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「マンマミーア!ご、ごめんなさい、もうしません、マンマ」
「本当かのう?そなたはいつもそればかりじゃ……妾の大切な客人をああも怒らせるような悪戯は、もはや悪戯とは言えぬのう」
「ミスクーズィ!アクティング!許して!」
「わらわに謝られてものう……」
困ったように頬に手を当てるヴィットーリアから逃れるように、パトリツィオが腰を抜かしたままのクリフに頭を下げる。
「ごめんよ?ここにいるときは、人が来たらもっと慎重にドアを開けろって教えたかったんだ。少しやり過ぎたよ、反省してる」
パトリツィオは、無邪気にクリフにウインクを送った。
本当に反省しているのだろうかと、クリフは疑わしげに思いながら、パトリツィオから顔を逸らす。
「アクティング、謝りました!」
「良い子じゃのう」
「スィ」
背筋を伸ばして、パトリツィオがはきはきと返した。
微笑みを浮かべてパトリツィオの頭を撫でるヴィットーリアに寄り添うパトリツィオは、まるで猫のようだ。
イヴァンが呆れたようにパトリツィオを一瞥し、クリフに手を差し出す。
「本当にすまなかったな」
「……あいつは?」
「あいつは俺のソルジャーの一人、パトリツィオ・ドニだ。狙撃手としての腕は立つんだが、どうもああいう奴でな……」
"狙撃手"という単語にクリフの顔がさっと青褪める。
「すまんが、あいつがあんたの護衛だ。腕は本当にいいから、安心してくれ」
「……」
「ジーザス!」と、叫びたくなった。
腕が良くても中身が最悪だ。
パトリツィオは、クリフが命を狙われても笑いながら見ていそうな男に感じた。
何より、知性を欠片も感じさせない。
そんな不愉快な気分に陥っていたクリフは、ふとヴィットーリアとイヴァンの服装に目を留めた。
ヴィットーリアは相変わらず漆黒のドレスに身を包んでいたが、先程のラフな感じの印象を受ける服装から一転し、正装に身を包んでいる。
黒に乗る白い髪が、まるで夜空に掛かる星の川のように美しく映えた。
対するイヴァンも黒いスーツに身を包み、ネクタイをきちんと締めている。
イヴァンに関しては髪まできっちりと後ろに流し、まるで別人のようだ。
「何処か行くのか?」
クリフは思わず疑問を口にした。
「これから弁護士が来るのでな。幹部と共にレオの遺言の続きを聞く」
「へぇ……」
「何を他人事のような顔をしてるんだ。さっさとあんたも着替えろよ」
「は?」
クリフは目を丸くして、イヴァンの顔を見上げる。
イヴァンは面倒くさそうに、クリフを見下ろす。
「それがあんたの仕事だろ」
「け、けど、そんな重要な場に俺なんかが居ていいのか?他の幹部が許さないんじゃ……」
「何言ってんだ。許す許さないの問題じゃない、あんたが来なきゃ話になんないだろ。まあ、下手な無駄口だけは叩かないようにしとけよ」
「出来るか!」と叫びたくなった……が、イヴァンは忙しそうに去っていく。
「というわけで、そなたはこのパトリツィオと共に弁護士の先生のお出迎えを頼むぞ」
「は?あ、おい!」
彼等は自分に何を求めているのだろう?
クリフは困惑しながら、弁護士のビアンコと握手を交わした。
生真面目そうな愛想のない男で、挨拶は物足りないほどに素っ気ないものだった。
現状に流されている状況のクリフにとっては聞きたいことが沢山あるが、周囲の雰囲気がそれを許さない。
弁護士のビアンコとは面識があるのか、廊下ですれ違う構成員たちは恭しく道を開ける。
しかしクリフに対する態度はいぶかしむものだ。
ソルジャーのパトリツィオ・ドニと歩くクリフを、「なんだアイツは?」「何処の誰だ?」と言いたげな目で見てくる。
(確かに弁護士の助手……とかには、我ながら見えないよな)
ガラスに写った自分を横目で見やり、クリフは小さくため息を漏らした。
高級なスーツに身を包む自分は、本当に借りてきた衣装を着ているようで、いまいち様にならない。
垢抜けない、品性が感じられない、冴えない、田舎者、貧乏人、幸が薄い……頭の中には次々と、自分にぴったりな言葉が浮かんでいた。
ビアンコに付き添い、案内された一室で――恐らくはダイニングルームだろう――クリフはごくりと喉を鳴らす。
部屋に置いてきてしまったカメラを取りに戻りたくなるような、豪華な面々だ。
長いテーブルの最奥の席には、女だてらに貫録を備えたヴィットーリア。
恐らく、今までそこに座っていたのはレオナルド・チェチェーレだろう。
そして両脇の席にはアンダーボスのオスカル・アストルガ。
向かい合うように座るコンシリエーレのジルベルト・ベルナルディが、クリフににこりと微笑む。
次にカポで最年長のローランド・ゾフが肘掛に手を掛け、重そうな体で椅子に埋もれるように座っている。
その隣に座るのは、同じくカポのマッシミリアーノ・ダレマ。
彼の前には、灰皿の上に煙草が溢れていた。
その二人と向かい合うように、イヴァン・カロッソが足を組み、背凭れに凭れて腕を組んだまま瞼を閉ざしている。
眠っているのだろうかと思うほど微動だにしないイヴァンの隣では、リオネロ・コレッティが涼しげな顔で本を捲っていた。
「皆さんお揃いですね?」
ビアンコはテーブルを挟み、ヴィットーリアとは対局の位置に立つと、揃った面々を見回し、問い掛けた。
するとカポの一人、マッシミリアーノが軽く手を上げて話を遮る。
「先生、そちらの方は?見掛けない方だが。もしかして彼が、一回目の遺言の?」
「はい。彼はシニョール・クリフ・オルコット。チェチェーレ氏の指名を受けた判定人です。空気のようなものだと思ってください」
いぶかしむ様な視線が、クリフに一斉に向けられた。
だが、一番驚いているのはクリフだ。
先程は聞き流してしまったが、ヴィットーリアもそのようなことを言っていたはずだ。
すでに彼等は一回遺言を聞いている。
その遺言を聞いた上でクリフを巻き込み、新たに二度目の遺言が公開されようとしているのだ。
クリフが聞きたい内容を、ローランドが勘繰るような眼差しを向けながら訊ねる。
「先生、前回もお聞きしましたが、判定人とはどういうことですかな?」
「これから読み上げる内容をお聞きになれば分かると、生前のチェチェーレ氏から伺っています。私もまだ遺言には目を通していませんので、詳しいことはお答えできません」
ビアンコは丁寧な動きで、手にしていた封筒から真っ白な封筒を取り出す。
その中から紙を取り出すと、ビアンコは小さく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら僅かに瞼を伏せる。
ビアンコの表情は、一言で言うならば「面倒」だと言いたげだった。
「では読み上げます」
ビアンコは念を押すように、ヴィットーリアとその隣に座るオスカルへと一瞥を向ける。
「遺言の内容にいかなる不満があろうと、私に怒りを向けることだけはないようにお願いしますよ?」
「もちろんじゃ。そなた達もよいな?」
「スィ」と、男達の低い声が返った。
クリフは、優雅に笑みを浮かべながら瞼を閉ざすヴィットーリアへと視線を向ける。
まるで興味がなさそうな顔だ。
クリフの推測ではあるが、多分ヴィットーリアは遺言の内容を全て知っているのだろう。
いろいろと推測をめぐらせるクリフの耳に、ビアンコの明瞭な声が届いた。
「今このときを持って、アクティングボスを任じられたヴィットーリア・ブリヴィオを、ブラマンテ・ファミリーの正式なボスとする」
ある程度、予想はしていた内容だ。
幹部の一部からはため息や舌打ちが聞こえてくるが、誰一人席も立たず、声も漏らさない。
この場に響くのは、ビアンコの声のみだ。
「この決定に不満を抱く者は、速やかにブラマンテ・ファミリーを去れ。今回に限り、離反・ファミリーの新設を認め、ブラマンテ・ファミリーからの報復はないものとする」
クリフは僅かに目を見開き、ビアンコの横顔を見た。
幹部達が声を出しかけ、口を噤む。
アンダーボスのオスカルは、瞼を閉ざしながらじっと耳を傾けている。
クリフの予想以上に、彼は落ち着いていた。
「しかし、ヴィットーリア・ブリヴィオを退けた上でブラマンテ・ファミリーのボスの座を得ようとした者が現れた際には、マフィアの名誉に掛け、速やかなる排除と制裁を命じる。これはレオナルド・チェチェーレの最期の願いであり、遺言に反する行動への報復は、ブラマンテ・ファミリー三代目ボス、レオナルド・チェチェーレの名誉を守る戦いである」
全ての内容が読み上げられると、クリフはレオナルド・チェチェーレに失望を覚えた。
弱小マフィアをここまで大きくし、やり手と噂されたレオナルド・チェチェーレの晩年は失望に失望を重ねたものだった。
病気での他界、挙句の果てには女に狂い、組織を二分……否、崩壊させるかもしれない。
とはいえ、不満者達の離脱を許したのは、自身が女に狂った自覚があったのだろうか?
「尚、クリフ・オルコットには、十四日後にレオナルド・チェチェーレから最後の遺言を受け取ってほしい。その遺言の問いに対し、クリフ・オルコットが選んだ人物に、レオナルド・チェチェーレの財産の全てを託す。クリフ・オルコットが死亡、もしくは遺言の内容にそぐわない不正と判断を下した場合、遺産は速やかに破棄するよう手配してある。オルコット氏には公平な立場で、ブラマンテの行く末を見守って欲しい」
(ん?)
クリフは眉を顰めた。
レオナルドはヴィットーリアを指名したが、遺産は託していないということになる。
遺産と地位は別なのだろうかと、違和感のようなものを覚えた。
それに、なりたい者はボスの座を狙えと言っているようにも聞こえる。
「以上です。では私は退室致します。後は、皆さんでお話し合いください」
ビアンコは涼しい顔をしていたが、逃げるように去っていった。
主にアンダーボスやカポ達が発する息苦しい空気が漂うこの場所に、俺を置いていかないでくれと、クリフは縋りたくなったが、ドアは無情にも閉ざされる。
「だそうですが……」
コンシリエーレのジルベルト・ベルナルディは、困ったように笑いながら肩を竦めてみせた。
「ドン・チェチェーレの遺言とあっては、従うほかないのう」
のんびりとした声音でそう呟くと、ヴィットーリアは男の劣情を誘うような眼差しで、隣に座るオスカルへと視線を向けた。
オスカルは組んだ足の上に乗せた手を解き、肘掛に乗せ直す。
椅子に体重を預けながら、長々と肺の中の空気を吐き出した。
「ドン・チェチェーレにはがっかりですよ」
ゆっくりと、だが重々しく……
オスカルが椅子から立ち上がる。
「ヴィットーリア、奥で話がしたい」
「構わぬが、コンシリエーレはどうする?」
「大切な話です。コンシリエーレにも席を外していただきたい」
「了解いたしました。しかし失礼ながら念の為、銃をお預けいただけますか?」
会ったときと変わらず、にこにことした愛想の良い顔をしながら、ジルベルトがオスカルに手を差し出した。
オスカルは憮然とした面持ちで銃を二丁取り出し、ジルベルトの掌に乗せる。
幹部達はただ無言で、じっとそっと動きを見ていた。
「ヴィットーリア、あなたは?」
「持ち合わせておらぬ。なんなら触って確かめるかえ?」
「はは、それは別の機会に是非」
にこにこと笑うジルベルトにイヴァンが苦い顔をし、マッシミリアーノが不愉快そうにため息を漏らす。
さらりと言い放つジルベルトに、「おのれ、イタリア人めぇ……」と、クリフは臍を噛んだ。
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