33


柚が部屋から出ると、すでにアスラの姿がない。
きょろきょろと周囲を見渡す柚に、イカロスが苦笑を向ける。

「何も言わずにいっちゃったよ」

柚はそれ以上を聞かなかった。
行き先は多分、アルテナのところだろう。

「イカロス将官は?顔、大丈夫?」
「こんなの痛くも痒くもないって」

柚の問いに、イカロスではなくガルーダがけたけたと笑い返す。

「で、アイツの秘密って何?」
「ガルーダは口が軽いから教えないよ」

興味津々の覗きこんでくるガルーダに、イカロスはくすりと楽しそうな笑みを浮かべた。
つまらなそうにするガルーダは頭の後ろで腕を組み、長い足で前を行く。

まるで、何事もなかったかのように接してくる二人
柚は二人の背を見詰め、顔を伏せた。

「……」

ヨハネスがあんなにふらふらだったのは、皆の怪我を治癒して疲れているのに、自分の為に徹夜で報告書を作製してくれたからだ。
アスラを母親と喧嘩させてしまった。
使徒に、政府に逆らう真似をさせてしまった。

それなのに、誰も自分を責めようとはしない。

俯く柚に振り返り、ガルーダが顔を覗きこむ。

「どうした、柚?元気がないぞ!」
「だって……」
「アスラが戻るまで、あそこで待とう」

イカロスの静かな声が、中庭のベンチを指す。

中庭のベンチに座ると、イカロスが缶ジュースを柚に差し出した。
柚は俯いたまま、小さく口を開く。

「ごめんなさい」

突如、呟くように謝り出した柚に、ガルーダが首を捻る。

「なんで謝ってんの?」
「うーん……」

イカロスが、不思議そうにするガルーダに苦笑を浮かべた。
柚の目の前に覗きこむように座るイカロスが、穏やかに笑みを浮かべる。

「誰も、君に巻き込まれたなんて思っていないよ。ヨハネスも俺達も、そうしたいと思ったからやったんだ」
「でも、私が我慢してれば……!」
「フランにも言われただろう?君は我慢したよ。……あのね、柚ちゃん」

膝の上に置かれた柚に手に、イカロスは手を重ねた。

「俺はね、"愛されない子供"だった。母体となった人は子供が沢山いたけどお金に困っていたんだ。その頃、政府は人種による使徒との交配成功率の研究を進めていて、その人は望んで体を提供したんだけどね」

柚がはっと目を見開く。

イカロスの顔は、いつも通り優しい……だが、何処か寂しげだった。
その顔は、昨晩アスラが見せた顔によく似ている。

「受精に成功したばかりの頃は、その人はお金が入るってとても喜んでいたよ。けどね、俺が成長するにつれて、彼女は恐怖に憑りつかれていって……最後には狂ってしまった」
「……その人は?」
「さあ、分からない。俺の意思が出来上がる頃には俺に対する恐怖ばかりで、俺も産まれた事をとても悔やむことで頭がいっぱいだったから」

"分からない"という言葉が嘘である事は、柚にもすぐに分かった。

イカロスは、その後母親がどうなったかを知っている。
言いたくないのか、柚を気遣ってか……

どちらにせよ、それが良い結果でなかったことは明白だ。

「人の手によって産み出された俺達が言うのは変かもしれない。でも、愛されなかった俺達だからこそ、愛されない悲しさを知っているんだ」

とても重い……

愛されて育ってきた自分が、全く知らなかった世界だ。
知らなかったことが、罪にすら思えてくる。

柚は顔を俯かせた。

「願っているよ……生まれてくる命を、君にはどうか愛してあげて欲しい。せめて誰かに愛されていないと、存在すら否定されているようでとても悲しい」

大きな掌が安心させるように頭を撫で、目の前で優しい瞳を細めて微笑みを浮かべる。

「ずるい……」
「ん?」
「イカロス将官はずるい」
「そうだよ、俺はずるいんだ」

イカロスは苦笑を浮かべた。

心を読めるから、その人の望む言葉を知っている。
好かれようと思えば、その人の望む言葉、求める人格を演じればいい。

だが結局、優しい言葉はとても心地良いが、イカロス自身の言葉は何処にあるのか……

皆が望む"イカロス"を演じ続け、皆に頼られ愛されている彼は、本当のところ誰よりも孤独だ。
それなのに、その口から望むのは他人の幸せばかり……

それがとても歯痒い。

心配を掛けまいとフランツに笑みを向けていた自分に似ている気がした。

「だから、君は俺のようにならないように……フランにでも思いっきり甘えていなさい」
「……イカロス将官?」

イカロスは、穏やかに首を傾ける。
柚は、挑むように口を開いた。

「私は好きだから」
「ん?うん」
「母親には叶わないだろうけど、今以上にもっともっと好きになるから!」
「有難う、柚ちゃん」

僅かに驚いた顔をしたイカロスが、くすくすと笑みを零す。
満足そうに胸を張る柚に、ガルーダが「俺は?」と身を乗り出した。

「ガルーダ尉官も好き!」
「俺も柚、好きー」

ガルーダが柚を軽々と抱き上げ、頬擦りをする。

そのまま人形のように柚を振り回すガルーダに、イカロスは苦笑を浮かべて廊下に視線を投げた。
ガルーダが「来た」と呟く。

柚ははっと廊下に顔を向けた。

「アスラ!」

何処となくとぼとぼとした力のない歩調で、アスラがこちらに向かってくる。
事実そうなのであろうが、まるで叱られて落ち込む子供のようだ。

恐る恐るアスラに駆け寄り、顔を覗き込んだ柚はぎょっとした。

「な、なんか滴ってる……もしかして、な、泣いてるのか?なんかうっすり緑なんだけど、お前の涙は緑なのか?」
「母上に茶を掛けられただけだ」
「だ、だけって!あぁ、う、ごめん。私のせいだな。本当にごめん」

慌ててハンカチを取り出して自分の顔を拭く柚を、アスラを何も言わず見下す。
髪の水気を拭い、顔をそっと拭うと、柚は俯いた。

従順だった子供が突如反旗を翻した時、母親はどんな気持ちになるのだろう?
子供は?

円満だった親子関係にひびを入れてしまったことに、後悔と罪悪感でいっぱいだ。

意を決した面持ちで、柚は顔を上げた。

「ぁ、あのっ!」
「……」
「あの……ごめん、ありがとう」

アスラが無言で柚を見下す。
やっぱり怒っているのだろうか……と思うほど、アスラは無表情だ。

(イカロス将官はああ言ってくれたけど……なんだこれ、やっぱり怒ってるのか?そもそも私が我侭言ったからか?いや、我侭に入るんだろうか?あー、でもやっぱり我侭だったのかも!でも、でも!)

柚はぐるぐると考え込み、最終的におずおずとアスラを見上げた。

「え、えっと、ごめん、なさい」
「先程から、お前は何故謝る?」
「私のせいでこんな目に遭わせちゃったわけだし、怒ってるだろうなと……」

もごもごと告げる柚に、アスラが向き直った。
俯く柚の顎に手を掛け、アスラは強引に柚の顔を自分に向けさせる。

目が合うと、アスラは少しだけ困った顔をしていた。

「理由は良く分からないが、お前にそういう顔をさせたくないと思った……俺のしたことは、気にいらなかったか?」

柚は目を瞬かせる。
慌てて首を横に振った。

「お前は俺が守ると決めた。この選択に後悔をしていない」

暫しの間を置いて、柚がアスラに抱き付く。

嬉しかった――その一言だ。

感情が水のように溢れ出し、不安や寂しさを洗い流していく。
くすぐったいような熱が、胸の内から込み上げた。

「アスラの事も好きだから……っ」

腰にしがみ付くように抱きついたままの柚に、アスラは眉を顰めてイカロスを見やる。

「なんだ、これは……」
「嬉しかったんだよ、君のしたことが」
「……そうか。ならばよかった」

そこには、穏やかな笑みを浮かべたアスラがいた。
イカロスとガルーダが、どちらともなく顔を見合わせて笑みを交わす。

イカロスは柚の頭を撫で、柚の顔を覗きこんだ。

「さて、帰ろうか?」
「うん!」

顔を上げた柚が、微笑みと共に頷いた。

三人に囲まれながら、柚は足を踏み出す。
議事堂の外で待ち構えていたマスコミのカメラのフラッシュが光る。

その中に踏み出す一歩に、もはや躊躇いはなかった。





カーテンを閉め切った薄暗い部屋を、テレビの光が煌々と照らしていた。

連日マスコミが家に押し寄せ、ノイローゼになりそうだ。
今も、テレビには我が家が映し出されていた。

それでもテレビをつけ続けるのには理由がある。
昨日の事件で、マスコミのカメラが柚の姿を捉えていたからだ。

何度も同じ映像が繰り返し放送されている。

一目でもいい、顔を見たい、声を聞きたい。
この一瞬の"今"という瞬間も元気にしているか、知りたい。
お金などいらない、たった一人の娘を返して欲しい。

柚がいなくなってから買い集めた週刊誌や新聞が、テーブルの上に山積みになっていた。
女の使徒が発見されたことに関する特集は組まれても、どれも過去の写真ばかりで現状を知ることが出来ない。

重い溜め息が漏れた。
夫の洋輔が、そんな自分の肩を抱き寄せる。

その時だった。

『現場からの中継です。先程国会議事堂を訪れたデーヴァ元帥が外に出て参りました。一体、大統領とどんな話をしてきたのか……』

三人の大きな体の間で、小柄な影が揺れた。

太陽の明るい光の下、少女が向けられたカメラに気付いて顔を向ける。
懐かしいプラチナピンクの髪が、太陽の光を浴びて輝いていた。

小さい頃は、よくその髪を結ってあげたものだ。
大きくなると、いつも遅刻ぎりぎりまで、鏡の前で髪を弄っていた姿を思い出す。

いまでもふと、そんな幻をみる。
物音がすると娘が帰ってきたのではないかと過剰に反応してしまう。

瞳がテレビに釘付けになった。
洋輔の肩を抱く手に力が籠もる。

「母さん……」
「柚!」

カメラとマイクに揉みくちゃにされそうになる少女を、三人の青年が庇う。

あんな大きな男の人達に囲まれ、恐い想いをしていないか……
マスコミのカメラに押し潰されないか……

マスコミは、娘が誰の子を産むかという話しばかりだ。
憎らしいほどに、腹立たしい。

少女は質問を投げ掛けるリポーターの一人に振り返り、カメラで視線を止めた。

『私は……』

言葉を区切り、静寂を待った少女が微笑む。

『自分がとても恵まれた人間だと感じています。それは、私を産んでくれたお父さんとお母さんの子供だからです』

カメラ越しに目が合う。
まるで、触れられそうな距離に感じた。

ここ一週間で痩せてしまった弥生の肩が小刻みに震える。

『お父さんとお母さんの子供であったこと、それから、沢山愛してくれたこと。今更だけれど、その当たり前に感謝しています。仲間はとても優しくて……私はもう大丈夫』

弥生の頬を涙が伝い落ちた。
涙が焼き付けたい娘の顔を曇らせる。

『パパとママには、恥ずかしくて一度も言えなかったけど……大好き、生んでくれて有難う』

堪えきれず、声をあげて泣いた。
「私もよ」と返したくても、今はもう、届かない言葉

病院で初めて娘を抱いた時、「生まれてきてくれて有難う」と、ありきたりな、だが心から感じた言葉を掛けた。
娘が初めてしゃべった言葉は、「ママ」
活発な子で、人よりも早くハイハイを始め、立って歩けるようになった頃にはいつもひやひやさせられた。
尖り気味の耳を馬鹿にした男の子と大喧嘩をして、相手を泣かせて帰ってきた。

泣き疲れた頃、弥生は顔をあげ、ぽつりと呟きを漏らした。

「あの子……」
「ん?」
「あの、私と一緒に攫われた女の子、雫ちゃんだったかしら」

洋輔は、無事に救出された弥生を出迎えたとき、共にバスに乗っていた少女を思い出す。

「ご両親が亡くなって……最後の身内だったお兄さんが、柚と一緒に連れて行かれてしまったんですって」
「そうか……寂しいだろうな」
「あの子、どうなるのかしら……」

ぼんやりと意味もなく壁を見詰めながら、弥生が呟いた。
洋輔は僅かに顔を歪める。

「可哀相だが、施設に入るんじゃないかな」
「……ねぇ、あなた?」

ゆっくりと、涙に濡れた瞳が振り返った。

「私達に出来ることって、ないかしら……?」

テレビの中で、娘が前を向いて歩き出す。
横顔に浮かぶのは、穏やかな微笑み……

洋輔の胸を締め付けるほど、笑うと二人は良く似ていた。










焔は自室に舞い込む風を感じながら、ため息と共に新聞を閉じた。

ゴシップ記事の一面を柚が飾っている。
柚がアスラ達と出掛けた日の夜、ニュースで取り上げられる柚の映像を見て、ライアンズが冷やかして柚を怒らせていた。

近くに寄るだけで脅えていたアスラと、昨日から妙に距離が近い。
女は良く分からない生き物だと、思い知らされた気がする。

これだから、女には関わりたくないのだ。

憂鬱なのには、もうひとつ理由がある。
今日から、ガルーダによる特別訓練らしい。

そろそろ訓練の時間だ。
行かないと、また煩い女が呼びに来る。

ベッドから立ち上がろうとした焔の部屋に、インターフォンの音が響いた。

「うるせぇな。今行くとこ……」
「焔、ちょっと来い。元帥がお呼びだ」

ドアを開けて、焔は眉を顰める。

呼びにきたのは柚ではなく、ジョージだった。
アスラに呼ばれるようなことをした覚えもない。

困惑しながらジョージに案内されてアスラの執務室に向うと、部屋の中で柚が振り返った。

ジョージが焔の背を押し、部屋のドアを閉める。
入るなり、アスラが書類を焔に差し出した。

書類に目を落とした焔の瞳が、大きく見開かれていく。
柚が、窺うように遠慮がちに焔の顔を見る。

「これ……なんで、こんな……」
「家族の下を離れたお前達に口を出す権限はない。あくまでも決めるのは本人だが、もし決まればどうせマスコミが取り上げる。こういう話があるということを先にお前達が知るくらいは許されるだろう」

焔は、言葉が出てこなかった。

数多の施設から、身寄りのない雫を受け入れたいと挙って申告があると書かれてある。

宮夫妻には、政府から多額の謝礼金が贈られていた。
それは、雫にも同じことが言える。

未成年の雫が一生遊んで暮らせるような大金を手に入れたのだ。
当然、それを目的に近寄ってくる大人も多かったのだろう。

雫の置かれた境遇を思うと、怒りと遣る瀬無さが込み上げる。

だが、その想いを掻き消したのは、雫さえよければ引き取りたいという宮夫妻からの申し出だった。

「私もさっき聞いて、驚いた。これは妹さんの問題だし、私がどうこう言っても仕方ないんだけど……パパとママは優しいから!それだけは保障する」

力を込めて柚が告げる。
そして、柚は言い辛そうにもごもごと告げた。

「そ、それに……その方がお互い寂しくないかなって……思うんだ、けど」

焔はくしゃりと紙を握り潰す。
柚がびくりと首を竦めた。

焔はゆっくりと柚に顔を向ける。
自分が今、とても情けない顔をしているような気がしたが、今はどうでもよく思えた。

お節介で、賑やかで……どうしようもない。
こんな娘に育てた両親だ、言われるまでもなく、その人柄を想像するなど容易に思えた。

それが最善の道かは分からない。
確かめる術もないのだから……

自分のせいで死んだ両親、辛い思いをさせてしまった雫
せめてどうか、この先の人生が彼女にとって明るいものであって欲しい。

いつも不機嫌な顔に、不器用な笑みが浮んだ。

「だろうな……」

自分でも驚くほどに、優しい声が溢れた。
首を竦めていた柚が肩から力を抜き、顔をあげる。

はにかんだように頷き返す柚に、焔とアスラは目を細めた。



寂しさを埋め合わせるように、引き寄せられていく者達
きっかけはとても些細なものだった。

一陣の風が緩やかに吹き抜けて行く。
誰が欠けても等しく廻り続ける地球で、揺り籠が揺れる。

寝息を立てていた赤子が、ゆっくりと小さな瞼を起こした……





―End & To be continued…―



ここまで、お付き合い頂き有り難う御座いました。
「政府の揺り籠」編、これにて終了となります。

初のオリジ作品に、日々不安とドキドキでしたが、拍手やランキングから支えて下さった皆様に多大な感謝を!

この物語は続きます。
これからもお付き合い頂ければ幸いであります(≧ω≦)ゝ

管理人/もも