まるで日常の世界から切り離すように、周囲はひっそりとした森に囲まれていた。

遠くからでもひとつぽつりと突き出た建物が確認できる。

広大な敷地をぐるりと囲む壁
見張りの軍人が粛々と佇む。

監獄の様に物々しく厳重な鉄の門とセキュリティーをいくつも潜り抜けてから、敷地内に入ってもなお車は走り、さらに研究所の前で最後のゲートを潜る。

ひとつ突き出た背の高い建物を挟むように、同じ構造の建物が向き合って並んでいた。
その内のひとつには"特殊能力国家研究所"と彫られ、反対の建物には"特殊能力軍事基地"と彫られてある。

車が研究所の前に到着すると、銃を所持した軍人が外からドアを開けた。
タラップを踏み、アスラに続きイカロスがコンクリートの大地に降り立つ。

すかさず恰幅の良いスーツの男が歩み寄り、彼は待ち焦がれたようにアスラに声を掛けた。

「おかえり、デーヴァ元帥、イカロス将官。報告を受けた子はどうしているかね?」
「ずっと眠っている。宮 柚は初めて力を使った負担によるものだとヨハネスが言っていた」
「ふむ、もう一人は?」
「途中目を覚ましたが、暴れた為眠らせた」

アスラは目も合わせず淡々と返す。
イカロスが誤魔化すように苦笑を浮かべたが、二人に続いて車を降りたヨハネスがため息交じりに付け加えた。

「お陰で、報告した状態から更に肋骨三本にヒビが入りましたよ」
「デーヴァ元帥、乱暴に扱ってもらっては困るよ」

特殊能力研究所の最高責任者を努めるモリス・ドルチェは、髭を撫でながら苦笑を浮かべる。

「それから元帥、帰って早々申し訳ないが政府から呼び出しだ。議会で報告して欲しいそうだ。検査を終えたらすぐにでも向かってくれ。モンロー議員が、議会の前に顔を出すようにと」
「……」

アスラは一瞥を投げ掛け、研究所の奥へと消えていく。
その背を見送り、イカロスは深いため息を漏らした。

「ライアン、君もご苦労様。検査を受けたら休んでくれていいよ。ヨハネスはもう一働き頼めるかな」
「はい」

車から運び出される二人の少年少女に付き添い、ヨハネスが建物の中に消えていく姿を見送ると、イカロスも足早に中央の建物へと消えていく。

ライアンズがエントランスから中に入ると、フランツ・カッシーラーが「おかえりなさい」と微笑み、出迎えた。
ライアンズは、ようやく肩から力が抜けるのを感じる。

フランツは愛嬌のある顔立ちを悲しげに歪ませ、小さく溜め息を漏らした。

「今度は二人……しかも一人は女の子か。噂は本当だったんですね」
「監獄へ、ようこそってな」

煤けた軍服の襟元を緩めながら、ライアンズは口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。

すると、全く同じ顔をした幼い双子の少年達が、物陰から顔を出した。

「お帰りなさい、ライアン!」

兄のアンジェが嬉しそうに駆け寄る後ろから、ライラが冷めた面持ちでゆっくりと歩み寄ってくる。
ライアンズの手がぽんっと二人の頭を撫でた。

二階の窓からその様子を見ていたフェルナンド・リッツィは、小さく鼻で笑い飛ばし、窓に背を向ける。

「ふんっ、くだらない」

怜悧な顔立ちをしたフェルナンドは、壁に凭れる孫 玉裁(そん ぎょくさい)の前を無言で通り過ぎた。
玉裁は壁から背を離し、タバコ代わりに噛むガム風船を膨らます。

「犯していいだろ?」
「当然」

フェルナンドは、静かに口元を歪ませる。
ガム風船が弾けた。

物音に、屋上で眠るユリア・クリステヴァはゆっくりと瞼を起す。

「なんだ、ハーデスか……」
「ユリアは興味ないの?」
「別に?どうせ毎日顔を合わせるようになるだろうし」

ユリアは大きな欠伸を漏らした。

ハーデスは、ぼんやりと流れていく雲を見上げる。
ユリアはそんなハーデスを一瞥し、くすりと笑みを漏らす。

「何?ハーデスはああいうのがタイプ?」

ハーデスがゆっくりと振り返り、ユリアに視線を向けた。

「分らないけど……俺も、何かしなきゃなのかな?」
「別にいいんじゃないの?ゴタゴタは面倒だし。僕には関係のないことだね」

ユリアが一角に視線を向け、口端を吊り上げる。
その瞬間、監視モニターから二人の姿が砂のように消えた。

モニターを覗く監視官に、白衣姿の研究員が声を掛けて歩み寄る。

「どうだね、彼等の反応は」
「あまり芳しい反応はありませんね」

申し訳なさそうに告げる監視官に、研究員達は資料を片手に語り始めた。

「それじゃあ困るな、やっと見付けた女の使徒だ。彼等には彼女に興味を持ってもらい、純血の使徒を産んでもらわねば」
「フランツ・カッシーラーはどうでしょう。歳が近いですし」
「それを言うなら、一緒に捕縛した西並 焔だろう。同じ日系だ」
「このご時勢に何をくだらんことを……歳も人種も関係ない、能力レベルを優先すべきでは?」
「だったら、やはりアスラだな」
「いいや、能力の相性を考えた方がいい」
「まあ、焦るな。少し様子をみようではないか」

彼等の口元に笑みが浮んだ。



イカロスはアスラの後を歩きながら、くつくつと笑みを浮かべた。
前を歩くアスラが、そんなイカロスに視線のみを向ける。
それは、無言の問いだ。

「いや、彼等は楽しそうだなって思ってさ」
「滅多に手に入らない研究材料が手に入ったからな」
「柚ちゃん個人レベルの話じゃないんだよ」
「……」

アスラが無言で返す。
彼ならば、言わずとも研究員達の真意に気付いているだろう。

だがあえて、イカロスはアスラの肩に触れて囁く。

「誰と交配させるか、だってさ」
「……ふんっ」

アスラは分厚いガラスに覆われた検査室を外から一瞥した。

薬で眠らされたまま検査を受ける焔と柚
彼等が着ていた学生服や持ち物が無造作にダストボックスに捨てられる。

アスラはコートを脱ぎながら、再び歩き出した。

あの二人が再び目を覚ます頃には、彼等の潜在能力とその数値が計測され、ランク付けされたデータが全世界の使徒研究機関に公表される。
体にはマイクロチップが埋め込まれ、いつでも場所の確認と記録が施されるようになっているだろう。

彼等は今後戦闘訓練を受け、軍人として一生をこの研究施設で過ごすこととなる。
家族や友人を含む外部の人間への接触、外出等は一切禁止される。

唯一許されるのが、任務での外出だ。
とはいえ、任務ということは戦場、もしくはそれに近い場所に向うという事。

生きながら死す場所

皮肉なものだ。
アース・ピース――"地球の欠片"と呼ばれながら、地球は使徒にとって監獄だと、以前誰かが言っていた。

(だからなんだ――…)

着慣れた軍服のボタンを外しながら、検査室に入る。
イカロスも同様に軍服を肌蹴ながら、面倒臭そうに腕を伸ばした。

「おかえり。アスラ、イカロス」

机と向き合う医者のラン・メニーが陽気に声を掛けてくる。
データに目を落としていたヨハネスが、パソコンから顔をあげた。

「どうだ?」
「驚きましたよ、二人とも上級クラスです。西並焔が炎の第二級ケルビム、宮柚は自己治癒と水で第三級スローンズです」
「へぇ……またまた上が喜ぶねぇ。けど、これはこれで面白いな」

イカロスは顎を撫でながら、くつくつと笑みを浮かべる。
その隣で、看護師が脈拍の測定や血液の採取をしていた。

「それだけ強い力を持っていれば、任務をさせないわけにもいかないだろ。あの子を子供を産ませるだけの道具には出来ない可能性もある」
「イカロス、口を慎め」
「はいはい」

アスラの言葉を軽く受けながしながら、イカロスは笑みを深める。
ヨハネスが小さく咳払いを挟んだ。

「あの女の子、まだ十六歳ですからね……少し安心しましたよ。女性は、特にああいう年頃は恋愛に夢を持つでしょうし、もしそんなことになったらあんまりです」
「歳など関係ない、研究所で生まれた使徒は、生まれたときより軍人として上の命令に従ってきた」

注射器に吸い上げられていく血
それは、人と変わらない……赤

基地内では、貴重な使徒を死なせない為に、体調管理が徹底されている。
一日一回の健康診断と、戦闘後の精密検査は、生活習慣の一部として組み込まれているので、苦痛にも感じない。

「しかし……」
「甘い考えは捨てろといつも言っているはずだ、ヨハネス。俺達が人間である必要はない」

押し黙るヨハネス
イカロスは意見の食い違う二人を見やり、小さく溜め息を漏らした。





柚はベッドの上で目を覚まし、ぼんやりとしたまま薄暗い部屋を見渡した。

決して広くはない部屋には、机とベッドの隣のサイドボード。
クローゼット、と小さな冷蔵庫、そしてバスルームに続くらしきドアがあるのみだ。

柚はベッドから起き上がり、首を捻った。

いつの間に着替えさせられたのか、薄い検査着のみで下着すら身に付けていない。
柚は悲鳴を呑み込み、シーツに包った。

「なっ、なな、何だコレ!どーなってんの?信じらんない!制服どこ、せめて下着ー!っていうかここ何処だ!?」

柚が混乱していると、部屋のインターフォンが鳴る。
飛び上がる柚の返事を待たずに、ドアは空気が抜けるような音と共に自動で開いた。

ライアンズ・ブリュールは部屋の電気を付けると、柚を見下す。

「やっと起きたか、呑気だな。お前」
「ぉ、お、起きた、起きたが?起きたけどさ、とりあえず、返事を待ってから部屋に入るというデリカシーはないのですか、お兄さん!」

突然の眩しさに目をくらませながら、柚はシーツを引き寄せ、ベッドの上で身を固くする。
その上に、綺麗に畳まれた軍服が投げ付けられた。

「ほら、着替え。五分以内に支度をしろ。五分過ぎたら覗くぞ」
「しっ、信じらんない!サイテー!!乙女の着替えは気長に待つのが男の甲斐性だぞ!」
「はいはい、五分だからな。じゃあ、外で待ってるぞ」

ひらひらと手を振って部屋から出て行くライアンズに、柚は枕を投げ付ける。
枕はライアンズに届くことなく、ドアにぶつかり、ぼふっと床に落ちた。

柚は半分泣きたい気持ちで投げ付けられた着替えに手を伸ばす。
畳まれた軍服を広げると、中から際どい下着が出てきて柚は赤面した。

「これ、誰の趣味!?ほんっと、信じらんないー!!」

部屋の外にまで響きわたる甲高い怒声

ドアの隣の壁に凭れるライアンズは、くすりと口元に笑みを浮かべる。
フランツ・カッシーラーがそんなライアンズを見上げ、苦笑を浮かべた。

「なんだか、元気な子ですね」
「ああ、あんなのがスローンズだぜ?扱きがいがありそうだ」
「第五階級ヴァーチュズのライアンズじゃあ負けちゃうかもしれませんよ?」
「なら、お前も負けるのか?第七階級プリンシパリティーズのフランツ君」
「ふふ、やだな。当分、負けないと思いますけど」
「だろ?」

フランツはくすくすと穏やかに微笑む。

すると、中から抉じ開ける勢いでドアが開いた。
軍服に着替えた柚は、呼吸を乱しながらライアンズを見上げる。

「ギ、ギリギリセーフ?」
「あ、悪い。時間計るの忘れた」
「ふざけ……ぅ」

途端に、柚がふらりと壁に手を付く。
慌ててフランツが柚を支え、顔を覗きこんだ。

「大丈夫ですか?いきなり無理をするから……」
「そ、そうだった……ここは何処だろうか?」
「特殊能力部隊アース・ピース基地、の使徒専用宿舎だ」

柚の問いに答えを返したのはライアンズだった。

目の前の青年は、何度かアスラの背後に立っている姿を見掛けた事がある。
しかし、テレビの中の住人が目の前にいることに、今更感動はない。

「基地……此処が」

柚は白い壁を見渡した。

降りそそぐ白いライト
同じ形のドアがずらりと並んでいる。

柚は腕を抱きこむように、自分の体を抱き締めた。

(……そっか、そうだった)

全てを投げ出し、ずっとそこに居たくなるかのような温かな温もり。
母の胎内、羊水に包まれたような、あの懐かしく全身を侵食する麻薬のように心地よい喜び。

「本当に私……使徒、だったんだ」

ぽつりと、言葉が溢れた。
自嘲染みた笑みが微かに漏れる。

フランツとライアンズは顔を見合わせた。

「いきなり連れてこられていろいろと混乱してると思いますけど、大丈夫。僕達も最初はそうだったんですよ。皆良い人だから、君もすぐに慣れます」

柚は顔を上げ、フランツを見上げる。

人柄を感じさせる柔らかな笑みと、おっとりとした優しい声
ふんわりとした思わず触りたくなるような亜麻色の髪
ピンクを思わせる瞳は、目が合うと穏やかに弧を描いた。

白く透き通る肌と顔立ちは、明らかにヨーロッパ系の顔立ちだ。

第三次世界大戦で、一度世界は統一されたという。
統一の時代は長く、統一世界により世界中の文化の多くが消失した。

しかし、広大な地球を一国が支配し続けるなど到底無理な話で、綻びは広がり、独立に決起する国は次々と現れ、第四次世界大戦が起こったという。
世界中を巻き込んだ第四次世界大戦の折、多くの人種が難民として各国に散った為、今や人種の壁などないに等しい。

現在、世界は「アジア帝國」「オーストラリア連邦」「アメリカ大陸合衆国」「ユーラシア連盟」「アフリカ共和国」の五つの国に大きく分類され、柚の住むアジア帝國は最も多い人口を誇っていた。

「僕はフランツ・カッシーラー、三年前に此処に連れてこられたんです。フランって呼んでください?歳が近いんです、宜しく」
「フラン……」
「それと、こっちがライアンズ・ブリュール。ここでの僕達の生活を管理する責任者みたいなものですよ」

鮮やかな白髪に混じる炎のようなメッシュが目を惹く。
制服を着崩した二十代前半の男は、無愛想というよりは不機嫌に柚の視線に返す。

すると、フランツがライアンズの足を踏んだ。

「ごめんなさいね、ライアンはいつもこういう顔だから気にしないでください。口と顔と態度は悪いけど、悪い人じゃないですから」
「おい、待てコラ」

ライアンズがフランツの頭を鷲掴みにした。

するとその時、隣の部屋から怒号が響いてくる。
三人がそちらに顔を向けた瞬間、蹴破る勢いで柚の隣の部屋のドアが開いた。

「ざけんな!なんでテメェ等なんかと仲良くしなきゃなんねぇんだよ!俺は帰る!」
「待ちなさい、とりあえず服を着て!」
「誰が軍服なんて着るか!?俺の服返せ!」

シーツを腰に巻いて飛び出してきた焔を追って、軍服を手に慌てて追いかけるヨハネス

焔と柚の目が合う。

「げっ、お前」
「お前、無事だっ――」

柚が焔に何かを言い掛け、身を乗り出した瞬間……
躓いたヨハネスが、咄嗟に焔の腰に巻かれたシーツに手を伸ばし、床に倒れた。

「てめっ、何しやがる!俺に恨みでもあるのか?ア゛ァ?」
「ご、誤解です!」

青褪めた焔が、慌ててシーツを手繰り寄せながらヨハネスに怒鳴りかかる。

その背後で、殺気を纏った笑顔で指を鳴らすフランツと、無言で銃を抜くライアンズ
その瞬間、目の据わった柚が二人を押し退けて足を踏み出す。

「恥を知れ、この露出魔がァー!?」
「ぐはっ!?」

振りかぶった右ストレートが振り返った焔の顔面にめり込んだ。
数メートルほど吹き飛ばされて倒れた焔に駆け寄り、哀れみとばかりにヨハネスがシーツを掛ける。

「ここ普通、きゃーとか言う所じゃねぇ?」
「見掛けによらず逞しい子で……」

ライアンズがぼそりと漏らした言葉に、フランツが頷く。
治しても治しても怪我ばかりが増えていく怪我人に、ヨハネスは少し泣きたくなった。





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