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「柚!」

連れられてきた少女に、母親の声が響いた。
布で視界を奪われ少女が、ゆっくりと顔をそちらに向ける。

少女は男達に突き飛ばされ、よろよろと地面に倒れこんだ。

「これが、使徒の雌か?」
「はい、間違いないと思います」

首謀者の前に倒れた少女を引き摺り出すと、首謀者の男はナイフを抜いて頬にすっと近付ける。

「気味が悪い女だな。この状況で笑ってやがる」
「そうなんですよ、不気味で」

少女を退き連れてきた男が、薄気味悪そうに呟く。
ナイフを頬に当てられ、少女は静かに顔をあげて目を細める。

「やめておきなよ」
「あァ?」
「顔に……傷ひとつでも付けてごらん。地獄を見せてあげるよ」

男達にしか聞こえない、吐息のように囁くハスキーボイス
艶めかしく弧を描く唇

微笑みは、男達をゾクリと震わせる。
人を食った笑みを浮かべる少女に、首謀者の男がナイフを振り上げた。

弥生が悲鳴をあげ、アルフレッドが男達を睨み付ける。
雫が脅えた面持ちで体を小さくした。

「相手は女の子だぞ!恥を知れ!」
「その子に何かしてごらんなさい!絶対に許さないわ!子供や女の子に乱暴したり、あなた達の方がよっぽどおかしいわ!」
「なんだと、このォ!?」

男が弥生に向けて銃を振り上げる。

すると、少女はくすくすと笑みを漏らした。
あまりにも悠然とした仕草が、妙に艶めいて映る。

男達が、一斉に少女に振り返った。

「何がおかしい!」
「いいや、あんたは人質に命を救われたようだ。お礼を言うべきだよ」

少女にしてはやや低めの声
男達は顔を見合わせた。

声を聞き取った弥生も、聞き慣れない声に眉を顰める。

「さっきから随分余裕じゃないか。状況が分かってないらしいな」
「能力を封じられた貴様等など人間同然、助けが来ると思ったら大間違いだ」
「電磁波装置?あぁ、知ってるよ。その効果もね」

少女は俯いたままくつくつと笑みを漏らす。

「本当、迷惑な装置だよ。僕としてももうちょっと遊んであげたかったんだけどね」

少女がしとやかに立ち上がる。
その手にははめた筈の手錠と共に、気付けば目隠しすらなくなっていた。

「貴様……誰だ?」
「僕?」

弥生が困惑した面持ちを浮かべる。

娘でない。
では、これは誰だ――?

少女はゆっくりと顔をあげる。
そして、口元にふっと自嘲染みた笑みを浮かべた。

「あぁ、どうやら時間切れ」
「は?」

犯人達が眉を顰める。

少女の一部が霞み始めた。
プラチナピンクのおさげが消え、ハニーブラウンの髪がふわりと揺れる。

「なっ……!?」

少女の柔らかな輪郭が消え、すらりとした華奢な青年の姿に変わっていく。
変わらないのは、その笑みだ。

細く長い指が、優雅にくすくすと笑う口元を覆う。

「悪いね、美少女じゃなく美青年さ」
「こ、こいつ……!?」

犯人達が青褪めた。

「僕は中級クラス第六階級"ポテンティアス"、ユリア・クリステヴァ。僕らは、女の子を差し出すほど落ちぶれちゃいないのさ」
「幻覚使い!?」
「くそっ、だが装置が利いているぞ!奴は武器を持っていない、今の内に撃て!!」

銃弾がユリアを襲う。

その瞬間、地下から爆音が響き渡った。

ユリアの前にふわりと細身の青年が舞い降り、青年と共にユリアが銃弾の前から姿を消す。

男達の背後に、とんっと着地するふたつの足音が響いた。
先程居た場所とは数メートル離れた場所に立ち、ハーデスが大鎌を構えてゆらりと立ち上がる後ろで、ユリアが不敵に口端を吊り上げる。

「仲間を紹介するよ。彼は第四階級"ドミニオン"、ハーデス。気を付けなよ、彼は空間移動の他に毒を使う、僕よりもずっと戦闘向きの使徒だ」
「く、くそっ!他にも仲間が――こうなったら人質を!」
「させない」

振り返ろうとした男の前に、ハーデスが音もなく現れた。

彼の持つ鎌の柄をハーデスの手が滑り、刃が男の首の皮を薄く切り裂く。
刃を伝い、血液に流れ込む毒が男の体を蝕む。

男の目がぐるりと白目を剥き、大袈裟な音を立てて地面に倒れこんだ。

「く、くそォ!?」

別の男が振り返り、人質に手を伸ばす。

男が雫の手を掴んだ。
その瞬間、掴んだ少女の手からどろりと皮膚が溶け落ち、肉が地面にぼとりと落ちる。

「ひィ!?」

男は悲鳴をあげて雫から手を放した。

男は自分の手を見て息を詰らせる。
皮膚がただれ、皮が重力に引かれる様に腕から剥がれ落ちていく。

「ひ、う゛ぁぁああああ!?」

男が悲鳴をあげて地面を転がりまわる。
ユリアはきょとんとしている人質の隣に立ち、幻覚に脅えて床を転がり回る男に蔑むような笑みを投げ掛けた。

「ライアンが"えげつない"って言ってたよ」
「なにそれ、褒め言葉?」

とんっと、軽い足音で背中合わせに立ったハーデスに、ユリアは片腕を竦めて返す。

向けられる銃弾に、ハーデスが鎌の柄を回転させて弾き飛ばした。
ハーデスは化け物を見るように怯えている主犯格の男を見やる。

「アイツ、ユリアがやるの?」
「もういいよ、僕の顔は無傷だしね。面倒くさいから全部ハーデスにあげる」
「了解」

掌が鎌の刃に何かを塗り付けるように滑った。

足が地面を滑り、位置を定めて踏み締める。
大鎌を水平に構え、捻られた体の反動

鎌が空間を切り裂いた瞬間、部屋を白い煙と共に風が吹き抜ける。

煙を被った男達が慌てて口を塞ぐが、体がぐらりと揺らぎ、男達が地面に倒れ込む。
雫たちに口と鼻を塞がせていたユリアは、煙が晴れると倒れ込むテロリスト達の姿に小さく鼻を鳴らした。

「終わった」

ハーデスが鎌を下ろし、淡々と告げる。
アルフレッドが、驚愕と畏怖の入り混じる目でハーデスを見上げた。

「殺しはしてない。さっきのはただの催眠ガスみたいな毒だから」
「殺したりなんかしたら、後々面倒だからね」

ユリアが嘆息混じりに肩を竦めてみせる。
呆気にとられていた弥生が、思い出したようにユリアの手を取った。

「えっと、ユリア君だったわね。助けてくれて有難う!それで、うちの娘は?まさか危ない目にあってないでしょうね?」

一気にまくし立てる弥生の迫力に、ユリアが思わず顔を背ける。

「その内、こっちに来ると思うけど……」
「来る?会えるのね!よかった。ああ……でもこの私の目まで欺けるなんて、あなた凄いのね!本物の柚だと思っちゃったわ」
「そりゃどうも」
「でも、うちの娘にしては妙に色気があっておかしいなって思ったのよね。そうしたら、こんな綺麗なお兄さんが出てくるんだもの。おばさんビックリしちゃったわ」

口を挟む間も与えず、一人驚いた顔を浮かべたり喜んだりと百面相をしながら喋りきる弥生に、ユリアはげんなりとした。
無気力と静かさを好むユリアからすれば、娘以上に関わり合いになりたくない非常にパワフルな母親だ。

顔を背けていると、誰かが軍服のそでを引く。

「あの……綺麗なお兄ちゃん。私のお兄ちゃん、会えますか?」
「えっと……焔の妹?」
「はい、西並 雫です」
「あ〜……お兄ちゃん、お兄ちゃんねぇ。どこ行っちゃったんだろうね」
「え!お兄ちゃんに何かあったんですか?」
「あー、いや」
「君!うちのフランツは!フランツも来ているのかい?今何処に!」

三人に囲まれ、代わる代わる質問攻めに遭い、ユリアのストレスが溜まっていく。
部屋に残されていた無線から、本部に繋いで制圧完了の報告を終えたハーデスは、何かに気付いたように天井に顔を向けた。

天井から、ぱらぱらと埃が舞い落ちてくる。
次第にそれは小石ほどの大きさになり、天井に亀裂が走った。

「ユリア」
「走って!」

ユリアがアルフレッドの手を掴み、弥生と雫の背を押して駆けだした。
三人は、頭を覆いながら出口に向けて走り出す。

出口が遠く、無性に狭く感じた。
ハーデスが倒れている犯人達を掴み、空間を飛ぶ。

雫が足を縺れさせ、勢い良く地面に倒れこんだ。

「っ!」

ユリアが体を翻す。
頭上から轟音が響き渡り、瓦礫が降り注ぐ。

「ユリア!」

ハーデスがアルフレッドと弥生を部屋の外に押しやりながら叫んだ。

その肩を、とんっと軽い質量が触れた。
次の瞬間には、肩が外れそうな強い力が圧し掛かり、風が走り抜ける。

後ろに立つアルフレッドが、はっと息を呑む音がやけに耳に響く。

「フランツ!」

アルフレッドの声と重なるように、ユリアの頭上を旋風が走り抜けた。
二人の上に降り注ごうとしていた瓦礫が粉々に砕け散り、二人の頭上から吹き飛ばされた破片が地面にパラパラと落下する。

ユリアは顔をあげ、目を細めた。

瓦礫と共に地面に降り注ぐ黒装束
顔を独特の面で覆った男は、"アシャラ"――神森の兵隊の総称だ。

アシャラが瓦礫を蹴り、フランツに襲い掛かる。

気を纏ったアシャラの拳をフランツがかわし、足の爪先が円を描くように地面を滑った。
撃ち込まれる打撃をまるで葉が舞うかのようにひらひらとかわしていく。

アシャラが腕を振りかぶる。
全力で打ち込まれた打撃に、フランツの手がすっと四本の指先で添えるように触れた。
その瞬間、アシャラの拳が引き裂かれたように血を噴出す。

すっ……と、フランツの足が一歩、後ろへと下がる。
それと同時に、すっと引かれる腕と共に握りこまれる拳と、捻じられる上体
獲物を見据える淡紅色の瞳が鋭く獲物を捕えた。

拳に凝縮された風が腕の動きを加速させ、威力を跳ね上げる。

風を引き裂き、纏い……
アシャラの顔面を突き抜けるような衝撃が襲う。

面が歪み、アシャラの頭が仰け反った。
ひび割れた面の隙間から、血が吐き出されるように噴出す。

手足を痙攣が襲い、ぐしゃりと地面に倒れる肢体
フランツはブローブから血を払い、大きく息を吐く。

アルフレッドは、白い軍服に包まれた背中を呆然と見詰めていた。

記憶に残る背中よりも一回り大きくなったその背――当然だ、会えなくなってもう三年も経っているのだから。
背が大きくなっていない方がおかしい。

だが、そんな些細なことすら会えなかった年月の長さを感じさせた。

まるで別人
幼かった息子が遠く、恐ろしい。

「フランツ……なのか?」

アルフレッドは恐る恐る声を掛けた。

「父さん……」

振り返ったフランツは、自分のよく知る幼さを残すはにかんだ笑みで、昔と変わらず自分を呼んだ。
思わず掛け出し、息子の体を抱き締める。

ああ、やはり愛しい――…

互いに、それを噛み締め、確かめ合うように……
フランツは三年ぶりに父の背中に腕を伸ばし、抱擁に甘えて応えた。





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