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目的地が近付くと、車の走りが緩やかになり始める。

柚とガルーダは、共に気持ちが良さそうにぐっすりと寝息を立てていた。

イカロスは服装を整えながら、アスラに声を掛けようとして止める。
アスラは、突如くすくすと笑い出したイカロスに視線を向け、眉を顰めた。

「なんだ?」
「ん?優しい顔をしているなって思っただけさ」
「……なんだ、それは」

いぶかしむように自分を見るアスラ
イカロスはそれに対し、あえて答えを返さずに柚を指す。

「そろそろ着くよ、起してあげなさい」
「……何故俺が」
「そういわずに」

アスラは渋々柚に手を伸ばす。

そこで、アスラはしげしげと柚を見詰め、思い立ったように髪に手を伸ばした。
指がおさげをするりと梳く。

考えるよりも先に行動に移すアスラに、イカロスは思わず窓に頭をぶつけた。

「アスラ……」
「昨日はこうだった」
「君の好みは聞いてないよ」

悪びれた様子もなく返すアスラに溜め息が出る。

「どうするんだい、髪ほどいちゃって。また怒られるよ?」
「……直せ」
「あのねぇ……」

文句を言いながらもほどけた髪を編もうとして苦心するイカロスを見て、アスラが「不器用だな」と他人事のように呟く。
イカロスの顔がぴくりと引き攣った。

すると、欠伸と共に目を覚ましたガルーダが首を傾げる。

「何してんの?」
「いや、ちょっと……問題が」
「へえ。あ、柚。もうすぐ着くから起きて」
「うーん……後三十分」

あっさりと柚を揺さぶって起すガルーダが、ほどけた髪の間から顔を出す、少し尖り気味の耳に目を留めた。

「あれ、柚の耳は奇形型なんだ」
「え?あ、なんで髪がほどけてるんだ!」

ショックを受ける柚に、ガルーダが首を傾げる。
腕を組んだまま、アスラは無感情に呟いた。

「もう着く。そのままでいい」

イカロスが心の中で、そのまま"が"いいだろと吐き捨てる。
柚は耳を押さえながら、口を尖らせた。

「だって、耳が嫌なんだ」
「奇形型だから?」
「……うん」

柚は口を尖らせたまま髪を結い直していく。
イカロスが苦笑を浮かべた。

「アスラだって奇形型だけど、気にしていないよ」
「……何故そんなことを気にする」
「だって……とにかく、私は皆と同じが良かったんだ」

柚は小さく唸り、不服そうにする。
その仕草が妙に幼さを感じ、イカロスは小さく笑った。

最もの象徴と進化が"使徒"と呼ばれるものだが、髪や瞳のアルビノ、耳の形、指の数、奇形型と呼ばれる部位を持って生まれた子供達が蔓延している。
とはいえ、全体の人口と比べれば少ない為、周囲からは浮いてしまう。

子供は時に残酷で、少しでも自分達と違う場所があれば取り立てて騒ぐ。

柚にとっては、小学生の頃に「変な形の耳」だと男子に笑われたのが、今でもコンプレックスとして残っていた。

「いいじゃん、皆と同じじゃつまらないっしょ?」

そんな柚の密かなコンプレックスを、ガルーダはあっさりと蹴り捨てる。

柚が苦笑を浮かべた。
そう思えるガルーダの強さは、憧れを感じる。

「さて、着いたようだし……ガルーダ。君もほら、ちゃんと襟を閉めなさい」

ガルーダは背伸びをし終えると、大きく肌蹴ていた襟を閉じた。
「窮屈だ」と文句を言いながら、肩の肩章を外し、マントを通してボタンで留める。

褐色の肌に白い服はとてもよく映えていた。
だが、柚からすれば野生的なガルーダには、不似合いな印象を受ける。

柚は窓に張り付き、ぽかんとした面持ちで外を見上げた。

前面に広がる巨大なシンメトリーの建物

警備兵の立つ門をくぐり抜け、車は建物の少し前で停まった。

緑の屋根瓦に、白亜と朱塗りの外観
中央の二本の赤柱にはそれぞれ白龍が彫られ、侵入者を威嚇するように巨大な口を開いている。

アジア帝國の基盤となった、旧中国の城をモチーフにして造られたという。

建物の前に翻るアジア帝國の国旗は、一面が深紅に染まり、国章でもある尾を咥えた白龍が円を描く中央で、帝國領土の大地のみが描かれていた。

巨大な建物に圧倒されながら、柚は一瞬言葉をなくす。

「これっ、国会議事堂だよな?」
「そうだ」

アスラが淡々と返す。

アジア帝國には、アジアを解放した英雄であり、皇帝がいる。
それは唯一神のような存在であり、死後も永遠の皇帝として祭られていた。

その為、"帝國"という名を冠しながら、事実上アジア帝國に存命の皇帝は存在していない。

政治を担うのは大統領であり、大統領は陸・海・空軍、そして特殊能力部隊アース・ピースの最高司令官を務める。

アジア帝國の首都の聳え、国政を担う国会の開かれる議事堂
テレビのニュースで見るしか縁のなかった建物の姿に、柚は圧倒された。

「柚ちゃんも、マスコミの前を通ることになるからね」
「えぇ?っていうか、私は何故連れられて来たんだ?」
「政府からのお呼び出し。まあ、こっちも用があったんだけどね。君はただ俺達の隣に立ってるだけでいいから」
「い、今すぐ帰りたい……」

停まった車から少し離れた場所には、警備兵が一定の距離を置いてマスコミを規制している。
まるで満員電車に車が乗り込んだかのような光景に、柚は早くもげんなりとしていた。

軍服を整えながら肩章にマントを留めるアスラが、柚に一瞥を投げる。

「なんでもすると言ったはずだ」
「え?」
「昨日、戦場に連れて行く代わりになんでもすると言った」
「……か、もな」

柚は引き攣った顔を逸らす。
自分の軽はずみな言動に、後悔を覚えた。

すると、イカロスが苦笑交じりに耳元で囁く。
柚はイカロスの言葉にはっと目を見開き、口を噤んだ。

外からドアが開けられる。
途端に眩いフラッシュが瞬いた。
まるで見世物……事実、見世物だ――あまり言い気分はしない。

アスラが車を降りると、イカロスが柚の背を押し、続いてイカロスとガルーダが車を降りる。

出迎えの軍人がマスコミの間に道を作ってくれているが、手を伸ばせば届く距離だ。
何十人と集まっているマスコミを、数名で規制している彼等に、柚は感謝と同情を覚えた。

カメラの花道を歩いていく途中、名を呼ばれた柚はひとつのレンズと目が合う。

(ぁ……)

マスコミを通して大勢の人に見られるかと思うと、緊張する。
期待を受けていると思うと、どうにも自分が期待されるだけの存在ではないように思えて、いたたまれなさすら感じてしまう。

だが……

"君のご両親が、きっと観てくれるよ"
(パパとママ、見るかな)

イカロスは、ずるいと思った。
そう言われたら、嫌でもカメラを通して両親に元気な姿を見せたくなる。

今はこういう形でしか自分が元気にしているということを伝えられない。
いいように乗せられている事は分かっているが、そう考えると頑張れる気がした。

ほんの数メートル程の距離で、柚は揉みくちゃにされる。

無事に議事堂の中に入ると、柚が大きく息を吐いた。
だが、顔をあげてすぐに固まる。

大理石の床が広がり、真っ赤なカーペットが一直線に伸びていた。
その周囲を囲むように、四神の彫刻を埋め込んだ水晶のような柱が一定の距離を置いて飾られてある。

壮観な光景ではあるが、柚は思わず踵を返しそうになった。

「凄く、場違いな気が……」
「そんなことないよ、堂々としていなさい」

苦笑を浮かべ、イカロスが柚の乱れた髪を手櫛で整える。

柚は引き返したい思いを必死に堪え、堂々と歩くガルーダの後ろに付いて歩き出した。
一人であのマスコミの中に戻る勇気は、さすがにない。

議員は午後の議会の準備に廊下を慌しく行き交っていた。

案内をする秘書の後に続いて赤い絨毯を逸れると、いくつも部屋のドアが並ぶ。
議員達の控え室だと、イカロスが小声で教えてくれた。

もしもトイレに一人で向かったら、絶対に道に迷うだろう。
むしろ、皆と歩いていても不安になる。

奥にある一室の前で、案内の秘書は足を止めた。

秘書がドアをノックすると、中から女の声が返る。
緊張する柚を安心させるように、イカロスが軽く肩に触れた。

「君は、何もしなくていいからね」

柚は、緊張に強張った顔のまま、硬い動きで頷き返す。

ドアは、中からゆっくりと開かれた。
煙草の香りが鼻孔を突く。

柚は咽そうになりながら、先日アスラの記憶で見た光景を思い出した。

カーテンの閉めきられた薄暗い部屋で、長椅子に優雅に寝そべる肢体
女性の色香を遺憾なく纏い、甘い香水と煙草の香りが入り混じた……はず。

だが、部屋の中はアスラの記憶で見たものとは違っていた。
部屋の間取りや置かれた家財道具は一緒だが、雰囲気が全く違う。

窓からは明るい太陽の光が差し込み、ひとつのガラステーブルに書類がぎっしりと広げられてあった。

奥の重質の机の後ろには、アジア帝國の国旗と世界地図
そして、皇帝の肖像画が祀られてある。

机の前に座る男は、政治のニュースに疎い柚もさすがに知っていた。

(黄 太丁(こう たいてい)……大統領!)

その他にも、彼の周囲を取り巻く面子はテレビでよく見る顔だ。

柚は思わず萎縮してしまう。
慣れた様子で堂々としている三人が、少し恨めしかった。

「アスラ!よく来ましたね、昨日はご苦労さま」

清楚な装いの女性が椅子を立ち、にこりと微笑んだ。
一挙一動が優雅に美しい。

(うわぁ、アルテナ・モンローだ!)

柚は声をあげそうになった。

朱を引いたような唇が穏やかな孤を描き、理知的な瞳がアスラに微笑み掛ける。

同じ女として引け目を感じるほど、女性としての魅力を纏っていた。
この優しく美しい女性こそが、柚の知るアルテナ・モンローだ。

アスラの記憶で見たアルテナ・モンローが、やはり何かの間違いだったのではないかと思えてくる。

アルテナはヒールの音を響かせ、固まる柚の前に立った。
アルテナの視線が柚を見据え、口元が優美な弧を描く。

「そちらが、宮 柚さんね?」
「は、はいっ」

美人特有の近寄りがたさと才女の纏う迫力に圧倒されながら、柚は緊張に声が上擦る声で頷き返した。





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