24
暫しの沈黙の後、サラーサがぷるぷると震え、声なく蹲る。
フランツの隣に柚が駆け寄った。
膝を付くフランツを心配する柚に、ライアンズが血相を変えて怒鳴る。
「このバカ!あの手のタイプは顔に傷を付けられたらキレるぞ!いい例があそこにいるんだからな!」
「え、何?僕に喧嘩売ってる?」
勢い良く二階を指差すライアンズに、ユリアが不愉快そうに返した。
サラーサが、ぷるぷると震えながらゆっくりと顔をあげる。
フランツがサラーサの顔を指差し、思わず「ぁ……」と呟いた。
俯き加減のサラーサから、ぽとん……と滴る赤い筋
「鼻血、出てますよ」
「空気読めェー!?」
ライアンズがすかさずフランツの頭を殴りつけた。
一応怪我人だからと宥める柚とライアンズの背後で、壁が突き破られる。
「兄貴!」
同時に飛び込んできた小柄な影が、蹲るサラーサの隣に滑り込むように着地した。
「兄貴、しっかりしろ!誰にやられたんだ!」
「ぅ、う……ハムサ。私はいいのです、どうか私の代わりにエヴァを」
「兄貴ー!!」
飛び込んできたハムサが涙を浮かべて叫ぶ。
彼は涙を拭い、ゆらりと立ち上がった。
纏うは、禍々しい程の殺気
まるで肌を突き刺すような怒りに染まる眼光が、ライアンズ達を睨み付けてくる。
「あいつさっきの……」
「ハムサはサラーサの実弟で雷を操る。雷はお前にとって相性最悪の相手だ、気をつけろ」
ライアンズが早口に捲くし立て、先手に出た。
銃弾がハムサに向けて数弾放たれる。
ライアンズの弾はハムサに当たる直前で内側から弾け飛ぶ。
「ぁ……」
(そうか、あの時学校の食堂で、焔はこうやって……)
内側に自分の"気"を送り、迫る炎を粉砕したのだ。
「う〜ん……」
柚が唸っていると、フランツが柚の手を掴み、焔に押し付ける。
フランツはライアンズとハムサ、そしてその様子をただ見詰めているサラーサに向けた。
「焔、柚をハーデス達のところに連れて行って。別ルートから人質と犯人達を安全な場所へ」
「おや、我々はこのような卑劣な手を講じる下賎を排除しなければならないのですよ。邪魔しないで頂けます?」
「そりゃ残念だ。お呼びじゃねぇんだよ、さっさと諦めて帰りな」
迷惑そうに眉尻を下げ、二階へと視線を向けるサラーサ
ライアンズが踊り場から飛び降り、銃口を向けたまま吐き捨てた。
すると、サラーサを護るようにアシャラが三人、飛び込んでくる。
「サラーサ様のお手を煩わせるまでもありません」
「ここは我々が」
「ハムサもやる気のようですし、私はゆっくりと見学させて頂くとしましょう。ハムサ、くれぐれもエヴァは無傷でお願いしますよ」
サラーサが姿を消す。
フランツは口端から流れる血を拭い、立ち上がった。
その視線は、余すことなくアシャラとハムサの動きを追う。
「フラン、大丈夫か?」
「これくらい平気です。それより柚と焔は上に行ってハーデス達と一緒に人質の誘導をしてください」
「でも、あっちは四人も居るんだぞ?フランは怪我してるし……」
「サラーサの姿が見えなくなったからと言って安心は出来ません。柚と人質はなんとしても護らなければならないんです。僕とライアンでハムサとアシャラの足止めをするので、柚はハーデスとユリアから絶対に離れないでください。サラーサは、神森で三の数字を持つ者です。あのハムサより格段に強い。もしそっちを狙われた時、僕には皆を護りきる自信がありません」
フランツが苦々しく呟く。
柚は、二階から踊り場にいる自分達を見下すハーデスとユリアに視線を向けた。
二人は何も言わない――それが、最善だと思っているということだ。
犯人達が、誘導されながらぞろぞろと反対の階段を目指して歩いて行く。
上には人質にされた母もいる。
ずっと会いたかった、母がいる。
だが、怪我をしているフランツとライアンズを残していくなど、簡単には踏み切れない。
例え、今の自分が足手纏いだと分っていてもだ。
逡巡する柚を見やり、フランツは柚と焔の肩を押した。
「別働隊に人質を預けたら話せなくなる。こんな機会……二度とないんですよ」
フランツは僅かに俯き、小さく漏らす。
落とされた視線の先に、フランツの中の捨て切れない未練を感じた。
雫を抱き締める焔の腕に力が籠もる。
「上の連中はどうでもいいが、エヴァは置いていってもらおうか?」
ハムサの指が三人の居る天井に向けられ、指先を弾く。
天井に電流が散り、雷が天井を突き破った。
さらに階段を崩そうとするハムサに、ライアンズが蹴り掛かる。
上体を逸らしてかわしたハムサが後転し、地面に付いた掌から閃光が迸った。
「っ!?」
爆発が二人の足元を崩し、飛び散るコンクリートの残骸が互いの視界を曇らせる。
(見失った。くそっ、無闇に撃ったらアイツ等に――)
向ってくる影を見付けたライアンズが引き金を引こうとした瞬間、背後から掌が頭を鷲掴みにして地面に叩き付けた。
頭蓋骨が震撼する。
脳が激しく揺さぶられ、目の前に閃光が散った。
「ぐっ――!」
背後に腕を回し、銃の引き金を引こうとした銃口が弾かれる。
弾丸は階段の仕切りを突き破り、ビルが震撼した。
一時は収まった揺れが、再びビルを襲う。
ハムサの掌がライアンズの頭を捕えていた。
ライアンズの頬を冷たい汗が伝う。
「兄貴をやったのはてめぇか?」
「はっ、だったらなんだよ、ブラコン野郎」
「頭吹き飛ばしてやんよ!」
ハムサの掌がバチバチと音を立て、焦げ付く匂いと煙が滲む。
フランツが地面を蹴った。
ハムサがもう一方の手を翳し、指を弾く。
フランツの足元に火花が散る。
「フラン!」
ライアンズが叫び、フランツが顔を歪めた。
ライアンズはハムサの胸倉を掴み、腹を蹴り上げるように投げ飛ばす。
それと同時、爆音が響き、フランツの体が宙に投げ出される。
アシャラが投げ出されたフランツに止めを刺そうと襲い掛かった。
ライアンズが地面を滑り込み、炎を収束させた閃光が銃口から放たれる。
炎はハムサの雷と相殺し、ビルを根元から震撼させた。
投げ出されたフランツの肢体が空中でふわりと舞い、天井に足が吸い寄せられる。
アシャラを向いたフランツの指に挟まれた風の針が投げ放たれ、迫るアシャラの頭を突き刺した。
ふっと風が消失し、天井を蹴るフランツが落下するアシャラに風を纏った蹴りを叩き付ける。
地面に着地したフランツが、僅かに顔を顰めた。
「フラン!やっぱりサラーサにやられたのが……」
焔が柚の手を掴んだ。
「行くぞ。ここに居ても邪魔になるだけだ」
「……わかった」
瓦礫を掻き分けて立ち上がり掛けた柚の耳に、瓦礫に途絶えた階段から叫ぶ声が響いた。
ドクン……と、心臓が脈打つ。
恐る恐る、顔をあげた。
「マ、マ……」
「柚!早く、こっちにいらっしゃい!柚!」
必死に伸ばされる手
"お母さんが、守るから――…"
柚はその手に向かい手を伸ばし掛け、空中で起きた電流に遮られた。
ハムサがアシャラ達にライアンズの足止めをさせ、ライアンズとフランツの追撃をかわして迫ってくる。
ユリアが弥生を下がらせようとして、ハーデスが向かってくるハムサに身構えた。
弥生が、ユリアに押し返されながら必死に手を伸ばす。
「柚!早く!」
「ママ……」
もう一度手を伸ばし掛け、ぐっと握り締めた。
この手を取れない……取れば、敵も追ってきてしまう。
もうこれ以上、大切な人達を危険に晒したくない。
柚は俯いた顔をあげ、精一杯微笑みを浮かべる。
「――無事でよかった」
「柚?柚!!」
柚は階段には向わず、崩壊した壁から単身ふわりと飛び降りた。
「いやァー!柚、戻って!行かないで!!」
あぁ……胸が痛い。
泣かないで、ごめんね――ママ
母の声に背を向けて瓦礫の山に飛び降りると、ビルから距離を置いて振り返る。
「ブラコン、お前の兄をやったのは私だ!来い、私はこっちだ!」
声が瓦礫の廃墟に木霊した。
「馬鹿、戻れ!お前の手に負える相手じゃないぞ!」
アシャラを退けながらライアンズが叫ぶ。
雫を抱き締めたまま、焔は目の前を通り過ぎていくハムサを見送り、呆然とした。
連れ戻さなければ……
だが、今妹の手を放せば――間違いなく、永遠の決別になる。
迷う焔のそでを、雫が引いた。
「お兄ちゃん。行っていいよ」
「え?」
「学校の先生が教えてくれたの。アース・ピースの使徒は正義の味方なんだって。悪い人退治するから雫とはお別れだけど、雫が少し寂しいのを我慢するだけで皆が救われるんだって」
焔は心臓を鷲掴みにされた気分になる。
使徒の実態は、決してそのような美化された存在ではない。
それは、暴走した焔の炎で火傷を負った雫が、一番よく知っているはずなのに……
純粋に焔を信じ、使徒を信じ、この社会を信じている。
「寂しいけど、雫もそろそろ中学生だもん。我侭言わないよ?だから行っていいよ、お兄ちゃん」
妹の顔を直視できなかった。
ひたむきに、自分が"正義"などという言葉の為に戦うと信じる妹に、本当のことなど言えない。
最後まで、そう信じさせなければ――せめてそれが、逃れられない別れへの償いだ。
焔は雫を抱き締める。
小さな肩に顔を埋めると、水色のワンピースを濡らしてしまった。
「もう会えないけど……兄ちゃん、雫のこと守るからな」
「うん、雫のこと忘れないでね……」
焔は雫を抱えて階段を駆け上ると、ユリアに預ける。
「ちょっと、勘弁してくれない?僕が柚を連れ戻すから、焔は僕と交代……あ!」
「妹、お願いします」
焔は雫と泣き崩れる弥生に背を向けて階段を駆け下りると、柚とハムサの後を追って飛び出した。
瓦礫の山に飛び降り、周囲を見渡す。
向き出しのコンクリートから錆付いた鉄パイプを引き抜き、焔はゆっくりと瞼を閉ざして呼吸を整える。
能力に目覚めたのは十四歳の頃だ。
"私、あの子が恐い……あの炎で、私達、いつか焼き殺されちゃうわ"
"馬鹿なことを言うんじゃない、焔が私達にそんなことをする筈がないだろ?"
"でも、この間あの子の事叱ったら、あの植木鉢が急に燃え出して――"
そうしたかったわけではない。
最初は炎が燃えるような耳鳴りを煩く感じていた。
心配性な母に相談すると大事にされる為、ずっと黙っていた。
能力に目覚めてからは、感情の起伏と共に暴走を繰り返し、母を脅えさせ、そして妹にまで怪我をさせてしまった。
自分には何も言わず、両親は能力者の研究支部に相談に向った帰りに、事故に遭い死んでしまった。
人を傷付け、不幸にする力
それからずっと、この力が恐かった。
忌まわしかった。
"ビビってんだろ?"
ライアンズの言葉は、正しい。
妹を傷付けたこの力に、ずっと怯えてきた。
「逃げられないなら……」
焔は静かに顔をあげる。
「向き合うしかねぇよな」
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