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食事の最中、フランツは施設や使徒について話をした。

食事が下げられると、フランツの前には食後の紅茶が運ばれてくる。
柚の目の前には抹茶が出され、人種差別と偏見だ……と、柚は密かに口を尖らせた。

二人の会話は、施設に連れて来られる前の話に遡る。
紅茶を口元に運びながら、フランツは懐かしそうに目を細めた。

「僕が普通の人と違うって気付き始めたのは、ここに連れてこられる少し前でした。最初はまさか自分がって思いましたよ」

柚が苦笑を浮かべて頷く。
「私は最後まで気付かなかったけど」と付け加える柚に、フランツが肩を揺らして笑みを漏らす。

誰もがそうだ。
事が起こって初めて、その事態の大きさに気付く。

「きっかけは覚えていますよ。小さい頃、体の奥底から耳鳴りの様に風が吹く音がしたんです。まるで僕に囁くように……少し、母さんの声に似ていました。だから、僕はなんの疑いもなく、それに応えた」

フランツが手にするカップの中で、琥珀の液体が波紋を描いた。

「あまりにも自然……というか、当たり前だったんです。僕は風の使徒だから、風を使って木に乗るのなんて歩くのと一緒だし、手を使わなくても物が動く。でも誰もそれをしないから、してはいけないことなのかなって、小さい頃は思っていました」

イカロスが言っていた言葉を思い出す。

"これは君の手足と同じ。人類が持たず使徒が持つ、もうひとつの目には見えない器官だ"
歩き方を覚えた赤子のように、力に目覚めた使徒は力と一体となる。

「大きくなるにつれて、自分がニュースで騒がれている使徒なんじゃないかって思い始めたんです。両親に打ち明けたら、両親もやっぱり同じ考えだったようで……話合ったんです。今後について」

悲しい思い出を、フランツは何処か温かな面持ちで語った。

「父さんと母さんは、今まで隠してこられたんだから、この先も隠していけるって言ってくれたんですよ。だから、使徒でもずっと傍にいて欲しいって。僕、凄く嬉しかったな」

柚は、釣られるように微笑みを漏らす。

きっとフランツの両親は優しい人なのだ。
だから、フランツもこんなに優しく微笑む。

フランツは、小さな自嘲を寂しげに浮かべた。

「でも、上手くいかないものなんですよね。ちょっとしたことで、無意識に家の近くで力を使ってしまったんです。それを見ていた近所の人が研究施設に連絡をしたようで、その日のうちに迎えが来ましたよ」

柚の顔が陰を落とす。
フランツの心情をフランツ以上に察するかのように、悲しそうに視線を落とす柚

フランツが紅茶を飲むと、柚も思い出したように抹茶に口を付ける。
途端に、顔を顰めて「苦っ」と呻く柚をみて、フランツはついに笑い出した。

いきなり笑い始めたフランツを不思議そうに見上げ、柚は目を瞬かせる。

「ごめん、なんだか可笑しくて」
「え?」
「柚は面白いですね」
「へ?」

ますます不思議そうにする柚に、フランツは再びくつくつと笑いを漏らす。
すると、その後ろから逞しい褐色の肌をした青年が圧し掛かった。

「なーに笑ってるの?楽しいことかな、フラン」
「ガルーダ尉官!おはようございます」
「おはよ。君が柚?」

フランツの背に乗り上げ、ずいっと顔を近付けてくる。
柚はぎょっとした面持ちで身を引いた。

顔や体中に刺青が施されており、見た目は恐い印象を受ける。
だが、青年は明るい声ではつらつとした笑みを浮かべた。

「俺、ガルーダ。よろしくぅー」
「よろしく、です」

鼻が触れそうな近距離でまじまじと顔を覗き込んでくるガルーダ
柚は圧倒された。

ガルーダはテーブルの上に猫のように音もなく飛び乗ると、柚の顔をまじまじと見下し、にっと笑みを浮かべる。
まるで犬や猫と接するかのように、ガルーダは柚の髪に触れてぐしゃぐしゃに撫で回し、抱き締めた。

「へぇー、これが女の子の使徒か。小っちゃいなー、人間の女の子と変わらないなー、っていうかすげぇ可愛い!ところでもう一人は?」
「あー、今日はちょっと」
「あ、あっちにライアン見っけ。フラン、柚、まったな!」

ガルーダは舌なめずりをすると、まるで獲物を捕らえた獣のように瞳を輝かせ、強靭な跳躍力を発揮してテーブルを飛び移る。
そのまま空を舞うようにふわりと窓から飛び降り、中庭へと消えていった。

嵐が去ると、庭からライアンズの悲鳴が轟く。
髪をぼさぼさにされた柚と、頭から紅茶をかぶったフランツが取り残さる。

笑顔で顔をあげたフランツに、柚は震え上がった。





食事が終わると柚はライアンズに呼び出された。

前を歩くライアンズの後ろを歩きながら、柚は周囲を見渡す。

廊下に転々と並ぶ窓の外には、食堂のある背の高い建物を挟んで研究所が見える。
宿舎とは反対の方へと歩くと、広い間隔で設置されたドアが並ぶ。
五つあるドアには、それぞれ訓練室のプレートが掲げられ、その内のいくつかに使用中のランプが灯っていた。

ライアンズは使用中のランプが灯った第一訓練室の前で足を止め、部屋のドアを開ける。
ライアンズが声を掛けると、奥行きのある広々とした空間の中央で男が振り返った。

「よーし来たな。俺はジョージ・ローウィー、此処の教官だ。女だからって容赦せんぞ!」

筋肉質であまり背の高くない男は、腕を組み、広すぎるほどに広い訓練室中に響き渡る声で名乗る。
ライアンズがうんざりした面持ちで、「声でかいっすよ」と呟く。

柚は目を輝かせ、ジョージに駆け寄った。

「うわぁ、マッチョだ。教官、私もお腹割りたいであります!」
「いい心掛けだ!」
「教官、高角度逆エビ固め教えてください!」
「おっ、貴様、プロレスがいける口か?いいだろう、伝授してやる!」
「ちょっ、おっさん。それ違うだろ、アンタ」

壁に凭れて様子を見ていたライアンズが、柚のペースに巻き込まれて意気投合する二人に声を掛ける。
「ケチケチするな」と口を尖らせるジョージの後ろで、柚が「そうだそうだ」と野次を飛ばす。

ライアンズは頭を抱えた。

「あのなぁ、お前も遊びじゃないんだぞ」
「……分ってるもん」
「げっ!?あ、いや、そんな……分ればいいんだ!」

柚が掌で顔を覆い、泣き始める。
慌てて顔を覗き込むライアンズに柚が飛び付き、ケタケタと笑い声をあげた。

「やーい、ひっかかったー」
「嘘泣きか!?このォ……クソガキィー!!?」

訓練室を駆け回る二人を見やり、ジョージは小さく笑みを零す。
ジョージは感情を切り替えるように息を吐き、腰に手を当てた。

「よし、遊びはそこまでだ。こっちに来い」
「はーい」

柚が足音も軽くジョージに駆け寄る。
ライアンズがゆっくりとした歩調で歩み寄り、柚の隣に立った。

「貴様は、昨日初めて能力を使ったらしいな」
「えっと……使ったっていうか、暴走させました」
「偉そうに言うな、馬鹿。いいか、能力の暴走は危険だぞ。あんな大規模な暴走かましておいて、下手すると死んでたんだ。イカロス将官に感謝しろ」

柚の耳をライアンズが抓る。
ライアンズが痛がる柚から手を離すと、ジョージが深く頷いた。

「その通り、限界以上の力を放出し続ければ肉体が破綻する。力は無限じゃない。自分の限界を知り、効率よく考えて使え」

柚は興味津々に頷き返す。
ジョージはファイルを取り出し、柚に突き付けた。

「いいか、俺達は生まれたときから持った能力の種類と力の数値がある。そればかりはどんなに訓練しても変わらない。政府基準で大きく三段階に分れ、さらに細かく九段階にランク付けされている」

ファイルを受け取った柚は、ファイルの表に目を落とす。

「お前は水と自己治癒で、上級クラスの第三級スローンズだ。ちなみに上級は、お前等が来るまで此処には三人しかいなかった」
「デーヴァ元帥は第一階級セラフィム、ガルーダ尉官と西並 焔が第二級ケルビム。イカロス将官は第三級スローンズ、お前と一緒」

ライアンズの説明に、柚は「ん?」と首を捻る。
ファイルを見比べ、柚はジョージに問い掛けた。

「あれ、尉官と将官では、将官の方が偉いんじゃないのか?それなのに能力階級が逆?軍事階級と強さは関係ないって事?」
「それもある。潜在能力値と強さが比例するとは限らんし、政府の設定した基準はあくまでも潜在能力値であって、戦闘レベルではない」
「フランは潜在能力が下級クラスの第七階級プリンシパリティーズだが、能力を利用した身体能力で自分より上の階級の連中と対等に渡り合ってるぜ」
「うーん、混乱してきた」

話を聞き飽きてきた柚が、体育座りをして困った顔になった。
ジョージが豪快に笑い声をあげる。

「つまり、持った力が強かろうと、上手く使えなきゃ意味がないってことだ」
「お前も焔もまさにソレだ」

ライアンズが不敵な笑みと共に口端を吊り上げ、柚を見下ろした。
柚は不貞腐れた面持ちで、ライアンズを見上げ返す。

ジョージは頷き、ファイルを片付けた。
軍服の前を寛げながら、そでを捲り上げる。

「ま、お前は頭より体で覚えるタイプだな。力を使った感覚は覚えているか?何かやってみろ」
「えっと……」

柚は記憶を辿った。
一度覚えてしまえば、それはあまりにも当たり前のように機能する。

瞼を閉ざして耳を澄ませば、水の音が溢れてきた。

今までずっと、気付かぬふりとしてきた力
力が暴走した時、心底恐いと感じた。

だが、向き合い受け入れてみれば、とても容易く温かく、自分を包み込んでくれる……優しい力

底から込み上げてくるものに、今度は躊躇いなく手を伸ばした。
意識を水が飲み込み、柚はゆっくりと瞼を起す。

空気が動く。
大気中の水が流れ、柚の元に集まり始める。
それは次第に渦となり、広い訓練室を蜘蛛の糸のように張り巡っていく。

まるで水の中に浮んでいるかのように、心地がいい。

ふと、何かに強い力で肩を捕まれた。

「めろ!…おい、止めろ!」
「ぁ……」

柚の集中がふっと途切れる。
途端に水が砕け散った。

「この馬鹿!誰かここまでやれって言った!」

肩を掴むライアンズが怒声を浴びせる。

気が付けば足元が水浸しだ。
体にふっと圧し掛かってくる疲労感と引き換えに、先程まで自分を包んでいた温かな温もりが退いていく。

余韻に浸るようにぼんやりとした面持ちを浮かべていた柚が、「よくわかんない」と口を尖らせる。

「いいか、能力に呑み込まれるな。自分で制御するんだ。力のタイプは大きくわけてふたつだ。まず、お前の自己治癒のように無意識に起こるものと、水のように意識して生み出すもの。昨日、元帥の戦う姿を見て気付いた事はないか?」

柚は少し考え込み、「あっ」と声を漏らす。
柚は手を上げるように掌を翳し、指を指した。

「手」
「そう。決してそれに限定するわけじゃないが、一箇所に意識を集中させることで精度が上がる。手の代わりに武器を使う奴もいるぞ、コイツみたいにな」
「へぇ、ライアンは武器なんだ」

ジョージがライアンズを一瞥する。
柚はライアンズの腰に下げられた二丁の銃を見やり、目を丸くした。

途端に、ライアンズは呆れた面持ちで額に手を当てる。

「お前、本当に何も知らないんだな。週刊誌とかで、一応俺達の特集とか組んでるだろ?」
「女なんてそんなもんだぞ?クラスの女子なんて、誰が格好良いとかその程度で、能力とかに興味があるのは主に男子かな」
「まあ、分からないでもないな。で、お前は誰がよかったんだ?」
「うーん……別に興味なかった」
「お前、ここは嘘でも"ライアン先輩です!"って答えるところだろ!」
「何それ、きもい」
「なにをォー!?」

掴み合いの喧嘩を始める二人に、ジョージがげんこつの粛清を降らせる。
たんこぶを作りながら目の前に正座をする二人を、腕を組んだジョージが見下ろした。

「実戦の方が分かりやすいだろう。ライアン、少し相手してこい」
「いいっスよ」
「えぇ!?」

抗議の声をあげる柚の襟首を掴み、ライアンズが中央に引き摺り出す。
ライアンズは肩の隣で掌を上に向けると、ぼっという音と共に、掌の上に炎が灯った。

柚は、揺れるオレンジの炎に見惚れる。

「能力の使い方は、そいつの発想次第だ。とは言われてるが、実際は同じ系統の能力者が編み出した過去の使い方を参考にする例が最も多い」
「ライアンは火か」
「その通り。能力によって相性もあるから、敵と遭遇した場合は頭も使って戦えよ?」

柚が、元気良く返事を返す。
ライアンズは腰を僅かに落とし、口端を吊り上げる。

「じゃあ問題だ。水と炎、どちらが強い?」
「え?火は水で消すから、水、かな?」
「よし、答え合わせだ!」
「え?え゛!ぎゃあ!?」

ライアンズが踏み込んだ。
柚が慌てて打ち込まれた拳を交わす。

炎を纏った拳が柚を掠め、庇うように翳した腕が痛む。

「っ!」
「自己治癒があってよかったなァ!」

軽い火傷がじわじわと回復していった。
柚は地面を蹴るように飛び退きながら、顔を顰める。

ジョージが二人の戦いを見守っていると、訓練室のドアが微かに開いた。
ジョージが頷き返すと、イカロスとガルーダが物音も立てずに訓練室に足を踏み込む。

「どう、あの子」
「見所がありますね。身体能力と勘がいい」
「俺くらい?」
「さすがにガルーダ尉官には及びませんよ」

楽しそうに訊ねるガルーダにジョージが苦笑を返し、ギョッとした。

不敵な笑みを浮かべたガルーダは、腰に巻いていた軍服の上着とシャツを脱ぎ捨て、ブーツを適当に放り投げると、スラックスを膝まで捲り上げる。
腕を回し、屈伸を始めるガルーダの褐色の背中には、翼の入墨が羽を伸ばしていた。

ジョージは青褪める。

「いや、まさか、まださすがに……イカロス将官!」
「ガルーダまで連れて来ちゃった俺も迂闊だったよ。俺達に出来る事は、ライアンはともかく柚ちゃんが怪我をしないように祈るのみだ、ローウィー教官」

助けを求めるジョージに、イカロスが何処か遠い眼差しで目を逸らす。
止めてはくれないらしい。

ガルーダは軽い屈伸を終えると、大きく背伸びをした。

「よぉーし!行くぞー!かかってこい!」
「げっ、ガルーダ尉官!?」
「へ?」

きょとんとする柚を他所に、ライアンズが青褪める。
腕を回して舌なめずりをしたガルーダが、地面を蹴った。





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