19


任務帰りのライアンズ・ブリュールが、足を止めて中を覗きこむ。
柚と焔が基地に連れてこられてから、一週間が過ぎていた。

遊戯室の中央に置かれたソファで、ガラスのテーブルを挟んで向かい合い、三時のおやつを食べている四人の人影

「おーい」
「あ、ライアン」
「おかえり」

フランツ・カッシーラーとライラが顔をあげ、柚とアンジェがライアンズに駆け寄った。
アンジェが心配そうにライアンズの顔を覗き込んで見上げる。

「ライアン、怪我はない?」
「視察に行っただけだ、あるわけないだろ」
「一応社交辞令で聞いてやってるんじゃないか、もっと感謝しなよ」
「嘘でも心配したと言え」

ほっとした面持ちを浮かべるアンジェを他所に、ソファから微動だにしないライラがぼそりと吐き捨てた。
全く反応の違う双子に、ライアンズが笑顔に青筋を浮かべる。

すると、柚がライアンズの腕を掴んで揺さぶった。

「ねえ、お土産は?」
「ねぇよ!ったく、こっちも可愛くねぇな」
「何!色気が無いだの可愛くないだの、贅沢が過ぎるぞ!」
「過ぎてねぇよ、むしろお前ひとつもクリアしてないだろ」

ギャアギャアともめ始める二人に、フランツとライラは優雅に紅茶を嗜みながら溜め息を漏らした。
アンジェのみがおろおろとしている。

「ちょっとライアン、何遊んでんの」
「報告、終わった?」

長い廊下を、気だるげに歩いてくるユリアとハーデス
柚はライアンズの後ろから顔を覗かせ、ひらひらと手を振った。

「ハーデスとユリアも一緒だったのか。おかえり」

ハーデスが柚の目の前で止まる。
「ただいま」と小さく微笑んで返すハーデスに、柚はにこりと笑みを浮かべて返す。

気だるそうなユリアが、廊下に座り込んだ。

「はぁ、超だるい……部屋帰って今すぐ寝たい」
「いい加減にしろ、万年五月病!」

ライアンズがユリアの首根っこを捉える。

その時、フランツが手にしていたカップを落とした。

その音に飛び上がったアンジェが青褪めてテレビを凝視するフランツを見やり、フランツと共にテレビを見ていたライラが目を見開く。
アンジェがおずおずとテレビを覗き込んだ。

映し出されているのは、崩壊した廃墟ビルが建ち並ぶ非居住区エリアだった。
非居住区エリアとは、戦争被害が深刻で、崩壊した建物等が放置されたままとなっている場所だ。

ヘリコプターのプロペラの音が耳に付く。
リポーターが、しきりに臨時ニュースだと繰り返していた。

『現在、反使徒を掲げる武装組織"アルカディア"は、アース・ピースに所属している使徒の身内数名を人質にとったとテレビ局に犯行声明を送り、廃墟ビルに立て篭もっています。尚、アルカディアは宮 柚と人質の交換を要求しており、政府は――』

カメラが向けられた先
不鮮明な映像が拡大されると、廃墟ビルの瓦礫の上に武装したテロ組織が軍隊のように整列している。

そして、その中央には一般人らしき三人の人間

柚の顔からサッと血の気が引いていく。
体が奥深くからざわめいた。
心臓が悲鳴のように嫌な音を立てる。

カメラに映し出された映像には、覆面をした男達に銃を突き付けられている母の姿があった。

「マ、マ……」

よろめいた柚をハーデスが支える。

『現在、人質として確認出来ているのは、宮 弥生さんと西並 雫さん、アルフレッド・カッシーラーさんの三名で、ここ数年の間に保護された使徒の家族が人質の対象となったものと思われます』

柚は息を呑んだ。

家族が殺される。
助けに行かなければ――それは、備わった本能に近い。

館内の使徒に呼び出しが流れた。

柚が青褪めた顔を向ける。
柚を支えるハーデスが、そっと柚から手を放す。

「大丈夫……使徒は決して見捨てないから」
「……うん」

柚が思い詰めた面持ちで、深く頷いた。

会議室に入ると、ジョージから説明を受けていた焔がはっとした面持ちで振り返る。
柚達と同じ様に青褪めている焔は、唇を噛んで柚達から顔を逸らし、深く俯いた。

「全員集まったかい?」
「イカロス将官!」

ドアから顔を覗かせたイカロスに、フランツが何かを言いたげに見上げる。
イカロスは静かに頷き、フランツの頭を軽く撫でてその隣を通り過ぎた。

廊下から、秘書官と話しながら歩いてくるアスラが、会議室に集まっている柚達を一瞥する。

部屋には、現在基地に残っていた十一人の使徒
イカロスはファイルを机の上に置き、正面のモニターに視線を向けた。

「状況を説明する。"アルカディア"はあまり名前が知られていないけれど、"エデン"に同じく反使徒組織だ。今回人質に取られているのは、宮 弥生、西並 雫、アルフレッド・カッシーラーの三名。宮 柚の母、西並 焔の妹、フランツ・カッシーラーの父親だ」

柚は、ぎゅっとスカートを握りこむ。
一言一言に、心臓を締め付けられる想いだ。

本当は、今すぐにでも飛び出していきたい。
理性を総動員してそれを押し止めているのは、柚だけではない。

「アルカディアは、政府や軍にではなく、マスコミに直接犯行声明を送った。結果として、我々の対応が後手に回っている」

沈痛な面持ちを浮かべる三人に、ユリアが感情を感じさせない一瞥を向ける。

「犯人の要求は、宮 柚と人質の交換」
「私、交換に応じる!」

柚が立ち上がった。
イカロスが視線を向け、静かに首を横に振る。

「それはできない。これは政府と我々の総意だよ」
「じゃあどうするんだ!私が行けば人質を無事に解放してくれるんだろ!」
「確かに開放するとは言っているけれど、無事に開放するとは一言も言っていない。ましてや、テロリストの言葉を信じるわけにはいかない」
「じゃあ見捨てるのか!?」
「そういうことを言っているんじゃないよ。優先順位の問題だ」
「人質が最優先じゃないか!見捨てるって言ってるのと一緒だ!」
「落ち着きなさい。第一、交渉に応じたら君はどうなる?人質と交換に殺されてくるかい?アルカディアは使徒の殲滅を掲げているテロ組織だ。こんな大胆な行動に出たのは、君が使徒を増やす事を恐れてだ。彼等の手に渡ったら君は確実に殺される」
「私は……それでも構わない」

俯いたままのフランツの肩が、小さく跳ね上がった。
ゆっくりと顔をあげたフランツが、イカロスに食って掛かっている柚の背を見やる。

イカロスは、感情的になっている柚とは対極に、感情を切り捨てたように残酷な眼差しで柚を見下した。

「我々は構うよ。"人類三人"と"たった一人しかいない女性の使徒"、我々がどちらを優先するか分かるね」
「っざけるな!?もう一度言ってみろ!!」

焔が椅子を蹴って立ち上がり、イカロスに掴み掛かる。

フランツは椅子から浮かし掛けた腰を、椅子に落とした。
体が震える、泣き出したい気分だ。

「二人とも、下がれ」

イカロスの胸倉を掴む焔の手を、アスラが払った。
淡々とした命令に、焔がアスラを睨み返す。

「人質は必ず全員、無事に救出する」

はっ……と、息を呑んで柚がアスラを見た。
イカロスは軍服を整えながら、静かに誰にともなく問い掛ける。

「君達は何故彼等がマスコミを集めたと思う?」
「使徒の力がどれだけ人外で強力なものか、その牙が人類に向けられたら人類の脅威になるかを見せ付けるため――です」

フランツが沈痛な声で返す。

「その通り。彼等の目的は当然使徒の排除でもあるけど、第二に政府の管理下にある使徒を人類の脅威と認識されることも目的だ。つまり、俺達の能力を使って容易く犯人を殺せば、奴等の思う壺という事だ」

"殺す"という言葉が、重く圧し掛かった。

柚は視線を床に落とし、椅子に座りなおす。

軍人である以上、人を殺すこともある。
そういう場所で、自分は生きていかなければならない。

だが実際、もし母になにかあれば……
自分は今、容易く人を殺せてしまう力を持っている――怒りの衝動で人を殺すなど、実は容易いことなのかもしれない。

ゆっくりと顔を上げ、イカロスを見やる。

「殺すのか?」
「捕まえるんだ、"今回は"ね」

イカロスの言葉は、やはり柚の中に重く突き刺さった。

「我々の総力を持って、誰一人死者を出すことなく人質を救出し、テロリストを捕縛する」

アスラの言葉が会議室に明瞭に響き渡る。

「テロリストとの交渉はイカロスに。ユリア・クリステヴァを宮 柚の代わりとして人質交換に応じる。その間、ハーデスはユリアの護衛を。ライアンズ・ブリュールとフランツ・カッシーラーは、ユリアが犯人達の気を引いている隙に瓦礫の陰を利用して建物に接近。人質救出後、総攻撃を仕掛ける。以上五名は出撃の準備に掛かれ」

ライアンズが立ち上がり、敬礼を返して部屋を出て行く。
その後に続き、ユリアとハーデスが会議室を出て行くと、フランツが柚と焔に「行ってきます」と声なく告げ、三人を追い掛ける。

焔が眉を顰めた。

「ちょっと待て、俺は?」
「基地に攻撃が仕掛けられないとも限らない。ローウィー教官、並びに宮 柚、西並 焔、アンジェ、ライラは基地で待機」
「冗談じゃねぇ!こんなところで見ていられるか、俺も行く!」

迫る焔に、アスラは冷めた眼差しを向けて見下す。

「はっきり言わなければ分らないか?今のお前と宮 柚は足手纏いだ」

焔と柚の肩が跳ねる。
焔は拳を握り締め、ギリリと奥歯を噛み締めた。

柚がゆっくりと顔をあげる。

「それでも……一緒に行かせて欲しい」
「却下だ」

踵を返したアスラが、ドアに手を掛けて淡々とした口調で返す。
焔がアスラを睨み返した。

「俺達の家族だ!じっとなんてしてられるか!」
「だから我々が行く。奴等の目的は宮 柚の殺害だ。わざわざ出向かれては迷惑だ。此処で待機していろ」
「待って!」

柚は会議室を出て行くアスラを追い掛け、咄嗟にその腕を掴んでいた。
アスラが僅かに驚きを浮かべて振り返る。

アスラはすぐに驚きを消し去り、抑揚のない面持ちで柚を見下ろした。

「……我々が、信じられないか?」
「違う!どれだけ強いか知ってるし、信じてる。ただ、少しでも家族の近くにいたいだけなんだ。会えなくてもいいから、見届けたいんだ」

柚はアスラから手を放し、俯く。
その目尻にじわりと滲む涙をそでで乱暴に拭いさり、柚は気丈に顔をあげた。

「絶対に邪魔はしない。なんでもする。だからお願い、連れて行って欲しい」
「いいんじゃない?」

再び駄目だと言い掛けたアスラの後ろから、口を挟んだのはイカロスだった。
アスラは、咎めるようにイカロスの名を呟く。

「これだけマスコミも集まっているということは、それだけ国中が注目しているということだ。形だけでも当人を連れて行ったほうがいいと思うけど。ただし二人とも、後方で待機出来ると約束出来るならの話だ」
「「出来る!」」

二人が声を揃えた。
アスラは顔を逸らし、再び歩き出す。

「……好きにしろ」
「ぁ……」

柚は咄嗟にアスラの腕を掴んだ。

振り返るアスラに、柚ははっとした面持ちで慌てて手を放す。
柚は赤くなりながら、さっと手を後ろに隠した。

「ありがとう……あの、この間も」
「……」
「ほら、アスラ。こういう時は"どういたしまして"」

ふいっと顔を逸らすアスラの横を通り過ぎ、イカロスが囁く。
暫くの間を置いて、淡々とした口調で「どういたしまして」と馬鹿正直に返すアスラ

一瞬の間を置いて、笑いそうになった柚は慌てて顔を背けた。
笑ったら失礼だ。

少しだけ、アスラ・デーヴァという人物が理解できた気がする。

柚は、「なんだこいつ」と言いたげな顔でアスラを見ている焔を見上げ、苦笑を浮かべた。
イカロスもまた、心配そうにこちらを見ていたジョージと顔を見合わせ、苦笑を交わす。

アンジェとライラに見送られ、柚と焔は用意された航空機に乗り込んだ。





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