戦争は、政治とビジネスだ。

人と人との戦いから兵器と兵器の戦いへ……
そしてまた、争いは進化する。

長い戦争の時代、母体に強いストレスを与える社会環境が続き、環境と社会に適合すべく新しい力を宿した新人類が生まれるようになり始めた。
人によって備わる能力は違えど、触れずに物を動かす者や、心を読む者。
または脅威の自己治癒力を備え、さらには自然の要素を操る者。

より多く、より強い人体兵器を手にいれた国は、世界を制する。
誰がそう囁いたのか……

新人類は神の使い"使徒"と称され、各国は一時的に戦争を投げ出し、使徒の研究に勤しむようになる。
膨大な資金をつぎ込み研究施設を立ち上げ、軍機関に使徒のみで構成された部隊"特殊能力部隊アース・ピース"を創設した。

――はたして、新人類は脅威になるか、はたまた味方となるか……
新たな歯車は、すでに回り始めていた。










何故だろう、今日はやけに耳鳴りが酷い。
耳鳴りといっても、まるで水が湧き出るようなごぽごぽという音で、決して不快ではない――不思議な気分になる。

見えない風、青い空、流れる雲が一瞬太陽を隠す。
柚はなんとなく、校舎の屋上を見上げた。

「あれ?」
(人……?)

校舎の屋上から少し外れた空に、長いコートを羽織った青年が宙に浮くように立っている。
その男の周囲を、オーラのようなものが包み込んでいた。

その瞬間、視線に気付いた男が振り返る。

眩暈がした。
柚は目を擦って、もう一度屋上を見上げる。

(いない……っていうか、どう考えても錯覚だな)

柚は溜め息と共に首を下ろした。

桃色掛かった白髪を顎の傍でゆったりと束ね、短めの前髪の下で大きくくりっとした赤い瞳が、疲れたように瞼を閉ざす。
おっとりとした顔立ちと、体操着の下から覗く白い手足は、少女を儚く見せていた。

「柚!」

誰かが、鋭く名を呼んだ。

瞼を起こして顔を上げた柚の視界を、白い球体が太陽のように覆いつくす。
たった今、バレーボールを顔面で受け止めながら、柚は今が体育の授業中であることを思い出していた。

バレーボールは柚の顔面で強打すると地面にバウンドし、悪気もなくころころと転がり落ちる。
どっと笑い声があがり、柚は顔を擦りながら起き上がった。

「何ぼうっとしてんのよ、柚」
「いい男でもいた?」
「いたぞ、屋上に」
「やだ、それー!幽霊?やめてよね」
「いや、本当だってば」

冗談交じりに無邪気な笑みを浮かべて屋上を指差す柚に、クラスメイトが集まってくる。
照れ隠しを交えながら、柚は立ち上がった。

「皆ーごめん、試合再開!」

外見とは掛け離れた活発な声を張り上げる柚
柚は転がるバレーボールを拾い上げた。

「行くぞー!」

空に向けて放り投げる。
ボールは放物線を描き、空高く舞い上がった。

「柚、いったよ!」
「今度は決めてね!」

コートを往復するボールに向けて、柚は地面を蹴る。

重力に逆らう瞬間
全身をしならせる瞬間
少しでも太陽に近づける瞬間

(気持ちいい――…)

唇が弧を描く。

打ったボールが少女達の腕をすり抜け、地面に跳ね返る。
試合を見学するクラスメイト達が一斉に、歓喜と興奮の声を巻き起こした。

とんっと、爪先が地面に付く瞬間、風を支配しているようで心地よい。

試合終了の笛が鳴った。
途端に、クラスメイト達が柚に駆け寄ってくる。

「最後、格好良かったよ!」
「柚ってばほんっと、運動神経いいよね!」
「まかせろ」

誉められて、柚は胸を張った。

運動神経が飛び抜けていいとは思っていない。
だが、周囲がそういうのだからそうなのかもしれない。

ただ柚は、伸び伸びと動けるこの瞬間が、気持ちいいから好きだ。

「ちょっと顔洗ってくる」

柚はタオルを手に取ると、友人達に手を振りながら水道に掛けだした。

校舎の近くにある水道は、授業中ということもあり人気がない。
今はどのクラスも使っていない被服室の前の水道で、水道にタオルを掛けて柚は蛇口を捻った。

水が水道管を汲み上げられる音、そして溢れだす透明の水

冷たい水で顔を洗い終えると、柚は大きく息を吐き、ゆっくりと吸い込む。
肺を酸素が満たした。

「柚ー!そっちにボールいっちゃった、帰りに拾ってきてー!」
「わかったー」

遠くでクラスメイトが手を振る。
柚は軽く手を振り返し、ボールを捜した。

植木を掻き分けながら、柚はもう一度屋上を見上げる。
当然ながら、そこには誰の姿もなかった。

当たり前かと大きく手を伸ばして空気を吸い込むと、再び全ての音をさえぎるように音が飛び込んできた。

「っ……またか」

一瞬、周囲が無音に包まれる。
その後から湧き上がるように、水の音がごぽごぽと奥底から込み上げてくるのだ。

小さい頃から耳鳴りの癖があったが、最近は特に酷い。
思い返せば、柚が高校に入ってからのような気もする。

現実から切り離されるようなこの感覚
海に浮かぶように心地が良い。

その感覚に全てを預けそうになる柚を現実に引き戻したのは、三階から飛び降りてきた人影だった。

とんっと軽やかに飛び降りた少年の短い黒髪が、ふわりと撫でるように揺れる。

つり目がちの鋭い漆黒の瞳と、健康的に日に焼けた肌
混じりけのない黒髪と着崩された制服は、少年を何処か野生的に見せる。

柚は思い出したように飛び退き、声をあげた。

「び、びっくりした……」
「だからどけって言っただろーが」

驚く柚に、飛び降りてきた少年はすくりと立ち上がり、悪びれた様子もなく返す。
柚はムッとした。

「聞こえなかったぞ!」
「てめぇがぼーっとしてて聞いてなかっただけだろ」
「なんだと、だったら別の窓から飛び降りるとか、私が行ってからとか、いろいろ方法はあるだろ。そもそも窓から飛び降りるなんて非常識だ!」
「ギャアギャアうるせぇな……ブス」

ぼそりと吐き捨てられた言葉に、柚が音を立てて固まる。

「ほぉ……何か?貴様の顔は人様の顔をどうこう言えるほど素晴しく整った顔なのか?え?言ってみろ」
「いでででで!てめっ、この野郎!」

柚は少年の頬を掴み、ぎゅっと引っ張った。
少年が柚の胸倉に掴み掛かる。

その時、帰りの遅い柚を心配して迎えに来たクラスメイトが、青褪めて悲鳴をあげた。

「柚ー!?」
「何やってんのよ、あんた等!」

少年が舌打ちを放ち、柚から手を離す。

「あ、ちょっと待て」

背を向けて歩き出す少年を追い掛けて、柚は目の前に割り込んだ。

見上げてくる柚に、少年がまた何かされるのかと身構える。
柚は構わずに少年の顔を覗きこんだ。

「お前、あんなところから降りてきて、足はなんともないのか?」
「……別に」
「ならいいが。顔は大丈夫か?医務室いかなくて平気?もともとそういう顔なのか?」
「なんだその哀れみの目は。ブサイクとでもいいてぇのか?ほんっと、嫌な女だな」

褒め言葉でも受け取ったのかごとく、柚はニッと不敵な笑みを浮かべ、少年の前から下がった。

ふわりと揺れる柔らかそうなきめ細かいプラチナピンクの髪
くりっとした赤い瞳がすれ違い様に少年を見上げ、悪戯な笑みを浮かべた顔が、隣を走り抜ける。

小走りに離れていく少女に、少年は頬が紅潮するのを感じた。

柚は友人のもとに駆け寄ると、少年に向けて大きく手を振る。
よく通る声が響いた。

「じゃあな――っていうか、ちゃんと授業受けろよ!」
「余計なお世話だ……」

少年はボソリと吐き捨てる。
ぐしゃりと黒い髪を握りこみ、少年は舌打ちを漏らした。

遠くから、先程の少女が何か叫んでいる声が微かに耳に届く。

少女が完全に見えなくなると、少年は周囲を見渡し、空を見上げた。
ゆっくりと瞼を閉ざす。

(さっき、ここら辺から感じた気配……気のせいだったのか?)

そうであって欲しい。
それは強い願い……





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