18
「あの、焔……今回は、本当にごめん」
「はァ?勘違いすんな、お前の為にやったんじゃねぇって言ってんだろ。それを自分のせいみたいな顔されたら堪んねぇよ」
声は素っ気なく、心底鬱陶しそうな口振りは、突き放すように冷たい。
焔は頭の後ろで腕を組み、ベッドに寝転がるとそっぽを向いた。
普段は気にしない焔の不機嫌な態度も、原因が自分となると心苦しい。
柚が俯いて黙り込むと、焔はドアから先に踏み込んでこない柚を横目で見やった。
ふんっと、ため息のような音で鼻を鳴らす。
「少しは思い知れ、あの時――…」
――俺が、どんな気持ちだったか……
焔は言葉を切った。
自分が政府から逃げて柚のいた学校に転校さえしていなければ、使徒として目覚めていない柚がアスラ達の目に止まる事はなかった筈だ。
いずれ見付かっていたかもしれない、だが、あんな突然の形で家族や友人達と引き離されることはなかったかもしれない。
そのせいで柚に対し、罪悪感と後ろめたさを抱えていた。
いつ責められるのだろうと、ずっと思っていた……。
途切れた言葉の続きを求めるように顔を上げる柚に、焔は瞼を閉ざしてしまう。
「俺は、お前が原因なんて思っちゃねえよ」
「でも、やっぱり……あの時、私はあそこに居たし。自分でなんとかすべきだったんだ」
自分を責め、どう償おうかと考え込むように、柚は俯いた。
そんな柚の態度に、焔は呆れと苛立ちを覚える。
焔はベッドから上体を起こして起き上がると、さして鬱陶しくもない髪を掻き上げた。
「だったらお前がずっと前俺に、考えもしなかったって言った言葉は嘘か?」
「え……?そんなこと言ったか?いつ?」
焦ったように、柚はおろおろとする。
すぐに思い出せないということは、心からの言葉だったという、何よりの明かしに思えた。
いつも弄られている自分が、逆に柚を困らせていることが楽しく思え、焔は再びベッドに寝転がる。
跳ねるように、ベッドのスプリングが軋みをあげた。
口元に笑みが浮ぶ。
「教えねぇ」
「なんだよ、意地悪!ちょっと待って、思い出す」
いつもの調子に戻ってきた柚が、記憶を遡りながらブツブツと呟いている。
そんな柚を他所に、焔は瞼を起し、窓の外へと視線を向けた。
カーテンの隙間から微かに差し込む光を見やりながら、独りごちるように呟く。
「任務なんてもんは、次がある。お前のときとは違う」
「私のとき?え……あっ、もしかしてあの森で言ったこと、か?」
驚いたように、大きな瞳を丸くする柚
ぽかんと開かれた唇が間抜けに見えて、おかしくなる。
「そもそも、俺は別に解任されようが落ち込んでねぇよ」
「それは、嘘だ」
柚が不貞腐れたような面持ちで呟く。
焔が意地の悪い笑みを浮かべ、柚へと顔を向けた。
「勝手に決めんな。お前が思ってるほど、俺は気にしてないって言ってんだ」
向けられた眼差しに、柚は目を見開く。
「嫌いなんだよ、陰で文句言う連中が。俺は自分の納得がいくことをしただけだ。だからこの結果に後悔はしてねぇぞ、まだ文句あるか?」
何者にも染まることのない、漆黒の眼差し。
強く、何処までも真っ直ぐな瞳
納得したように、柚は自嘲染みた笑みと共に瞼を閉ざした。
「まあ……そう言われちゃあ、仕方がないな。もう気にしないことにする」
「ああ、うぜぇからそうしろ」
「うざいってなんだよ。ああ、でもそうだったかも、ごめんなさいね!」
自棄を起したように口を尖らせ、腕を組んだ柚がふんっとそっぽを向く。
「なんだ、それ」と、くつくつ笑みを漏らす焔に柚はそっと視線を向け、釣られるように小さく笑みを浮かべた。
廊下から差し込む光が影を作り、ベッドにまで届きそうだ。
開け放たれたままのドアに手を付き、柚はベッドに寝転がる焔を見下した。
柚は少しだけ寂しさの漂う薄い笑みを浮べ、小さく口を開く。
「あの時、焔も……こんな気持ちだった?」
「……さあな」
柚は胸元を握り締める。
「そっか」と、小さく小さく、苦笑を浮かべた。
「有難う、焔」
焔が眼差しを柚に向ける。
まるで、大輪の花が一枚ずつ花びらを開いていくような微笑みが、そこにあった。
それでいいのだ。
そうでなければ、心から後悔はないと言えなくなる。
焔は「ああ」と呟くように頷き、目を細めた。
柚はすっきりした面持ちで背伸びをする。
爪先がくるりと体を反転させ、スカートの裾がひらりと翻った。
「さーて、お腹空いた。食べてこよっと」
「あ、待て。俺も食ってねぇ、何か持って来てくれ」
「えー、どうしよっかな」
「てめぇ!持ってこなかったら覚えてろ!」
焔はドアから身を乗り出して叫ぶ。
笑いながら走り去っていく柚の姿が消えると、無意識に小さな笑みが浮んだ。
食堂で大統領の護衛警護に焔が加えられたとジョージの口から告げられたのは、翌朝の事だった。
焔が行く予定だった任務に向かうライアンズ達が、いつもよりも早目の朝食を採っている。
珍しく柚の姿が見当たらない食堂は、静かというよりも平穏だった。
が……その食堂前の廊下に、賑やかな柚の声が響いてくる。
何事かと、食堂にいた一同が廊下へと視線を向けた。
「昨夜のことは謝っただろう、他に何を怒っているんだ」
「別に怒ってない、これっぽっちも怒ってない!」
「なら何故目を合わせない」
「ぅ、う、うるさいうるさい!こっち来るな!」
「やはり怒っているではないか」
「怒ってないー!」
焦ったように赤い顔で逃げる柚と、その後を黙々と追うアスラ
またかと言いたげな面持ちで、ライアンズとフランツが視線を背けた。
アンジェとライラが、目を瞬かせる。
焔が煩そうにそちらに視線を向けた。
「付いてくるな」と吐き捨て、柚は食堂の中に入る。
付いてくるアスラと目を合わせない柚が、フランツの隣に腰を下ろす。
そんな柚を見下すアスラに挟まれ、フランツが「え゛?」と顔を引き攣らせた。
「何故逃げる。話があると言ってきたのはお前の方だ」
「だーから、逃げてない!私が話したいことは一応解決したんだってば。もう放っておいてくれ!」
挟まれて青褪めたフランツが、小さくなりながらライアンズに助けを求めているが、ライアンズは無情にも目を逸らす。
脅えたように、皆の箸やフォークを持つ手が止まっているが、当人達は傍目も気にしないどころか周囲の迷惑すら気にも掛けない。
アスラは暫し無言で柚を見下し、腕を組んだ。
「……"嫉妬"というやつか?」
「何でそうなる、寝言は寝て言え!」
柚がテーブルを叩いて勢い良く立ち上がる。
アスラが不本意そうに眉間に皺を刻んだ。
「安心しろ。愛しているのはお前だけだ」
「なっ……」
突然さらりと告げられた告白に、柚が耳まで赤く染まった。
焔があんぐりと口を開き、箸から煮物が転がり落ちる。
ヨハネスが手にするコーヒーカップが床に落ちて砕けようと、もはや誰もそちらに目も向けない。
中央に消えてなくなりたそうにしているフランツを挟み、アスラは穏やかに微笑んだ。
「それに、あれはお前の為にやっていることだ」
「はァ?」
はっと現実に引き戻されたように、柚が眉を顰めた。
「初めてのセックスは痛くて恐いと言っていたから、お前の不安を取り除くために俺なりに研究をしているんだ」
焔とライアンズが、飲んでいた飲み物を噴出し、フランツの顔が引き攣る。
ジョージが緑茶を喉に詰らせ、アンジェがその背中をさする後ろで、ライラがアンジェの耳を塞ぐ。
柚が痛々しい程に顔を赤く染め、怒りに肩を震わせた。
「そっ、それのどこが……私の為になるんだ!そもそも、何故貴様とすること前提なんだ!!」
「ゆ、柚、落ち着いて」
恐る恐る止めに入ったフランツが、アスラに殴り掛かろうとした柚を羽交い絞めにする。
アスラが不服そうに眉を顰めた。
「以前ヨハネスが、子供は愛し合った男女の間に産まれるものと言っていた。俺はお前が好きだ。お前も俺を好きだと言っただろう」
「……え?」
ライアンズが、「そうなの?」と言いたげに柚に振り返る。
「告白という儀式をした次には、キスとセックスだと本に書いてあった」
「元帥……それはちょっと……」
フランツが遠慮がちに口を挟んだ。
が……、当人達には全く聞こえていない。
顔を真っ赤にして目を吊り上げている柚が、噛み付きそうな勢いで怒鳴り返す。
「だから、あれはそういう意味の好きじゃないって言っただろーが!?」
「ならばどういう意味だ」
「ラブじゃない、ライクの方だ!察しろ!あの時はイカロス将官とガルーダ尉官にも同じこと言ってるんだ!分ってないのはお前だけだ!」
「何?あの二人にも告白をしたのか?……浮気というやつか、この場合俺はどうすればいいのだろう」
アスラが首を捻る。
頭に血が昇っている柚が雄叫びをあげた。
「そもそも、お前と付き合ってないだろ!っていうか、他の女とやりまくってる奴に浮気どうこう言われたくないわ!?」
「柚ー、だんだんはしたなくなってますよーっ」
フランツが泣きそうな顔で柚の名を呼ぶ。
だんだん聞いているのも馬鹿らしくなり、焔が半眼で二人を見やる。
アスラが苛立ちを滲ませた。
「昨日、俺と離れたくないから護衛任務に行きたいと騒いでいたんじゃないのか?」
「そんな事は一っ言も言ってない!私はただ任務に行きたかっただけなんだ!ね、ライアン?」
唐突に話を振られ、ライアンズがげんなりとした面持ちで返事を渋る。
やっぱり何か悪いモノでも憑いているのかもしれない……
ライラが心配そうなアンジェを促し、トレイを持って食堂を出て行く。
ヨハネスが、震える手で眼鏡を押さえた。
「そもそもお前が触らせもしないから、他の女を使っているんだろうが」
「触らせもしない?……使ってるだァ?ふざけんなお前、女をなんだと思ってるんだ!」
柚が怒る理由が分らないと言いたげな面持ちで、アスラが眉を顰める。
奥歯を噛み締め、柚はアスラを睨み付けた。
シェリーに花を贈ったり、使徒の義務とはいえ、シェリーに似たタイプの女を選んで抱いたり……
"同じ種で、何故恐れる?"
"皆が俺を恐れる……別に、珍しい事ではない"
ふと、アスラの言葉と寂しさを拭えない瞳が脳裏を過ぎる。
恐れられる事を厭うアスラ
アスラを恐れている様子のなかったシェリーや、昨夜の女
まさか……と、柚の顔が引き攣る。
「さっき私の事を好きって言ったけど、もしかしてアスラ……自分を恐がらない女なら、別に私じゃなくてもいいんじゃないのか?」
アスラがぴたりと黙り、眉を顰めたまま考え込む。
何故そこで黙る!と心の中で突っ込む周囲を他所に、柚の怒りが頂点に達した。
柚の中で、何かが音を立てて切れる。
声が低くなり、目が据わった。
「焔、刀貸せ」
「ん」
柚が差し出した手に、コーヒーを飲み直しながら焔が刀を手渡す。
柚は鞘を抜き捨て、アスラに斬り掛かった。
青褪めたライアンズとジョージが、悲鳴をあげて柚を止める。
「柚、ぉ、おお、落ち着け!」
「焔も凶器を渡すな!?」
それから数時間後、不機嫌な面持ちで黙々と仕事をこなすアスラを見て、イカロスは顔を引き攣らせていた。
隣で、話を聞いたガルーダが腹を抱えて笑い転げている。
イカロスはガルーダに、少しだけ殺意を覚えた。
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