キートラ
〜4〜




紅葉が住むキートラの村から北上し、領地を隔て、ドドウの村の先に聳えるファーテルは大きな交易商の都市だった。

中央に走る大通りには露天商が所狭しとひしめきあい、ドドウの織物を始め、各地の名産品や食料品が集い、活気に満ちている。
商人達の豪華な屋敷が自身の富を誇り競い合いながら並び、大通りの先には、一際巨大な宮殿のような屋敷が聳えていた。

屋敷は領主・ジャルクスのものだ。

客室の前で足を止め、男は小さく息を吐く。
部屋のドアをノックしようとすると、それよりも早く、「入れ」と気のない声を掛けられる。

男はドアを潜ると、客室の主に軽く会釈を向けた。

『ラーレディル様、いつまでこちらに滞在なさるご予定ですか?』
『分からん』

窓枠に腰を掛けたままぼんやり夜空を見上げる青年は、男の知る限り常に隙のない印象を与えるが、今は心ここにあらずといった様子だ。
青年はグラスの中の果実酒を揺らし、視線を落とす。

男は考え込む青年の横顔に、遠慮がちに声を掛けた。

『しかし殿下、ウィンブルの娘を見付けられたのでは?そうであれば、早急に城に知らせを走らせるべきではございませんか』
『……だが、娘の髪色は黒ではなかった。イーブディ、お前は亜麻色の髪の娘が巫女を勤めたという話を聞いた事があるか?』
『ございません』

イーブディと呼ばれたは、視線を床に落とした。
青年・ラーレディルは結局グラスには口を付けず、グラスを置いてため息を漏らす。

『そこだ。あの娘には巫女の使う言葉が通じていたというのに、髪は黒ではなく、本人も自身が異世界から来たことを否定した』
『では、娘が巫女と関わりがあるとは考えられませぬか?』
『そうだな……』

言われるまでもなく可能性として考えていたかのように、ラーレディルは素っ気なく頷き返し、膝の上で頬杖を付く。

『そういえば俺の名を名乗り忘れたな。明日、もう一度行ってくるとしよう』

最後は口元に笑みを浮かべ……。
瞳に光が宿る。

ラーレディルは、グラスの果実酒を一気に飲み干した。

空には欠けた月が青白い光で辺りを照らし出す。

月は信仰の対象だ。
その光が神聖な力を宿すと言う者もあれば、魔性の力を宿すと言う者もある。

夜が明ける前に、ラーレディルはファーテルを出た。

ファーテルからキートラは、一般的な騎獣で半日程掛かる距離にある。
ラーレディルの騎獣は足が速い種だが、キートラの村に辿り着く頃にはすっかり太陽が顔を出し、人々の生活が本格的に始まっていた。

キートラの村は、ファーテル領に隣接するコーヴェラ領内の辺境にある小さな村だ。
これといった特徴もない為に来訪者も滅多になく、宿すらない。

村の入り口に辿り着くと、村人達が突然の来訪者に畏怖の眼差しを向けてきた。
井戸で水汲みをしていた女達が慌てて家に駆け戻り、窓を閉ざす音が次々と聞こえてくる。

『また税の取立てか?』
『冗談じゃない、もう出せるものはないぞ』

ひそひそと囁く男達の声に目を向けると、慌てて顔を逸らされる。
ラーレディルは構わず、騎獣から降りて男達に歩み寄った。

『訊ねたいのだが、セトゥナという名の娘がこの村にいるな?何処にいる』
『セトゥナですか?セトゥナってのは……スーじいさんとこの娘じゃなかったか?確か、去年殺されたってじいさんが騒いで――』

一人が首を傾げると、隣の男が慌てて男を肘で小突く。
ラーレディルは眉を顰めた。

『その話は本当か?』
『いえいえ、こいつの勘違いです。セトゥナなら、村の奥のあの小さな家に居ます。ご案内致しましょうか?』

何かを誤魔化すようにへつらう男に、ラーレディルは考え込むように顎に手を当てる。
詳しく話を聞きたいが、とても口を割りそうな雰囲気ではない。

ラーレディルは男の申し出を断ると、銀貨を握らせて村の奥へと足を向けた。

古い家が建ち並び、村の中央には井戸がひとつ。
汲み掛けの桶が置かれたままの井戸を通り過ぎると、強い視線に晒される。

ラーレディルは横目で周囲を見渡した。
窓の影から、村人達がこちらを伺うように覗いている。

(随分と閉鎖的な村だ。先程のものは村人の視線か?はたまたウィンブルか……)

『セトゥナ!何をしている、家の中に入りなさい、早く!』

ラーレディルの考えを遮るように、年老いた男の声が響く。
そちらへと視線を向けたラーレディルは、村の女達が隠れる中、呑気に庭で洗濯物を干す娘の姿を見付けた。

少女は老人に手を引かれ、不思議そうな顔をしている。
村人が何に怯えているのかは知らないが、一人全く状況が分かっていない様子だ。

纏う雰囲気が村人に馴染んでいない。
格好が垢抜けているわけではないが、村どころかこの世界から浮いたような、何処か不思議な雰囲気を纏っている。

『「おはよう、と挨拶するのがあちらの礼儀だったと思うが、あっているか?」』

ラーレディルは少女に向けて声を掛けた。
少女が驚いたように振り返る。

『「私を覚えているか、セトゥナ」』
「……」

紅葉は困惑した面持ちを浮かべると、ラーレディルから逃れるように顔を俯かせ、小さく頷き返した。
その隣で、青褪めたスーが言葉を失くしている。

『そなたがこの娘を養っているのか?俺の名はラーレ=ディル・エルイディアと言う』
『!』

スーは目を見開き、その場に崩れるように尻餅を付いた。

驚いた紅葉が慌ててその隣にしゃがみ込み、スーの顔を覗きこむと、スーは紅葉の手を掴んだ。
痛いほどの力で紅葉の手を締め付けるスーの手が小刻みに震えていることに気付くと、紅葉は困惑する。

そして、スーは紅葉を隠すようにしながら首を横に振った。

『こっ、この娘はただの娘です。どうか、私から娘を取り上げないでください!』
『……』

ラーレディルは眉を顰めたまま、怯える老人の姿にため息を漏らす。
すると、紅葉がスーの手を握り返しながら、ラーレディルの顔を見上げた。

その顔は不安気でありながら、老人を虐めるなと言いたげな怒りが滲んでいる。

『「まるで私は悪者だな」』

ため息交じりに告げると、紅葉がラーレディルから顔を逸らす。

『「話をしに来ただけだ、そう構えるな」。スーと言ったな、娘と少々話をしたい。暗くなる前には家に送り届ける、いいな?』

有無を言わせず、ラーレディルは紅葉の手を掴み引き寄せると、騎獣の背中へと引き摺り上げる。

『セトゥナ!おやめください、セトゥナを返してくだされ!』
『っ、暗くなる前には帰すと言っているだろう。話の分からんやつだな、手を離せ』

紅葉に追い縋ろうとするスーに、ラーレディルは苛立った面持ちで返す。
必死な形相で追い縋るスーに、紅葉も不安になり手を伸ばそうとした。

スーがその手を掴もうとした瞬間、その前に別の影が割り込み、行く手を阻む。
像のような皮膚をした騎獣に跨る長身の男が素早く騎獣から降りるなり、スーの腕を掴み引き止める。

『遅いぞ、イーブディ』
『申し訳ありません!』
『その老人を宥めておけ、丁重にな』

ラーレディルはイーブディに早口に命じると、騎獣に手綱を打ち付けて森へと走り出す。

『セトゥナ!』

スーが今生の別れであるかのように、青褪めて叫ぶ。
走り出した騎獣の上で振り返る紅葉に、ラーレディルはばつが悪そうに息を吐いた。

『「あの老人に危害を加えるつもりはない、お前にもだ。何故そこまで警戒するのか不思議なくらいだ」』
「……」
『「私はウィンブルが異界から連れ帰った娘を捜している。知っているならば情報が欲しい。礼はいくらでもする」』
「……」

腰の鈴が、騎獣に揺られて音を立てる。
森の木々が紅葉の視界から村を消しても、紅葉は村のある方をいつまでもじっと見詰めていた。

草を踏み倒し、地面を蹴る足音、小鳥のさえずり、木々のざわめき。
ラーレディルの腰の剣が立てる金属音――後は会話もなく、ただお互いに居心地の悪さを感じている。

昨日の泉に入ると、ラーレディルは騎獣から降り、紅葉へと手を差し伸べた。
紅葉は少しの間迷い、その手を取って地に足を付くと、腰の鈴が音を立てた。

鈴は喋ることが出来ない紅葉の為にと、スーが買ってきてくれたものだ。

青褪めたスーの顔が頭から離れない為、一刻も早く戻りたいのだが、彼に話を聞きたいという気持ちも大きい。
その反面、昨日会ったウィンブルを裏切っているようで心苦しい。

紅葉は騎獣から下りると、きょろきょろと周囲を見渡した。

泉を囲む木々に歩み寄ると、手頃な高さの木から小枝を拝借し、地面にしゃがみ込む。
カリカリと音を立て、紅葉が小枝で地面に文字を書いていると、後ろからラーレディルが覗き込んできた。

『「捜す理由か……か。簡単なことだ。ウィンブルが契約を交わした娘は、ウィンブルの力の一部を与えられることになる。ウィンブルについて、どれくらい知っている?」』

紅葉は首を横に振る。
ラーレディルは近くの岩に腰を下ろすと、腕を組んだ。

『「ウィンブルの力は主に三つ。過去や未来を見る力と、放った言葉を現実にする言霊の力、そして化ける力だ」』
「……」
『「そういった力をひとつ、契約時に娘に与える。そして異界の娘からも代償として視力や言葉を奪う。それがウィンブルだ。どういう訳か、奴等はその行為に誇りを持っている。与える力が重要なものであればあるほど、奴等にとって名誉な事になるらしい」』

単語に何度か詰まりながら、ラーレディルは説明を果たす。
話を終えると、「私の言葉は間違っていないか?」と訊ねてくるので、紅葉はこくりと頷き返した。

すると、ラーレディルは泉に視線を向けて目を細める。
なんとなくラーレディルの視線を追った紅葉は、再びラーレディルの顔に視線を戻した。

ラーレディルの髪色が物珍しい。
染めた物ではないと一目で分かる、天然の美しい青藍色をした髪。

力強さを感じる曇りのない瞳は、獰猛さと気品のようなものが共存する、ターコイズブルー。
鼻筋が通り、形の良い眉が鋭い瞳を引き立てる、凛とした表情がよく似合う青年だ。

『「ウィンブルと契約を交わした異界の娘の力は、国にとって役立つ。過去に何度も契約を交わした娘が国に保護され、巫女として大切に扱われたてきた」』

紅葉はゆっくりと瞬きをしながら、ラーレディルの言葉に黙って耳を傾けた。

最初は恐ろしく横暴な人物に思えたが、話をする彼は紳士的な様子だ。
自信に満ち溢れながらも驕れる様子もなく、隙もない。

紅葉は彼に質問を投げ掛けようか迷っていると、ラーレディルの方が気付き、「なんだ?」と問い掛けてくる。

紅葉は先程書いた文字を手で消すと、何故ラーレディルが自分の知る言葉を話す事ができるのかと問い掛けてみた。

『「国政に携わる一部の者は巫女の世界の言葉を勉強している。正直な所、私は無理やり教え込まれたクチで、一生使うことなく終わると思っていたが」』

小さく苦笑を浮かべるラーレディルを、紅葉は目を瞬かせて見上げる。

「役にたったようだ」と、呟くように漏らすラーレディルの声が、溶け込むように穏やかで優しく沁み込む。

紅葉は応えるように微笑みを漏らした。
声はない、だがまるで、彼女が声を出して笑っているかのように周囲の木々がさわさわと涼しげな音を立てる。

紅葉は掌で地面の文字を消すと、再びカリカリと地面に文字を刻んだ。

"私は、言葉が通じる人がいてくれて嬉しかったです"

ラーレディルは暫し無言でその文字を見下ろしていたが、長々とため息を漏らし、岩から腰を上げる。
ラーレディルは紅葉の隣に片膝をついて座ると、詰め寄るように問い掛けた。

『「ならば何故、そなたは昨日、私に嘘を付いた?」』

息を呑み、紅葉は真っ直ぐと瞳を覗きこんでくるラーレディルから目を逸らした。
木の枝が手の中で揺れる。

暫くすると、紅葉は木の枝を地面に立てて手を動かした。

"あの子が敵には思えなかったから"

そう書いた直後、紅葉は最後の文字を消し、「思えないから」と書き直して、相手を伺うようにちらりと見上げる。
ラーレディルは、見るからに不満気な面持ちをしていた。

『「つまり獣は信じられて、私は信じられないということか」』

紅葉は慌てて首を横に振る。

彼が自分を見ながらそう告げたのならば、怯えていただろう。
だが、顔を背けた何処となく拗ねたような態度が紅葉を安心させる。

紅葉は肩から力を抜き、瞼を伏せて視線を地面に落とした。

"ここに来て私は、生きる方法が何もかも分からなくて凄く怖かったんです"

まだ、こちらの世界に来てそう長い時間は経っていない。
だが目まぐるしい毎日はとても時間の流れを短く感じさせ、右も左も分からずにいたあの頃が遠い昔のように思えてくる。

"スーおじさんもそうですけど、あの子は森に入るといつの間にか傍にいてくれて、何が食べられるものかとか、何処に食べられるものがなっているかとか、教えてくれました。動物に襲われそうになったり、迷子になりそうになったときも助けてくれたんです"

「あの子が人の言葉を話せることを知ったのは、昨日が始めてだけど」と、紅葉は書き加えた。

『「ウィンブルが契約した娘の手助けをするのはよくあることだ。そもそも、あの獣がお前をこちらの世界に連れてきたのだ、恨みはすれど、感謝する必要などない」』

ラーレディルは強い口調ではっきりと紅葉の言葉を否定する。
薄々感じてはいたが、彼がウィンブルをあまり良くは思っていないのだと、紅葉は確信した。

すると、ラーレディルは思い付いたように提案した。

『「元の世界に戻りたくはないか?私なら、その方法を見付けてやれるかもしれないぞ」』





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