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「随分遅かったね、何処に寄り道してたの?」

柚のベッドの上で優雅に足を組むフェルナンド・リッツィは、くすりと笑みを浮かべて柚を見やる。

「な、なに?なんなんだ?」

柚は、ドアに手を付く孫 玉裁(そん ぎょくさい)の手を払い除けようとした。

すると、痛いくらいの力で手首を掴まれる。
柚は顔を歪め、男達を睨み返した。

ベッドから立ち上がったフェルナンドの声が、涼やかに響く。
ぞっと薄気味悪いものが込み上げる。

「昨日アイツにヤラれたのかい?」
「は?」
「ヤラれてねぇーだろ?ヤラれてたらあんなに早く出てこないだろうし」

玉裁が卑下た笑みを浮かべた。

柚の体に震えが走る。
愕然とした面持ちで、柚は目の前の男達を見上げた。

アスラにされそうになったことを知っていて、この男達はそれをあざ笑っているのだ。

怒りに怒声を張り上げようとした瞬間、耳にピアスを付けた柄の悪い玉裁の足が、足の間に割り込んでくる。
柚はビクリと体を強張らせ、必死に足に力を込めた。

「やっ……」
「震えてるの?いいだろう、減るもんじゃないし。君は何も知らないようだし、いい事を教えてあげようか?」

ドアに音を立ててフェルナンドの手が付く。
隣から覗き込んでくるフェルナンドの見下すような冷たい瞳

柚が顔を逸らすと、首筋を玉裁の唇が這い、耳をやんわりと噛む。

「ぃ、や!」
「遅かれ早かれこうなるんだって。フランツ達だってね、君の体を目的で近付いているんだ。あの馬鹿正直なアスラと違って、君を油断させてから喰うつもりなんだよ」
「そ、そんなんじゃ!」
「ないなんて言えないぜ?あいつ等だって用意された女、とっかえひっかえ抱いてるんだ。今日だって緑の腕章付けてる奴に呼び出されたんだろ、フランツの奴。今頃真っ最中じゃねぇの?」

柚が目を見開く。

あのフランツが?
アスラ・デーヴァのように好きでもない人を?

信じられない……だが、腕章を付けられた男達に声を掛けられたフランツは、まるで自分には知られたくないかのように慌てて行ってしまったし、その事を話した時のヨハネスも様子がおかしかった。

誰も信じられなくなりそうだ。

「あぁ」と呟きを漏らし、フェルナンドがくすりと失笑を浮かべた。

「知らないんだっけ?緑の腕章付けてる奴は、生殖研究班の奴等だよ」
「そいつ等がいろんな人種の女を選んで此処に連れてくるんだぜ?こっちは好みの女を抱き放題、女共はそれで子供が産まれて出世できりゃ万々歳。こっちはガキが出来たから責任取れなんていわれねぇし、気楽だよな?」
「だっ、だったら……そういう連中を相手にしろ!私はっ――うっ」

フェルナンドの手が口を塞ぐ。

「使徒と人類のDNAは完全に一致しないんだってさ。ラバとかライガーみたいなものさ。子供は産まれるけど完璧な遺伝を引き起こせずに、能力が弱まったり皆無だったり、生殖能力がない奴が多い。まれに発生するのが親の能力以上の力を持った子供」
「……っ」
「元帥や将官達は非常に運のいい成功例さ。成功と失敗の比率は圧倒的に失敗が多い。そして、彼等のように親の力以上の能力を持って生まれたという成功例があるから、政府は諦めずに何度もくだらない実験を繰り返す」

柚は震えながらぎゅっと瞼を閉ざした。

もう知りたくない。
耳を塞いでしまいたい……それなのに、彼等はそれすら許さない。

「失敗した連中はどうなると思う?殺されるんだぜ。生まれてすぐに能力検査、政府が決めた基準に満たない奴はその場ですぐに毒殺だ。何も分らない赤ん坊なら殺すのは簡単だろうよ。鼻からあいつ等にとって使徒は実験材料だ。今お前に起きてる事だって、連中は知ってて止めになんてこない。政府様々だぜ?反吐が出る!」

玉裁が嘲笑うように吐き捨てる。
その顔には激しい嫌悪が浮かんでいた。

これでは本当に、使徒は――…

柚は青褪め、フェルナンドの手を引き剥がそうともがく。

気が狂いそうだ。
狂った狂気の世界に居続けたら、心身ともに砕けてしまいそうだ。

――人でなくなっていく……

口を塞ぐフェルナンドの手を涙が濡らす。
玉裁はくつくつと笑い、柚の軍服の胸元に手を掛けた。

「使徒は人体兵器であり、お前はその人体兵器を量産する道具なんだよ!」
「っ……!」
「泣くなよ、泣くのはまだ早いぜ?」

フックが弾け、胸元が肌蹴られる。
軍服の下のブラウスが、力任せに引き裂かれた。

恐怖は一気に込み上げ、もはや声すらあげられず、喉が空気を吐き出すだけの音を立てる。

その瞬間、部屋のドアがいきなり開く。
柚は凭れるものがなくなり、玉裁と共に廊下に倒れこんだ。

ドアを開けた焔が、柚を押し倒す玉裁と、部屋の中のフェルナンドを見やる。

「さっきから……お前等うるせぇよ。眠れねぇーだろーが」
「西並 焔か」
「初めまして、先輩。ご存知頂けて光栄ですよ」

皮肉めいた笑みを浮かべ、焔が口端を吊り上げた。

「なんだよ、お前も参加希望?」
「っざけんな、クソが!誰がこんな凶暴女に勃つかってんだよ。出世したいなら実力で這いあがれ、女使ってんじゃねぇよ!」
「生意気だな」
「いいね、こういうの。指導のしがいがある」

男達が身構える。

その瞬間、焔は目を見開いた。

気が付けば、一人男が増えている。
その男が手にする死神の鎌のような武器の刃が、音もなくすっと二人の首に押し当てられた。

「使徒同士の喧嘩はご法度……って、ライアンが言ってた」
「ハーデスっ……!」
「失せな、切り刻むぞ」
「ちっ、死神が」

玉裁が舌内を漏らし、構えを解く。

不機嫌に去っていく二人の背を見送った焔は、鎌を持った男に振り返り、目を瞬かせた。
現れた時同様、気配どころか足音もなく消えているのだ。

「誰も、いない?」

焔はポケットに手を突っ込み、ため息を漏らす。

どの道、あの二人を相手にしても勝てなかっただろう。
よく分からないが、先程の男に助けられた事は事実

悔しいが、今の自分のレベルでは、きっと誰にも勝てない……

「おい、てめぇも何いいようにやられてんだよ。ぶん殴ってやるんじゃ――」

焔は柚を見下ろし、再びため息を漏らした。

怯えたように体を丸め、泣いている。
もはや、昨日のように涙を隠そうともしない。

こうした姿を見ると、強く見えても女なのだということを思い知らされる。

焔は背中を丸めて泣いている柚の前にしゃがみこんだ。

「ほら、立てよ。もう誰もいないから」

伸ばした手が振り払われる。
焔は振り払われた手を見下し、その手を握り締めた。





イカロスが、護衛で付き添ったライアンズと共に基地に戻ったのは昼過ぎだった。

エントランスには、おろおろとした面持ちのフランツが待ち構えている。
フランツは車から降りるイカロスに気付くと、慌しく駆け寄って来た。

「イカロス将官、柚が朝から一歩も外に出てこないんです!僕にも会ってくれなくて……」
「……あぁ、あの二人か。やってくれたな」

フランツの言葉を聞きながら、イカロスは柚の心を読んだ。
昨夜の出来事を理解したところで、起きたものは遅い――自分の迂闊さに頭痛がした。

ライアンズが自分を見上げてくる。

「そ、それで!もっと不味い事態に!先程イカロス将官よりも少し早くデーヴァ元帥が戻って……」

フランツは青褪めていた。
事態を察したイカロスとライアンズは、顔を引き攣らせる。

どうか自分が部屋に到着するまでに、何もしないでくれ……と願うばかりだ。





目の前にはアスラが立っていた。
だが、恐いとは思えない。

「何故訓練に出ない」

自分を見下すアスラに、柚は目もくれずに俯いていた。

「義務を放棄するのか?」
「義務って……何だ」

ぽつりと言葉が返る。
少女の瞳は虚ろ……毛布を頭からかぶり、塞ぎこんでいた。

「誰が決めた?」

ゆっくりと顔をあげる。
涙の痕を塗り替えるように、青白い頬をまた涙が濡らす。

「どうして従う?何の為に?義務に従う義務は誰が決めた?政府?なんでそんな人達に私の人生を決められなきゃならない?どうして使徒だけこんな目に遭うんだ!」

柚の手がアスラの軍服を強く掴む。
震える手は、まるで縋るように伸ばされていた。

「もう嫌だ!私はっ――兵器でもないし、子供を産む為の道具でもない!!」

アスラはその手を振り払った。

離れていく柚の手
見開かれた赤い瞳から、涙がこぼれる。

その顔には、何を期待したのか……裏切られたような絶望が浮んでいた。

「全ての答えは"使徒だから"だ。言われたことにただ従え、訓練に出ないなら力尽くで引き摺りだす。義務を放棄するのであれば今すぐ人工受精の準備をさせる」

胸倉を掴み、華奢な体を壁に押し付ける。
アスラの声に苛立ちが籠もっていた。

柚の体が戦慄くように震える。

――ああ、駄目だ……

柚は心の中で呟く。
目の前が真っ暗に染まっていった。

「お前の意見など求めていない。兵器として任務を遂行するか子孫を残すか、それだけだ。個人的な感情など一切不要だということを覚えておけ」

柚の体はずるずると壁を伝って床に座り込むと、嗚咽が漏れ始める。

部屋に顔を出したイカロスは、額に手を当てて溜め息を漏らした。
「遅かったか」と、思わず呟きが漏れる。

「元帥、そんな言い方……」

イカロスと共に駆け付けたライアンズが、おずおずと口を挟んだ。
その後ろから焔の嘲笑が割り込む。

「最悪だな、アンタ」
「……」

アスラが焔にゆっくりと振り返った。
フランツが慌てて焔を止めようとすると、焔がフランツを押し退けて前に出る。

「女泣かせて楽しいかよ。アンタの考えを他人に押し付けておいて偉そうに……アンタのような奴がここのトップだから、ああいう馬鹿な連中がのさばるんだ。使徒の先が思い遣られるぜ」
「……俺は間違っていない。何も理解できていないのは貴様等の方だ」
「はいはい、やめなさい。アスラも任務帰りで苛立ってるのは分ってるけど、部下に当たらない。焔、君も無闇に喧嘩を売らないこと。ややこしくなる」

イカロスが睨み合う二人の間に割り込み、焔をフランツに預けた。

部屋に入り、イカロスは泣き崩れる柚の前にしゃがみ込み、そっと顔を覗き込む。
大きな掌がそっと柚の頭に触れると、柚の体がビクリと跳ねた。

アスラと目が合うと、柚が逃れるそうに顔を逸らす。
アスラは淡々とした口調の中に苛立ちを含み、吐き捨てた。

「今すぐそれに訓練を受けさせろ」
「アスラ、今日はそっとしておいてあげた方が……」
「ならば人工授精の手配を。妊娠は本人の意思に関係なく出来るものだ」
「アスラ」
「命令だ。例外は認めない」

アスラが背を向け、部屋を出て行く。
イカロスは柚を見下し、深い溜め息を漏らした。

柚が倒れたのは、それからすぐのことだ。
訓練中に倒れた柚は医務室に担ぎ込まれ、ヨハネス・マテジウスとラン・メニーの診察を受けて部屋に戻された。

「精神的なものですよ。治療をお望みならば、私よりも将官の方が適任でしょうね」

診察を終えたヨハネスは、刺々しく告げた。
医師としての責任感が強い彼は、遠慮なく腹を立てている。

責める意の強い瞳に、付き添ったジョージ・ローウィーもたじろぐ。
人の心を読むイカロスならば、尚更だろう。

彼は困ったように苦笑を浮かべ、ジョージに向き直った。

「まあ、そういうことらしい。急がせておいて申し訳ないけどあの子も精神的に限界かな。訓練を暫らく休めるように、アスラには俺の方から話をしておくから」

イカロスからは、苦笑がすぐに消える。
彼だからこそ、生真面目で融通の利かないアスラを納得させることがいかに難しいことかを理解しているのだ。

ジョージの隣で、イカロスは疲れた面持ちを浮かべている。
出過ぎたこととは分っていても、ジョージは声を掛けられずにはいられなかった。

「将官も少し休まれては如何ですか?任務から戻られたばかりでしょう」
「そうだな……こんな状態じゃまともに頭が働かない。とりあえず少し休むことにする、有難う教官」

医務室を出ると、壁に凭れ、鋭い眼光でこちらを睨み付けている焔と目が合う。
イカロスは自嘲染みた薄い笑みを浮べ、焔の前を通り過ぎた。

望まずとも、人の思考が流れ込んでくるのだから。

これから彼がしようとしていることに気付きながら、目を瞑った。
本当に、厄介な能力だと思いながら……





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