくまでも保険だ。それに焔は炎を操れる、同行すれば火の勢いを止める役に立つだろう」
「……うん」

顔を上げ、柚は苦笑のような微笑みを浮かべた。

「気を付けろ。見送りの時間までには鎮火を追え、こちらに合流しろ」

「了解」と告げ、柚と焔は案内をされてヘリポートに向けて走り出す。
そこへ、新たな一報が届けられた。

「デーヴァ元帥、火事の原因を調査していたところ、山で落雷が観測されたそうです」
「……天候は?」
「晴天です」

アスラは眉間に皺を刻み、小さな舌打ちを漏らす。
さすがの黄も渋い面持ちになるが、向けられたアスラの視線に首を横に振った。

(俺がいければ……)

苛立った様子のアスラを見上げ、アスラを良く知る秘書官が驚いた面持ちをする。
それに気付くことはなく、アスラは足早に歩き出した。





今月二月にオーストラリアで史上最悪の被害といわれている山火事が発生しました。
起きた場所は違えど、国名・山火事等、話の上で一部似通った点もあり、書き直そうかとも考えました。 しかしながら、こちらの勝手な都合で大変恐縮ではありますが、変更等はせずにこのままいかせて頂こうと思います。

オーストラリアでの山火事において亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
あわせて被災された方々に心からお見舞い申し上げ、一日も早い復興をお祈りいたします。

管理人/もも





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