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今の自分よりひとつかふたつ下と思われるガルーダと、今のアンジェやライラと同じくらいの歳と思われるアスラ
姿形は違えど、放つ雰囲気は全く変わっていない。

ガルーダの方へと走り出したイカロスの体が、ちらりと肩越しに振り返った。
共に、柚の視線も強制的にそちらへと導かれる。

その視線の先には、見慣れた施設の白い壁が広がっていた。
そしてその壁の影から、じっと見詰める視線がある。

柚は目を見開いた。

(ハーデスだ……)

まだ十歳にも満たないであろうハーデスが、三人に加えて欲しそうに、日陰からこちらをじっと見詰める。
柚は、その寂しそうな瞳に胸が締め付けられた。

自分の遊びに夢中なガルーダは、日陰などに目は向けない。
アスラは、何事にも無関心な顔をしている。

気付いているのはイカロスのみだった。
イカロスは一人、ハーデスの気持ちに気付いていた。

目が合ったハーデスはおどおどとした様子で俯き、自分に気付いたイカロスに自分から声を掛けようとして唇を喘がせる。

だが、イカロスはハーデスに声を掛けなかった。
そのまま背を向け、ガルーダやアスラの方へと駆けていく。

(ちょっと、イカロス将官!ハーデス誘わないのか!)

柚が叫ぶ声など、当然届きはしない。
そんな柚の耳に、ひそひそと囁くような声が届いた。

「ハーデス、また見てるわ。気味の悪い子」
「この間、あの子の周りに鳥がいっぱい死んでたのよ」
「能力も顔もこの子達には及ばないし、性格も暗いし……ちっとも可愛くない」

大人達が子供にも聞こえる声で、そう囁く。
柚は目を見開き、ぎりりと奥歯を噛み締めた。

その言葉は、子供の心にどう響くのだろう?
ましてや、直接心を感じるイカロスにとって、それはどう感じるのだろう?

考えを遮るように、体から引き剥がされるような感覚と共に浮遊感が襲い、柚は思わず目を瞑った。
手が何かを払い落とし、意識が覚醒する。

「っ――!え?あ、あれ?」

現実に引き戻された柚は、思わず椅子から立ち上がって周囲を見回した。

先程まで目の前で触れ合っていたイカロスの姿が忽然と消えている。
本が床に落ちており、自分が落としたのだと気付いた。

「イカロス将官……」

柚は小さくその名を呟く。
その顔に呆れが浮び、柚は腰に手を当てた。

「逃げたな」

机の上には、イカロスが持ち出した本がそのまま残されている。
ゆっくりとした動作で落とした本を拾い上げた柚は、窓から覗く狭い空を見上げ、溜め息を漏らした。

(ハーデス……)

柚はイカロスが置いていった本を手に取ると、席を立つ。
神話の本のみを本を戻し、柚は過去の新聞データが保管されたパソコンの前に座った。

指が、迷うようにキーボードの上を撫でる。

(相澤のこと……クラスメイトなのに、全然知らなかったな)

アスラが自分と向き合ってくれたように、母の言葉の通り、相手を理解しようとしていたら……
今も基也が生きていたら……

慎也とのように、打ち解ける事が出来ただろう。

(六年前の……あれはいつ頃だったかな)

柚は指を折りながら、記憶の糸を辿る。

知る事には、少し躊躇いがあった。
だが、何故相澤家がテロに巻き込まれたのか……彼等を少しでも知る者として、記憶に刻んでおきたいと思った。

皮肉にも、彼との想い出はコンプレックスだ。
キーボードを撫でていた指が、尖った耳に触れる。

(あ、これ……かな)

いくつか新聞の記事を拾い上げて根気強く記事に目を通していた柚は、モニターの上で指を止めた。

『多くの家族が賑わう休日の遊園地にて爆発テロ、死傷者多数』

柚は目を細める。
文字列を辿ってモニターを撫でる指先が、僅かに震えた。

『使徒の殲滅を唱えるエデンによる、休日の混雑を狙った無差別テロの可能性が強いとみて……』

(使徒の殲滅……私達の存在を否定するために、巻き込まれたのか)

柚の顔が影を落とす。

指先から力が抜け落ち、柚は項垂れるように机に伏せた。
ぐしゃりと前髪を握りこむ。

(相澤は……使徒が憎くないのか?それとも、行く当てがないからって言ってたけど、本当はエデンを憎んで軍に入ったのか?)

横行するテロ
犠牲になるのは、何の罪もない人々

生れた事に罪を問われようとも、誕生し、増え続ける"使徒"という種が、今更滅ぶことなど出来はしない。

(エデン……)

使徒として、自分達に出来る事――それは、テロから民衆を守る為に戦う事

テロか、世界か……
戦いしか見えてこない世界

心も体も、強くなりたい。

柚は視線を落としたまま、椅子から立ち上がった。





閉ざした瞼の先は、ただの闇
それは自分の瞳や髪と同じ色をしていた。

五感をひとつ閉ざせば、他の感覚が研ぎ澄まされる。
それは、第六感にも言えることだと思いたい。

鮮明な小鳥の囀り……
木々のざわめき……
木々の香り……

いくら瞼を閉ざしても差し込んでくる太陽の光

焔ははっと瞼を起した。
項垂れるように俯く。

(駄目だ……)

深い溜め息が溢れるように零れ落ちた。

瞼の裏に焼き付いた、幻のよう……
今にも消えてしまいそうな儚い微笑み。

(あの顔がチラつく)

舌打ちが漏れる。
苛立ちに前髪をぐしゃりと握りこんだ。

(ちゃんと大人しくしてるんだろうな……すげぇ、怪しい)

焔は項垂れながら、溜め息を漏らす。

(って違うだろ。今は自主トレに集中しろ)

一人首を横に振り、意識の中から柚を追い出そうとした。

目の前を、はらはらと赤に染まった木の葉が舞い落ちてくる。
焔は、なんとなく手を伸ばした。

掴もうとする掌をすり抜けて落ちていく葉
逆らえぬ理であるかのように、受け止めるのは決まって大地

(俺も……)

妹がいると言った自分の為に、囮として飛び出していった。
ハムサの時もそうだ。

さっきもそう、また背中を見送った。

(お前の背中ばっかり、追い掛けさせられてるってのに。贅沢な奴)

ぼんやりと木の葉が舞い散る空を見上げる。
何もかもが、手の届かない空のように、遠くに感じた。

落ち葉を踏む音が耳に届く。
焔ははっと現実に引き戻され、溜め息を漏らした。

振り返ることなく、焔は素っ気なく口を開く。

「何か用か?」
「あ……お邪魔をして、ごめんなさい」

おどおどとした声が返ってくる。
木々の間から、シェリーが遠慮がちに姿を現した。





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