22


一日目の会談を終え、クック達はアジア帝國が用意した迎賓館に宿泊していた。
彼等が宿泊するのは迎賓館の最上階で、柚達はその下のフロアを貸切って休憩に使うことになっている。

大統領の警護をガルーダに任せ、屋上や迎賓館の前ではフランツと焔が、最上階に通じる階段やエレベータの周辺にはユリアと玉裁が、陸軍とアース・ピース一般兵部隊と共に見張りに立っていた。

使徒の一般兵部隊の隊長であるエマ・ダルトンは、柚とアスラを広々とした一室に通す。

部屋の中は年代を感じさせる調度品が取り揃えられていた。
豪華なシャンデリアがいくつも天井で瞬いているにも関わらず……部屋の中のベッドはひとつ。

「……ワンフロア貸切なのに、何故にわざわざ同じ部屋」

ドアが閉まる音を聞きながら、柚はその場で脱力したくなった。

「何か問題があるか?」

同室にして、そのまま事に及んでしまえというのが政府の狙いだということは火を見るよりも明らか。
アスラは、男女が同室ということに気を遣うほど気が利く男ではない。

平然とした面持ちで問い掛けてくるアスラに、柚からは溜め息しかでない。

柚は迎賓館の庭園が見下ろせる窓に歩み寄った。
バルコニーは閉ざされており、柚はガラス張りの窓から下を覗きこむ。

綺麗に手入れが行き届いたホテルの庭は、アース・ピースの基地内にある森と比べてとても人工的に感じた。
それでもなけなしの乙女心が、綺麗な花のアーチを潜ってみたいと思う。

だがどのみち何かが起きない限り、自分達が自由に動けるのはこの部屋の中のみ。

よりにもよって、喧嘩をしたままのアスラと二人きり……
非常に気まずい。

磨かれた窓ガラスが柚の溜め息に曇った。

柚は手を付いたまま、窺うようにガラスに映るアスラを一瞥する。
いつの間にか真後ろに立っているアスラに、柚はびくりと体を強張らせた。

慌てて振り返る柚を、アスラは無表情に見下す。

「イカロスに怒られた」
「は?」

柚は目を瞬かせた。
いきなり何を言い出すのかと困惑する柚に、アスラは気にした様子もなく続ける。

「お前には謝らないが、あの男にはその内謝罪を言っておく」
「……はァ?」

ますます何を言っているんだと言いたげな顔で、柚はアスラを見上げてしまう。
多分慎也のことを言っているのだろうとは思うが、話が見えてこない。

「っていうか、何故私には謝らない」
「何故謝る必要がある、お前の軽率な行動と心構えにも原因はある」

話しは終わったとばかりに、アスラは踵を返すと肩章のボタンを外し、マントを抜き取る。
柚はむっと口を尖らせた。

「だから……なんで私が」

昨日よりは、冷静に話しが出来る。
柚は不服そうに口を尖らせてそっぽを向いた。

そんな柚に、アスラは肩越しに振り返り、「今日もそうだ」と付け加える。

「はあ?今日?今日は相澤に会ってないぞ」
「カロウ・ヴという男だ。お前は隙があり過ぎる」
「そ、それはぁ……いきなりでびっくりしたんだもん」

ばつが悪そうに、柚はもごもごと呟く。
アスラは柚に向き直り、説教をするように見下した。

「それだけじゃない、あんな男に愛想を振り撒く必要はない」
「いやぁ、別に振り撒いたつもりはないが、アスラみたいににこりともしないのもどうかと思うぞ」
「……そういうものか?」

アスラが首を傾ける。
柚も首を傾けた。

「えー、だってコンビニに買い物に行って、店員さんの感じが悪かったら微妙な気分になるじゃないか」
「……分らない例えだ」
「だよな……」

柚は溜め息を漏らす。

「まあいいや。私も昨日言い過ぎたと思ってたんだ、ごめん」
「……そうか。俺も、あの後お前の言った言葉を俺なりに考えてみた」

「流してくれてよかったのに」と、柚は心の中で呟いた。
何より、"アスラなりに"というところが恐ろしい。

柚はソファーの端の腰を下ろす。

「シェリー・グラゴールに花をやったという件だが」
「うっ……あれは別に」
「イカロスが、その件に関してはお前が誤解をしていると言っていた」
「……は?」

柚は目を丸くしてアスラの顔を見上げた。
暫し、アスラがそんな柚を見下す。

「心当たりはある。俺が持っていても仕方がないから、お前の面倒を見て貰っている礼に与えた」
「……は」

(恥ずかしい!)

柚はクッションに顔を埋めた。

「これが嫉妬というやつだな」
「ちっ、違う!そんなんじゃない、もうこの話は終わり!」

納得した面持ちのアスラにクッションを投げ、柚はアスラに背を向ける。
クッションをかわしながら、思い出したようにアスラは背を向ける柚を見た。

「ところで……シェリー・グラゴールはどうだ?」
「う、うん、凄く助かってる」

柚は返事がぎこちなくなってしまったことに後悔する。

昨夜見た、焔とシェリーを思い出す。
いつの間にあんな関係になったのか……

アスラは、小さく「そうか」と相槌を打つ。

「気に入らないか?」
「そ、そんなわけないだろ!シェリーはいい子だもん」

柚はアスラの顔を見ずに告げた。

「私と違って、凄く女の子らしいし……」

振り返り、誤魔化すように苦笑を浮かべる。
アスラは柚が座るソファーの後ろに立ち、静かに柚を見下した。

「それはいけないことか?」
「え?」

柚は目を瞬かせる。
アスラの指先が、柚の顔を上向かせた。

「そんな顔をしている」
「え?そう、かな……いや、別にいけなくはないと思うけど。カロウ・ヴにもガッカリされたし――っていうかなんなんだアイツ。失礼にも程がある!勝手に私をイメージして、想像とは違うからってあんなにガッカリした顔することはないだろ、それも本人の前で!普通ならぶん殴ってるぞ!」
「……」
「どうせ、私は見た目に反してシェリーのようにおしとやかでもなんでもないさ、ふんっ!」

柚は手近にあったクッションをわなわなと握り潰した。

推測するに、オーダーメイドのクッションだ。
はっとしたように慌ててクッションの形を戻す柚に、アスラは首を傾けた。

「……シェリー・グラゴールのようになりたいと思っているのか?」

静かな問い掛けが降る。
柚ははたりと口を閉ざし、萎むように俯いた。

「うーん。それは……もう思わない、かも?」

少し悩み、柚は曖昧な答えを返す。

膝の上で頬杖を付く柚が、アスラに視線を向けた。
子供の様に悪意のない瞳が、無言で「何故だ」と問い掛けてくる。

柚は小さく苦笑を浮かべた。

「あれはシェリーだからいいんだと思うんだ。私までシェリーのようになっても可愛くないし、何より面白くない!」
「面白く、ない?」
「うん、皆が同じ性格じゃつまらない。だろ?」
「……そうか、そうだったな」

アスラが小さく笑みを浮かべる。
釣られるように、柚の苦笑が微笑みに変わった。

「それに、今の自分を無理に抑えてそうなろうとするってことは、ずっと背伸びをしてなきゃなんだろ?ま、自分の悪い点を直すってのはいいことだろうけど。別の自分を演じ続けるなんて疲れるし、自分を否定しているのと一緒だ」

――そうだろう?相澤……
柚は、自分の変えるべき場所で、今日も仕事に励んでいるであろう慎也に問い掛けた。

「今の私があるのは、周りの人達と交わした言葉とかの積み重ねだと思う。だから、自分を否定するって事は今まで私が出会った人達とのふれあいや想いを否定することだと思う」

彼が気持ちを伝えることで教えてくれたのだ。

感謝の気持ちが溢れ出す。
柚は目を細め、笑みを綻ばせた。

「だから私は私のままでいいよ。私は私でいいって言ってくれる人がいるから」

突如、後ろから包みこむように抱きしめられる。
驚いて振り返る柚の肩に顔を埋めるアスラに、柚は首を傾けた。

「アスラ?」
「俺が言ってやる……」
「え?」

柚は目を瞬かせる。

「お前のままでいい」

耳元で囁かれた言葉に、腰が砕けそうになった。
柚は頬が赤く染まっていくのを感じる。

「いや、違うな。俺はお前のままがいい」

覗き込むアスラの瞳が穏やかな弧を描く。
澄んだ水色の瞳に映る自分が見えそうな気がした。

呑み込まれてしまいそうな微笑みが、そこにある。

「お前に指摘されるまで、考えもしなかった」
「えっ!いや、でも……っていうか何が?」

顔が近い。
息が掛かる。

このままでは心臓が壊れそうだ。
距離を取ろうとして、アスラの腕を押し退けようとするがびくともしない。

「確かに母上以外で俺を恐れない女はお前が初めてだった。あれから考えてみたが、だからといって俺を恐れなければ誰でもいいのかと言うと、そうではないらしいという結論に至った」
「……」

柚は抵抗を忘れ、目を瞬かせた。

アスラの手が、柚からするりと離れていく。
離れていく温もりが、妙に寂しく感じた。

「なぜか、最近周囲の俺に対する態度が少し変わった気がする。だが、少なからず俺はシェリー・グラゴールに対し、お前に抱くような感情を持っていない。とはいえ、シェリー・グラゴールに関しては懸念がある為、比較の対象にはならないのかもしれない」
「……はぁ」
「最近の母体候補の相手には、お前の容姿に似たタイプの女を手配させているが……」

柚は、テーブルの角に頭をぶつけそうになる。

「これも特に、今のところ変化はない」

「なんだこの会話は」と、柚は心の中で悲鳴をあげた。
逃げ出したいが、逃げ出せないこの現状――計算尽くだったら恐ろしい。

「エマ・ダルトンも女であり、仕事能力は高く評価しているが、性の対象ではない」

(もう帰りたい……)

柚はげんなりと無気力にアスラの顔を見上げた。
何人か例をあげたアスラが、腕を組み視線を柚に向ける。

「次に、俺がお前をどれくらい好きかを考えてみたが、今のところ母上以外の女性に対し、好意を抱いているのはお前だけということになる」

アスラは仕事の話をするように淡々と続けた。
柚の中に、ときめきなどは一切沸いてこない。

「そこで、俺は何故お前を好きだと思っているのかを考えてみた」
「……」

ぽかんとした面持ちで、柚はアスラを見上げる。

「お前は出会った時から、お前は他の女と違っていた」
「それは使徒だからじゃないのか?」
「そういう問題ではない」

アスラは、馬鹿にするなと言いたげに柚を見下した。
アスラならばそういう問題との区別もつかないだろうと思っていたが、そうでもないらしい。

「校舎の食堂でお前を取り押さえた時、お前は俺を睨み返した。それどころか逃げもせずに俺を貴様呼ばわりし、文句を言ってきた」
「う……」

柚はばつが悪そうにアスラから顔を背けた。

「俺と対等に話し、俺と話し合いをしようとした」
「え?だって、普通そうするだろ?いきなり力で押さえつけられたら誰だって驚くし腹立つし混乱するじゃないか。でも、そうするにはそっちにも理由があるわけで、理由を聞いてからどう対応するか考えるのが筋ってもんだろ。それを会話も抜きにいきなり取り押さえるアスラが間違っているんだ」
「……お前の場合は、最初はただの馬鹿かと思ったが」
「……アスラ」

柚はこめかみを押さえる。

冗談なんて知りもしないアスラの言葉に、なんて失礼で腹の立つ男だとしみじみ思う。
悪気がないことが、これほど罪だと思ったことはない。

「俺は、誰に怯むことのない母上の姿をいつも見ていた。推測ではあるが、俺はそんな女性に憧れていたんだと思う。だから、俺はお前に好感を抱いているんだという考えに至ったが、どうだ?」

今思えば、だからこそ部屋に閉じ籠った柚の姿を見て無性に苛立ちを感じたのだろう。
アスラは瞼を閉ざした。

このマザコンがっ!と、柚は心の中で吐き捨てる。
だが、使徒とは肉親に強い情を抱く習性を持つものだ。

結局のところ、アスラは何がいいたいのか……
柚はこの話題に厭き始める。

「どうだって言われてもなぁ……で?って感じ」

すると、アスラが柚を見下し、淡々と問い掛けた。

「そこで疑問に思っているのだが、愛とはなんだ?」
「は?」
「イカロスに聞いたが、自分で考えろと言われた。参考になるかと思い本を読んでみたが、本はあまり参考にならない」

柚は眉を顰めて考え込む。
なんでもかんでもイカロスに聞くアスラもどうかと思うが、よりにもよって自分よりも十近く年上の男に、そんな疑問を投げ掛けられるとは夢にも思わなかった。

だが、いざ答えを捜してみると、柚も答えに詰まってしまう。

「異性に対して抱く"好き"という感情が"愛"でないと言うならば、愛という感情がどういうものか、まだ明確な答えは出ない。だから俺はお前を好きではあるが、愛しているかは分からない」

柚は小さく噴出し、笑い出した。
アスラが眉を顰める。

何処までも生真面目なアスラらしい答えだ。
腹を立てた事すら、馬鹿らしく思えてくる。

「真剣に考えてくれて有難う。でも、無理に私を好きになる必要はないんだ。いずれアスラが理屈抜きで好きだと思える人が現れたら、アスラはその人を想ってくれて構わない。私も、アスラの子供を産むかもしれないけど、別の人を想っているかもしれない」

柚の右手が、そっと自分の腹部に触れた。
影を落とすように、睫毛が下を向く。

「悲しいけど、これは使徒の現実だもんな……」

顔をあげてアスラを見上げた柚は、「好きになってもらえただけで嬉しいよ」と小さく微笑んだ。
アスラが眉を顰める。

「考えてみれば、偉そうな事言ったけど私も良く分からないんだ」

不思議なものだ。
アイドルを好きだと思った事はあるが、それが恋だったかと問われると、それは違うと自覚している。

「私もまだ、本当の恋ってしたことがない。だけどママが、想うのも想われるのも幸せな気持ちなんだって言ってた」

柚は年相応の少女のようにクッションを抱き込み、シャンデリアを見上げた。
そして、はにかんだ微笑みと共にゆっくりとアスラを見やる。

「きっとその時になれば、"ああこれがそうなんだ"って、なんとなく分かるんじゃないかな……と、思う」
「……そうなのか?」
「多分だぞ、多分!」

柚は自信がなさそうに、慌てて付け加えた。

アスラの眼差しが、自分の知り得ない外の世界へと向けられる。
そこには、遮るようにガラス張りの壁があった。

「俺にも、いずれわかるものだろうか……」

誰にともなく呟かれた言葉に、柚はアスラの横顔を見上げる。
思わず、「そんなこと」と微笑みが漏れた。

「わかるさ、きっと」

例え永遠に自由のない世界にいようと、人を想う心だけは自由だ。

――そのときは……

アスラは言葉を呑み込む。

同じように窓の外を見詰める柚
横顔を見詰め、アスラは穏やかな眼差しを向けた。





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