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犯人が立て篭もる廃墟ビルの周囲を、マスコミのカメラが囲んでいた。
規制を行なう軍の関係者が、犯人の説得を続けている。

ビルは全盛期の名残だ。

この地域は、戦時中ミサイルでの攻撃を受け、その余波によって崩れた建物群だ。
ビルが密集していた事もあり、ドミノのように倒れたビルの残骸の集合体で、いたるところに瓦礫が積み重なり、鉄筋がむき出しになっていた。

戦後人口が激減したこともあり、瓦礫の撤去作業に掛かる費用と時間を考慮した結果、進入禁止の非居住区エリアとして手付かずのままに放置されている。
こういった立ち入り禁止エリアはアジア帝國に限らず全世界に点在し、放置されたエリアの治安悪化も懸念されていた。

ビルの瓦礫の中央には、ひとつだけなんとか形状を保っている廃ビルがある。

ガラスは全て粉々に砕け散り、建物全体には巨大な亀裂がいたるところに走っている。
いつ崩れてもおかしくはないその建物は、僅かに傾いていた。
上空からは、その光景がよく見える。

テロ組織"アルカディア"は、そこを拠点にしていた。

瓦礫に覆われた廃ビルを軍のテントが囲み、軍人がマスコミの規制を行なっている。

ライアンズが舌打ちを漏らし、寛げていた軍服の胸元を閉めた。

「マスコミがうじゃうじゃいるな……」
「え?」

思い詰めた面持ちで俯いていた柚が、顔を上げてライアンズを見やる。

「あ?あぁ、いや。此処のことがリアルタイムで国内に流れてるだろ。行儀良く行動しなきゃな」
「カメラがなくとも当然のことだ」
「は、はい!すみません!」

アスラの言葉に、ライアンズが飛び上がった。
ユリアが、「ばか」と呟く。

フランツは、無言で窓から外を見詰めていた。
焔は焦れたように苛々としている。

柚は窓に手を宛がった。
ひんやりとした冷たいガラスが、小さく「ママ」と呟いた柚の声を遮る。

近くにいるのだ。
今、大切な人々がとても恐い思いをしている。

早く、一刻も早く救出し……無事な顔を見たい。
いや、顔を見ることは叶わないかもしれない。
ならばせめて、一秒でも早い無事を確認したい。

航空機がゆっくりと降下を始めた。
風圧に砂塵が舞い上がり、プロペラの轟音が静まっていく。

ハッチが開かれるとアスラはドアに手を掛け、立ち上がった柚と焔の二人に肩越しに振り返った。

「西並 焔と宮 柚の二名はこの中で待機。外に出てきたら叩き潰す」
「「はァ?」」

容赦のない口調で告げられた言葉に、二人が同時に抗議の声を上げる。
イカロスが苦笑を浮かべてアスラの肩を叩いた。

「アスラ、マスコミの前で叩き潰すのは不味いよ」
「そうか、じゃあ捻り潰す」
「もっと悪いっスよ!?」

真顔で言い換えるアスラに、ライアンズが青褪めて叫ぶ。

イカロスはフランツに視線を向け、外を指した。
家族を人質にとられた者に対し、好奇心としか思えないような不躾な質問が押し寄せた報道陣の間から飛び交っている。

「フラン、マスコミは無視しなさい。ハーデス、ユリアとフランツをテントまで運んで。それじゃあ、先に行くよ」

アスラの後に続き、イカロスがタラップを降りていく。

一斉にマスコミのカメラが二人を捕え、リポーターが中継を始めた。
軍人が押し寄せる人を必死で押し返す。

一斉に質問が投げ掛けられる中、二人はカメラの前を堂々と通り抜けて司令部のテントに消えていった。

「さて、と」

ユリアは深く息を吸い込み、静かに吐き出す。
唇から淡い粒子が溢れ出し、それはユリアの全身を纏う。

柚は思わず目を擦った。

ユリアの髪が伸びて淡いプラチナピンクへと変わったかと思えば、瞳が赤く染まり、輪郭や体が女性らしい丸みを帯びていく。
軍服が自分の着ている女物へと姿を変え、目の前にはまるで鏡に映したかのように、柚そのものの姿をしたユリアが立っていた。

「う、うわ、自分が目の前にいるって……なんか気持ち悪っ」
「君の身代わりになってあげる僕に対して随分な言葉だね。でも僕は心が広いからね、この姿のままマスコミのカメラの前で裸踊りでもしてくるよ」
「ごーめーんーなーさーいっ!」

柚の顔に爽やかな笑みを浮かべて微笑むユリア
ハッチから出て行こうとするユリアを、柚が半泣きで引き止める。

「いいか、お前もユリアには逆らうなよ」
「ああ、覚えとく」

ぼそりと忠告するライアンズに、焔は青褪めて頷いた。

ハッチから外を眺め、ハーデスがユリアとフランツに手を差し出す。
ユリアがその手を取ると、フランツが二人に振り返った。

「柚。僕は君を犠牲に父さん達を助けようなんて、思っていません」
「フラン……」
「同じくらい大切ですから――だから、自分を犠牲にしていいなんて絶対にもう、言わないで下さい」
「……うん、ごめん。ありがとう」

柚は噛み締めるように瞼を落とし、顔をあげて深く頷き返す。
ハーデスがフランツに声を掛ける。

「行くよ」
「はい、お願いします」
「気をつけて」
「頼んだからな」

ハーデスを中心に、ふっとユリアとフランツの姿が掻き消された。
柚と焔は、祈るように三人が消えた空間を見詰める。

ライアンズは二人の肩を軽く叩いた。

「いいか、お前等絶対出てくるなよ。焔、お前も一応襟を閉めとけ」

二人に念を押し、ライアンズがタラップを駆け下りていく。
ハッチが閉ざされた。

柚は力が抜けたようにシートに腰を落とす。
焔は頭を抱え込み、重い溜め息を漏らした。

航空機の小型モニターには、ニュースが流れている。
絶えず片隅に人質の様子が映し出されていた。

司令部のテントの外には、ライアンズが見張りに立つ。

テント内部にノイズが走り、ハーデスと共にユリアとフランツが舞い降りた。

イカロスはフランツにゆっくりと歩み寄る。
大きな掌が、フランツの胸の内の痛みを和らげるようにそっと頭を撫でた。

「大丈夫かい?」
「大丈夫です、やらせてください」

アスラがフランツを一瞥し、軍部との話に戻る。

ビルの周囲は瓦礫の山だ。
予定通り、いくらでも身を隠して接近出来る。

「イカロス」
「ん?」
「お前は大丈夫なのか?」
「何処にいても一緒さ。遠慮せず使ってくれて構わないよ」

イカロスは溜め息を漏らした。

人が多く集まる場所は、イカロスにとって鬼門のようなものだ。
多くの感情が流れ込み、ただでさえ参っている彼を疲れさせる。

イカロスはビルに視線を向けた。

「犯人の思考が読めるか?」

意識を集中させ始めたイカロスは、程無くして弾かれたように顔をあげ、小さく頭を振る。

「っ……遮られた。中にアレがある」
「少し面倒だな」

フランツが僅かに顔を顰めた。
拳にぎゅっと力が籠もる。

その時、アスラとイカロスがはっと顔を見合わせた。
テントの外からライアンズが顔だけを覗かせる。

「今、微かに気配が……」
「ああ、感じたね」

一人椅子の座り、優雅に足を組んで座っているユリアが頷いて返す。
ハーデスが廃ビルのある方へと顔を向けた。

「数字持ちレベルが二と、後はアシャラレベル……みたいだ」
「ハーデス。今すぐ残っている二人をこっちに連れてこい。宮 柚の安全確保を最優先とする」

アスラが指示を飛ばす。
その顔には、やはり連れてこなければよかったと言わんばかりに、苦い面持ちが浮かんでいた。

イカロスが航空機の方へと僅かに首を傾け、「あらら」と苦笑とともに呟きを漏らす。

「ライアン」
「は?」

イカロスは腕を組んだまま、促すようにテントの外を指差した。

外が突如ざわめき始めた。
ライアンズが振り返り、ぎょっとして駆け出す。

カメラを向けられておろおろとする柚と苛立っている焔

「何やってんだ、馬鹿!勝手に出るなって言われただろうが!」

ライアンズの声を聞いたアスラが、ピクリと眉間に皺を刻んだ。
テントの空気が急速に凍りつく。

ライアンズに背を押され、柚と焔はマスコミのカメラから逃げるようにテントの中に入った。

「何故出てきた」

入った途端に降る、思わず引き返したくなるようなアスラの冷たい声

柚がビクリと首を竦める。
焔が足を踏み出して声をあげた。

「さっき変な気配がビルの方に……」
「指示があるまで待機と言ったはずだ」
「けど!神森の奴等なんだろ?あいつ等に作戦を邪魔されたら人質が……」

その時、焔の声を遮るように、司令部のモニターから少女の悲鳴が響き渡る。

焔が息を呑み、恐る恐るモニターへと顔を向けた。

もしも、振り返った先に見たくもない光景が広がっていたら?
緊張が極限に高まり、手にじわりと汗が滲み出る。

犯人は、軍側と交渉をする気は一切ない。
全てマスコミに直接犯行声明や映像を送っている。

犯人は十二、三の少女に銃口を向けながら前に引き摺りだした。

腕には古い火傷の傷、肩まである黒髪、お気に入りといってよく着ていた水色のワンピース
呼吸の方法を忘れたように、焔の喉が引き攣る。

幼い少女の黒い瞳にじわりと溢れているのは、恐怖の涙
声が震えた。

「しず…く……」

手足を縛られている少女は、銃を向けられて「お兄ちゃん」と泣き叫ぶ。

柚は耳を塞ぎたくなった。
心臓を鷲掴みにされているかのような恐怖が伝わってくる。

気が狂いそうだ。
もし、もしも……何かあったら。

頭の中には、最悪の映像がふつふつと湧き起こる。

アルフレッド・カッシーラー――フランツの父親が、犯人を罵っていた。
途端に激高した犯人がアルフレッドを銃で殴り飛ばし、倒れたアルフレッドの腹を何度も蹴りつける。

柚の母が「止めて」と叫ぶ。
雫は恐怖に声もあげられなくなり、ガタガタと震えていた。

フランツと柚の顔から血の気が引いていく。

「映像を切れ」

アスラが淡々とした口調で告げる。

ハーデスがモニターの電源を落とし、全ての音が一瞬にして途絶えた。
訪れた静寂の中、響き渡るのは心臓の音のみ。

イカロスが二人を落ち着かせるように、肩を抱いた。

「犯人は簡単に人質を殺したりしない……」
「けど、傷付けてるじゃないか!」
「柚ちゃん……フランも」

柚はイカロスの体を引き剥がす。
イカロスの中に、二人の考えが流れ込んでくる。

伸ばされたイカロスの手を、柚の体はすり抜けた。
焔と柚が地面を蹴り、外に向けて走り出す。

「止めなさい――っ、ライアン止めろ!」

テントから飛び出した焔と柚に、ライアンズが慌てて手を伸ばした。
その間にフランツが飛び込み、風がライアンズの腕を弾き飛ばす。

ライアンズの瞳が、驚きに見開かれる。
フランツはライアンズに一瞬の一瞥を向け、振り切った。

「フラン!?」
「ごめんなさい!」
「くそっ、これだからガキは!!」

ライアンズが吐き捨て、二人の後を追おうとする。

その瞬間、前を行く柚と焔が足を滑るように止めた。
何かが高速に落下してくる。

地面を衝撃が襲い、体が吹き飛ばされそうな衝撃波に巻き起こった砂塵が肌を撃つ。

「へえ、あんたが噂の"エヴァ"か」
「っ……!」

砂塵が引いていく中、ふらりと立ち上がる人影に柚は息を呑んだ。
焔とフランツが柚の前に出て睨み返す。

「アダムがさ、アース・ピースなんぞに任せてたら見殺しにされるから、俺達にあんたの母親救出してこいってさ」
「え……?」
「馬鹿、相手にするな!」

ライアンズが叫び、三人の後ろから両手に銃を構える。

テントから姿を現すアスラとイカロスが、たった一人で自分達の前に現れた少年を見やった。
炎のような赤い髪の少年の名は、ハムサ……神森の実力者、すなわち幹部メンバーだ。

テントの中から、指示を求めるようにユリアとハーデスがアスラの背を見やる。
アスラは静かに首を横に振った。

イカロスがハムサを見据えて目を細める。

「……なるほどね。彼女の母親だけ救出して、後はその場にいる全員を殺せ?君のご主人さまは相変わらず過激だ」
「てめェ!?」
「させません!」

焔とフランツが顔色を変えてハムサに飛び掛ろうとする。
ハムサが口端を吊り上げ、その腕に電流を纏った。

アスラがテントに向けて一瞥を投げた。

触発しようとする三人の間に、空間を跨いだハーデスが音もなく姿を現す。

体よりも長い大降りの鎌が、太陽の光を反射させる。
鎌は空気を裂く唸り声をあげた。

ハーデスの髪がふわりと舞い、足が地面を踏みしめ、眼光が獲物を捕らえる。
鎌がハムサの喉元に、柄がフランツと焔の目の前でひたりと動きを止めた。

ハムサはにやりと笑みを浮かべ、愉快そうに笑いながら瓦礫の山に姿を消す。

「あっ!」
「待て、この野郎!?」
「邪魔はさせません!」

焔を筆頭に、ハーデスの隣をすり抜けてハムサの後を追い掛けていくフランツと柚
ライアンズが慌てて三人の後を追い、瓦礫に消えた。

ハーデスが、意見を求めるようにアスラに振り返る。
アスラは眉間に皺を刻んだまま、額に青筋を浮かべていた。

アスラはテントに身を潜めるユリアと正面のハーデスに視線を向ける。

「作戦に変更なし。ただし、宮 柚は発見次第なんとしても連れ帰れ。以上、作戦を開始する」
「「了解」」

ハーデスがテントに戻り、ユリアと共に一瞬にして姿を消した。

見送るイカロスの隣にアスラが並んだ。
イカロスはアスラに視線を向けてビクリと肩を揺らす。

「あの馬鹿共は従うという言葉を知らないのか?」
「知ってはいると思うんだけどね……言葉だけなら」

かつてないほどにアスラの目が据わっている。
引き攣った顔を逸らしたイカロスは、心労にため息を漏らした。





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