「で、五年も掛けて収穫なし、と?大した腕前だな」

いけ好かない出版社の編集長は、最初から期待などしていなかったかのような目付きでクリフを見た。
反論の言葉もなく、ぐっと言葉に詰る。

「もういい。君には失望した。契約は破棄するよ」
「ええ!そんな!?嘘でしょ!!」

売れないフリーライター"クリフ・オルコット"は、アパートで途方に暮れた。

それから一週間も経たない内に、レオナルド・チェチェーレの死を耳にした。
病死だったらしい。

他国のギャングのボスの死など、イギリス本国で大きく取り立てられることもなかったが、高名なマフィアのボスにしては地味な死に様だと、何処かの新聞が書き綴っていた。

その当日、家賃の滞納で追い出されそうになっていたクリフのアパートに、一通の手紙が届いた。
真っ白な封筒に、蝋で封がされ、ブラマンテの刻印が押されている。

それは、飛行機のチケットとブラマンテの屋敷への招待状だった。

自分が知る限りでは、レオナルドの死後、ブラマンテ・ファミリーには衝撃が走ったという。

レオナルドは遺言で、ボスの代理を組織とは無関係の人間に託したらしい。
それにアンダーボスが激怒し、ブラマンテ・ファミリーが分裂の危機にあるという。

だがそんな話をしながらクリフが思い起こすのは、レオナルド・チェチェーレの顔ではなく……
あの美しい女性だった。

レオナルド・チェチェーレに妻はいない。
あの女は、レオナルドの恋人だろう。

あの女に看取られたのだろうか?
今も、あの女はレオナルドの死を悼み涙を流しているのだろうか?
どんな顔をして泣くのだろう?

そう考えると、自分のものでもない女のことで、レオナルドに嫉妬する自分がいる。

だが、それだけではない。
編集長にクビを切られようと、出さなかったものがある。

「……」

クリフは、机の上に裏返したまま放置していた写真に手を伸ばした。

取り押さえられてカメラを落とした時、偶然シャッターが押されたのだろう。
裏返せば、そこには白髪に琥珀の瞳をした女が写っていた。
だが、その女の耳は獣のもので、その背には何本もの真白い尾が生えているように見える。

「どういうトリックだ、こりゃ……」

家賃を払う金もないというのに買ってしまったオカルトの本を見やり、クリフは全身で溜め息を漏らした。

「ブラマンテのドン・チェチェーレ、太古の狐悪魔に憑き殺される――なーんてな、ゴシップ誌じゃあるまいに」

クリフは着替えと本を鞄に詰め込み、写真をジャケットの胸ポケットに押し込むと、アパートを出る。
飛行機のチケットを、クリフはじっと見詰めた。

(あのくそ上司!俺のクビを切ったこと、絶対後悔させてやるっ!)

クリフはイタリアに到着するなり最寄の本屋に立ち寄り、ブラマンテについて書かれた新聞と雑誌を買い漁った。
店員に嫌な顔をされながらも、小銭を寄せ集めて支払いをしようとしていると、その後ろからすっと手が伸びる。

「おい、割り込みすんじゃ……」

開いたクリフの口が真一文字に引き結ばれた。
ストライプのスーツで小綺麗に纏めた品の良い優男が、まるでナンパをするかのように愛想の良い面持ちで問い掛けてくる。

「ミスター・オルコット?」
「あ、ああ」
「よかった。空港で会えなかったから焦りましたよ」
「もしかして、あんたがこの手紙を?」
「ノー。それは、うちの女王様があなたに宛てたラブレターですよ」
「女王様?」

穏やかな物腰の男はクリフに合わせて流暢な英語で喋り、にこりと品のある笑みを向けた。

「ああ、会計はこちらで」

当然のようにカードを取り出し、店員に差し出す。
苦労していた会計はあっという間に終わり、商品が差し出された。

クリフは毟り取るように雑誌を受け取りながら、「こちらです」と歩き出した男の後を小走りに追った。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ!なんなんだあんた。どういうつもりでこれを!」
「ああ、失礼。とりあえず、どうぞ」

車の後部座席へと、道は開かれる。

(ああ、くそっ!俺、とんでもない事に巻き込まれようとしてないか?)

頭を掻き毟りたくなった。
車の前で躊躇うクリフを急かすでもなく、男はドアマンのようにクリフの次の行動を待っている。

(何を迷う、クリフ・オルコット!俺はこれに人生賭けてんだ!)

クリフは、自分のラフな服装には不釣合いな車へと乗り込み、イタリアの町並みを睨み付けた。
男がクルフに続いて隣へと乗り込むと、車は静かに車道を走り出す。

「私はジルベルト・ベルナルディです、よろしく」
「ジルベルト・ベルナルディだって!?あの?」
「おや、私をご存知でしたか。光栄ですね」
「い、いや、まあ、一応……」

ジルベルト・ベルナルディは、ブラマンテ・ファミリーのコンシリエーレを勤める男。
コンシリエーレとはマフィア内の調停役だ、その存在の影響力も大きい。

内部分裂が起きそうな状況で、今一番忙しいはずのジルベルトが、わざわざ自分の出迎えに訪れる意図が分らない。
とすれば、マスコミが騒いでいる内容は真実ではないのだろうか?

「それで、俺を呼んだ女王様ってのは……」
「私達のアクティングボスです」
「代理は女なのか!?」

これだけでも十分にスクープだ。
だが、クリフの頭に真っ先に浮ぶのは、やはりあの女だった。

「そう、あなたが隠し撮りした方ですよ。彼女がドン・チェチェーレの正式な指名を受けた、ブラマンテのアクティングボスです」
「は?え?う、嘘だろ……」

狭い車内で、思わず立ち上がりそうになる。

これでは、アンダーボスの離反が持ち上がっていることにも頷けた。
レオナルドは血迷ったにも程がある。

愛人をボスに据えるなど、誰が納得するだろう?


「悪いことは言わない、あんた今すぐアクティングを降りたほうがいい!アンダーボスに殺されるぞ」


追い出された記憶がまだ生々しいレオナルドの屋敷に着くなり、クリフは血相を変えて女に迫った。
女は椅子に座ったまま、くすくすと艶やかな笑みを漏らす。

「おやおや、まあ。見ず知らずの妾の心配をしてくれるのかえ?優しいのう」
「いや、それは、あんただってこの間、俺を助けてくれただろ」
「ほほほ、まさに鶴の恩返しじゃ」

色香の漂う体を黒いドレスに包み込んだ女は、忠告になど耳を貸す様子はない。
クリフは焦れた思いで、呑気に笑っている女を睨んだ。

すると女は含んだ笑みを浮かべたまま、クリフを見上げる。
まさにそれは、打算的な笑みと言う言葉がしっくり来るであろう微笑だった。

「まあ、そう恐い顔をせんでおくれ。心配は無用じゃ。そなたを呼んだのには理由がある」
「あんた、俺に何をさせる気だ?」

計算高い女の目だ。
ごくりと喉が鳴った。

気を抜けば、あっという間に掌の上で転がされてしまいそうな気がした。

「そなたも今のブラマンテの現状を知っておろう?」
「ああ、だからあんたに忠告したんだ」
「難しいことはない。これから起こる事をただ見ていてくれればよいのじゃ。そして最終的にレオナルド・チェチェーレの問いにそなたなりの答えを出すだけでよい。その間、記事にしたいことがあれば好きに書き綴っても構わぬ、終われば報酬も出そう」

女は足を組み、その上でしなやかに指を絡める。
クリフは目のやり場に困った。

「報酬は……そうじゃのう、これくらいか?」
「少々多いのでは?」

小切手に数字を書き込み、女が後ろに控える二人の男に見せる。
男の一人が首を横に振ると、女は困ったように「金というのは難しいのう」と呟き、ペン尻を揺らした。

女の後ろに控えているのは、カポのイヴァン・カロッソとリオネロ・コレッティだ。
四人の幹部の内二人と、コンシリエーレのジルベルト・ベルナルディが女側に付いたということだろうか。

クリフが男達を盗み見ていると、女が不満そうに身を乗り出した。

「なんじゃ、この妾を目の前にして男に余所見とは……はぁ、妾も歳かのう。して、そなたいくら欲しい?」
「は?」
「報酬じゃ」
「いや、報酬って言われても……俺はやるとはまだ」
「おやおや、断るのかえ?それは考えなんだ、困ったのう」
「始末するか?」

イヴァンが懐に手を差し入れる。
クリフは青褪めた。

「脅すのか!」
「おやめ。すまぬのう、血の気が多くて困る。何もせぬ。断るというならば飛行機を手配して空港まで送らせよう、今、人を呼ぶ」

女が合図を送ると、すぐに奥の部屋から人が入ってくる。
クリフは慌てて首を振った。

「ちょっと待ってくれ!やるとは言ってないが、やらないとも言ってないぞ」
「なるほど。して、どちらじゃ?」

くすくすと幹部の一人、リオネロが笑う。

「うちのドンナは、優柔不断な男がお好きでないよ」
「なっ」

顔に熱が集まった。
まるでからかうような眼差しのリオネロは、それ以上口を開く気配を見せず、長い睫が影を落とすと同時に視線を窓の外に投げる。

リオネロ同様にからかうような眼差しを向けてくる女は、答えはイエス以外ありえないという自信に溢れていた。

「や……る」

これだけの美女に、これだけ熱烈な眼差しを向けられて、断れる男なんているだろうか?
それに、クリフとしても今後のブラマンテに興味がある。

思春期の少年のように顔を赤く染め、クリフは深く項垂れるように頷いていた。





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