16


火花が爆ぜ、弾かれたように飛び散った炎の矢が、二人を引き裂くように降り注ぐ。

焔がライアンズに向けて走りながら、炎を飛ばす。

それと同時、柚が水を足場に空に駆け上る。
最後の足場を勢い良く蹴り上げ、焔をあしらうライアンズに向けて柚が手にした水のボールを叩き付けるように投げ落とした。

ライアンズの足元で水風船の様にボールが弾け、煙のように霧が噴出す。
一瞬にしてライアンズの周辺を霧が包み込んだ。

そのまま空伝いに霧の届かない地面に着地した柚が、周囲に視線を向けた。
焔が木々を縫い、後ろに視線を向けながら追ってくる。

その焔が、足を止めている柚に向けて叫んだ。

「馬鹿、後ろだ!」
「はぁ?うわ!?」

霧を突き破り、ライアンズの腕が柚に伸びる。
驚いた柚は転びそうになりながら、掌がライアンズの腕を払う。

焔が走る速度をあげながら、柚に向けて叫ぶ。

「離れろ!」

焔は指先を絡め、三角の印を組む。
柚がライアンズから逃れると、肺いっぱいに息を吸い込み、焔は印の中央に向けて一気に息を吹き掛けた。

印から炎が迸り、劫火となってライアンズに襲い掛かる。

ライアンズは全く焦る様子もなく、手を凪いだ。
ライアンズの炎が焔の炎をあっさりと掻き散らす。

自分が組んだ炎を別の炎が進入してくる。
内側から炎を崩される感覚に集中が途切れ、焔は舌打ちを漏らす。

柚は木の陰に飛び込むと、慎重にライアンズの足元に狙いを定めた。

彼の足元からじわりと水が染み出し始める。

水は飛び退こうとしたライアンズの体を這い上がり、ロープのように絡み付いた。
引き千切ろうとするライアンズの動きを制す。

ライアンズが舌打ちを漏らすと、水がごぽごぽと音を立て、沸騰を始めた。

「うっ……ぅ」

柚は眉間に皺を刻み、ライアンズの抵抗に必死に抗う。
脆くなった水のロープを振り払い、ライアンズを炎が纏った。

砕けた水が音を立て、一瞬にして蒸発する。
周囲を白い蒸気が包み、熱風が森をざわめかせた。

「てめっ、もう少し時間稼げよ!」
「無茶言うな!お前こそ、もっと強力な攻撃ないのか!」

柚が隠れる木の陰に、焔が転がり込んでくる。
文句をつける焔に、柚が怒鳴り返す。

焔は木に凭れながらぜぇぜぇと渇いた呼吸を繰り返し、唾を飲み込む。

(くそっ、やっぱり戦い慣れしてやがる。強い)

ライアンズは呆れた面持ちで溜め息を漏らし、二人が隠れる木陰に視線を走らせた。

「西並 焔。お前、手加減して俺に勝てるつもりか?」
「はァ?お前、手加減してるのか?」

ライアンズの問いかけに、真っ先に柚が反応を返す。
焔はばつが悪そうに眉間に皺を刻んだ。

「ビビってんだろ?」

ライアンズの指先が焔を捉えて弾かれる。
指先から火花が散り、空間を跨いで焔の足元に散った。

焔ははっとした面持ちで足元に視線を向け、息を呑む。

「焔!」

柚が手を伸ばし、焔に飛び付いて押し倒した。

二人の背で爆音が響き、木が吹き飛ばされる。
足元の草が黒く煤けて灰となり、硝煙の香りが鼻孔を付く。

その光景を見た二人から、サッと血の気が引いた。

「お、おとなげないと思います!」
「お、俺も」
「何しみったれたこと抜かしてやがんだ。最初に言ったろう?後悔するなってな」
「「ギャー!?」」

ニヤリと口端を吊り上げるライアンズに、二人は青褪めて悲鳴を上げた。

足元を囲むように爆発が起こる。
まるで導火線を辿るように近付いてくる小さな爆発に、大きな爆発の火種が燻ぶった。

焔が柚の頭を掴み、地面に押し付けるようにして覆いかぶさる。
柚は片手で焔にしがみ付きながら、ぎゅっと目を閉ざした。

(何か、何か出来る事は……)

体の奥から流れる音を聞く。
水は溢れていた。

湧き出せと祈りながら、頭には、昔父に連れられて訪れたドーム型の野球場が浮ぶ。

「っ……あれだ!」

柚は勢い良く瞼を起す。
足元から爆発の進路を遮るように水の壁が吹き上がり、二人を包み込んだ。

壁の外で爆発が起こる。
水の壁を衝撃が襲い、余韻のように小石や砂が舞う。

水は不安定で、時々歪む。
爆発の余波に、表面は波紋を描いた。

焔は驚きながら、自分にしがみ付く少女を見下す。

「つーか、狭い!?俺の髪ちょっと焦げてるぞ!」
「しょーがないだろ、大きいのなんて咄嗟に作れなかったんだ!」
「それとお前、パンツ見えてる」
「ギャー!?見るな、変態!」
「って!一々殴るな!」

集中が途絶え、水の結界はあっさりと崩れて二人の上に降り注ぐ。
ずぶ濡れになった二人は、げんなりとした面持ちで黙り込んだ。

ライアンズは腰に手を当て、二人を見下す。

「気は済んだか?」
「うっ……」

柚が体を強張らせ、ライアンズから顔を逸らした。

「戻るぞ」
「いやだ!」

柚の声が静かな森に響き渡る。
ライアンズは、苛立ったように眉間に皺を刻んだ。

「いい加減にしろ!逃げられないんだよ、俺達は!」
「いやだ!皆は優しくて好きだけど……此処のやり方には付いていけない」

柚がライアンズを睨み上げる。

「無理やりに生まれた子供を私は愛してやれない。私はママにしてもらったように子供を愛したい――だから、戻るのは嫌だ」

柚の手を掴もうとしたライアンズの手が止まった。

焔は柚の背に腕を回して自分から引き剥がすと、後ろに追いやる。
鋭い瞳がライアンズを睨み返す。

ライアンズは俯き、ギリリと奥歯を噛み締めた。

「お前等の気持ちを我侭なんていえねぇ――だが、その犠牲になるのは周りの人間だ」

握り締めた拳に力が籠もる。

「ライアン」

名を呼ばれ、はっと顔をあげた。
穏やかな歩調でイカロスが向ってくる。

身構える二人の前に立ち、ライアンズは深々と頭を下げた。

「イカロス将官、すみません!俺が勝手に二人を連れ出しました、これは脱走じゃありません」
「ライアン……」

柚と焔が目を見開き、頭を下げる青年の背を見上げる。

「分ったよ。君は先に戻りなさい」
「……はい」

ライアンズは、振り返らずに走り去っていく。

焔はイカロスを警戒しながら、睨み上げる。
イカロスは二人を見下し、静かに腰を下ろした。

「ごめん、君達を逃がしてやることは出来ない」

憂いに満ちた眼差しが陰を落とす。
二人の肩がビクリと跳ねた。

「理不尽な扱いを受けながら、俺達使徒が政府に従っている理由はなんだと思う?」
「知るかよ!文句いう根性がないだけじゃねぇの?」

嘲るように告げた焔に、イカロスはすっと瞼を閉ざす。
答えは簡素で、明瞭に響いた。

「それが世の為だからだ」

柚が目を瞬かせる。
焔が眉間に皺を刻んでイカロスを見上げた。

「人間は脅威に敏感だ。自分より優れたものに恐怖を抱き、排除しようとする。人類が使徒を敵と見なさないのはなぜだい?今、俺達が飼い犬に甘んじているからだよ」
「……そういわれると、そうかも」

柚がぽつりと呟く。

自分自身、己の力に恐怖を感じたのだ。
その力を持たないものならば、尚更だろう。

イカロスは穏やかに微笑み返した。

「理解が良くてよろしい。柚ちゃん、君は戦争がしたいかい?」

柚はすぐさま首を横に振る。

戦争は使徒を生み出した。
しかし、使徒に限ったことではない。

生まれながらに白髪や色素を欠いたアルビノの子供が産まれるようになった。
それに続き、次第にありえない色素を持つ子供が増え、耳や手足に変化が起こり始めている。
柚やライアンズの髪の色が典型的なものだ。

柚は口を尖らせながら、焔の背から顔を出す。

「柚ちゃんは両親が健在だね、そして焔には妹がいる。もし使徒と人類が戦争になったら、どうなると思う?」
「……」
「君達の家族は世間から、悪魔を産んだと非難を浴びるだろう。言葉の弾圧で済めばいい……人は集団になると増長し、次第に倫理から外れていくことがある」

柚が俯く。
焔は奥歯を噛み締めた。

「自分自身、大切な人と敵対し、滅ぼし、脅えられていく。これからも産まれ続ける使徒は迫害を受け、生きる場所すら失っていく」
「……うん」

薄い氷の上にある、使徒の未来
本来ならば人類の脅威とされ、排除されていてもおかしくはないほど、使徒の力は強大だ。

だが、人類の手綱を預ける事で敵対の意思がないことを示し、現状を保っている。
そのお陰で、今、使徒とその家族が迫害されずに生きる場所があるのだ。

「平和と家族と、使徒の未来の為に、必要な犠牲だ」

平和の為の自己犠牲
聞こえは良いが……

寂しく、虚しい――自分自身との戦いだ。

「使徒だからこそ、絶対に血を裏切れない……我々は虚しい生き物だ」

使徒なんかに生まれたくなかった――使徒の誰もが、一度は喉から出掛けた言葉
使徒の存在が愛情と分っているから、決して言えない言葉

裏切れない想い、裏切ろうとすら考えられない想い。
愛情の呪縛

大きな掌がくしゃりと髪を撫でて離れていく。

柚は手櫛で髪を直しながら、焔に視線を向けた。
焔は奥歯を噛み締め、俯いている。

「戻ってくれるね?」

イカロスの声は否を許さない。

どんなに嫌だと思っていても、使徒である以上、その本能が是としか言わない。
頷くしか、他はないのだ。

来た道を戻る足取りは重かった。
不安と共に、外に駆け出した数十分前よりも、ずっと重い。

「あっちの裏から戻りなさい、濡れているから風邪をひかないように。いいね?」

二人は声無く頷き、イカロスの言葉を守って宿舎の裏から中に消えていく。

彼等の退路は閉ざされた。
彼等の絶望を感じながら、小さく溜め息が漏れる。

イカロスがエントランスから宿舎に戻ると、イカロスは暗闇に佇むアスラの姿に気付いて顔をあげた。

「報告をしろ、イカロス」
「何もないよ」
「ライアンズとあの二人の戦闘と思しき気配を感じた。もう一度聞く。報告をしろ、イカロス将官」
「報告するようなことは何もありません、デーヴァ元帥」

イカロスはアスラの前を通り過ぎ、肩越しに振り返る。

そのままゆっくりと踵を返して向き直り、アスラを見た。
アスラがイカロスの前に立つ。

イカロスは困ったように溜め息を漏らし、口を開いた。

「あの二人が逃げ出すことは、もうない」
「……」

僅かに、アスラは眉間に皺を刻んだ。
去ろうとするアスラに、イカロスは独りごちるように声を掛けた。

「アスラ。待ち望んだ女の使徒が現れ、君の母上はマスコミの前で彼女を君の傍に置きたがるだろう。その時、君が今のままでは母上が恥を掻くことになるよ」
「……俺は間違っていない」
「力や権力で人の心は支配できるものではない。心っていうのは、最も傷付きやすく治しにくいものだ。部下を守るのも上官の仕事だよ。覚えておきなさい」

今度はくっきりと、アスラは眉間に皺を刻む。
珍しく困った面持ちを浮かべている。

イカロスはそんなアスラが少し可笑しく思えた。

アルテナ・モンローが議員になってからは、アスラはアルテナのプロパガンダの為に度々マスコミの前に連れ出され、必然的に母と会っていたアスラを羨ましく思った時期もある。

だが今は違う――お互い、求めるだけの幼い子供ではない。
答えを求めるように見上げてくる水色の瞳から逃れるように、イカロスはアスラに背を向けた。





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