キートラ
〜11〜




『待て、ふざけやがって!殺してやる!!』

剣を抜き、男が怒鳴りながら追い掛けて来る。
一瞬でも彼を笑っていた紅葉は、自分の浅はかな行動を恨みつつ、死に物狂いで続ける。

紅葉が別れ道に差し掛かろうとした瞬間、いつもの感覚が押し寄せた。

目の前に空、そして村に向けてゆっくりと落下する。
焦れながら、紅葉は瞬きを繰り返し、今から少しだけ先の未来へと辿り着く。

現在地から真っ直ぐ進んだ先の家の影に、男の仲間が待ち構えていた。
待ち構えていた男に足止めを受けた紅葉の背中を、追い掛けてきた男の剣が切り裂く。

(嫌っ!?)

紅葉はぎゅっと瞼を閉ざし、夢から覚めると同時、別れ道を迷いなく右に曲がった。

曲がり角を走り抜けた紅葉の後を追い掛けた来た男の上に、焼け落ちた屋根の一部が降り注ぐ。
男は落ちてきた木材の下敷きとなり、その場に倒れ込んだ。

全身で荒い呼吸を繰り返しながら、紅葉は遠巻きに倒れた男を見下ろした。

(し、死んでないよね?)

男の指がぴくりと動く。
紅葉は飛び上がると同時、自分でも驚くほどの速さでその場から逃げ出した。

(やっちゃった!ああ、それ以前に戻ったはいいけど、言葉も通じないんじゃどうしよう)

村の中を駆け回りながら、紅葉はクモークとバートの姿を捜していた。

(無事でいて)

再び右目を圧迫するような感覚が襲い、紅葉は闇の中から空へと投げ出される。
瞬きを繰り返す紅葉は、今まさにいる場所での出来事に遭遇した。

背後から、馬の蹄のような音がだんだんに近付いてくる。
振り返った瞬間、勢い良く何かで殴られる光景を見た。

目が覚めたか否かも分からぬまま、紅葉は咄嗟にその場から転がるように逃げ出す。
すると、耳元で重々しく風を切る音が霞め、紅葉のタナムを乱した。

「っ!」

地面に片手を付いたまま青褪め、紅葉は通り過ぎていく兵に声が出ないまま怒りを投げる。

(良く見ればさっきの人と違う!?)

騎獣が方向転換をしようとしていた。
紅葉は再び逃げ出しながら、何か使えそうなものはないかと周囲を見回す。

一軒の家を通り過ぎようとしたとき、ロープを見付けると、紅葉は後ろを気にしながら柱にロープを片方縛りつけ、ロープの端を持ったまま道の反対へと渡り隠れる。
騎獣が紅葉を追って迫った瞬間、紅葉は目を瞑りながら柱に括り付けたロープを引いた。

騎獣がロープに足を取られ、盛大に地面に転ぶ。
男は騎獣から振り下ろされ、受身も取れずに強かに背中を打ち付けると、立ち上がれずに地面の上で呻いていた。

(うわぁあぁ!どうしよう、またやっちゃった。動物さんごめんなさいっ!)

立ち上がるなり逃げていった騎獣の方に手を合わせる。

(それにしても私すごい!二人も倒してる。でも後何人いるのかな……)

その時、ひとつの足音が迫り、音を立てて止まった。
紅葉が振り返ると、村人が紅葉の足元に転がる男を見て青褪めている。

『お前がやったのか!なんてことをしてくれたんだ!お前が逃げさえしなければ、こんなことにはならなかったんだぞ!』

男の顔が炎に照らされ、みるみる赤く染まっていく。

言葉は分からないものの、何を言っているかは予想がついた。
自覚があるだけに、言葉の意味が分からなくて良かったと、紅葉はひっそり思う。

男はずかずかと紅葉に歩み寄り、紅葉の胸倉を掴み拳を振り上げる。

『お前のせいで俺の家は焼けたんだ!!』
『そりゃ違うよ』

突然、場違いなほどにのんびりとした声が割り込んできた。
殴られることを覚悟してぎゅっと目を閉じていた紅葉は、恐る恐る瞼を起こして割り込んできた声の主を見る。

蜜柑色の髪をした青年が、拳を振り上げた男の手を掴んだまま、薄く笑みを浮かべていた。

男はいぶかしむように、青年を下から上へと見上げる。
背はさほど高くはなく、着古された様子の服はサイズがあっていないように感じた。

『なんだお前……村の人間じゃないな?』
『それが?』

おかしなことを聞くとばかりに、青年は肩を竦めて訊ね返す。

『だったら口出しするな!』
『おっと、怖い怖い』

ターゲットを変えて、男は青年に殴り掛かった。
それを軽々とかわしながら、青年はきょとんとした面持ちでそのやり取りを見ていた紅葉にウインクを送ってくる。

(だ、誰?知り合いのわけないし……)

考えた末、紅葉はその場から逃げだした。

(村を襲っている人達でもなさそうだけど、やっぱりお礼くらい伝えた方がよかったのよね。ああもう、私って――)

走り出した紅葉に、再び"夢"が襲う。
紅葉は自責を中断し、襲い来る感覚に意識を集中させた。

瞬きを繰り返した紅葉の頭上に、ネットのようなものが降り注ぐ。

(これは、えっと……夢?場所は――)

先程走っていた場所とそう変わらないと気付いた紅葉は、夢から覚めると同時に弾かれたように足を止めた。

途端に頭上に影が掛かり、紅葉の目の前にネットが重い音を立てて降り注ぐ。
顔を上げた紅葉の視界に、まだ燃えていない家の屋根に乗り待ち構えていた兵達が、しくじったと言いたげな顔で紅葉を見下ろしている姿が飛び込む。

前を向いたまま数歩後ずさった紅葉は、小石に躓き、臀部から地面に倒れた。

後ろから追い掛けて来た騎獣隊が、地面に座り込む紅葉を手際よくぐるりと囲む。
もはや逃げ出す手立てもなかった。

周囲を見渡した紅葉は、これ以上は無意味だと悟り、諦めて両手を軽く上げた。
降参の意味が通じるか不安ではあったが、無事に通じたらしく、男達は武器を下げて紅葉の腕を掴む。

「っ……」

その瞬間、紅葉は再び夢の世界に投げ出される。
今度は一気に場面が変わっていた。

先程見ていた村が舞台の夢から突如、紅葉は何処かの豪華な建物の中にいた。
多分、紅葉の体が何処かに寝ている状態なのだろう、椅子に座る男ともう一人の男が部屋の中に立っている。

立っているのは以前見た夢に出てきた獣車の男で、椅子に座る男はまだ若く、孔雀のような藍青色の髪をしていた。
青い髪の男は落ち着いた優しい雰囲気を纏い、穏やかな笑みと共に紅葉へと横顔を向ける。

紅葉は息を呑み、目を見開いた。

(ラーレディルさん?でも少し今と違うような……)

ラーレディルのような青年は、紅葉に何か話し掛けながら、紅葉の体を起こして微笑む。
それは、プレゼントを貰った子供の無垢な笑みに似ていた。

(これは……私が諦めたから起こる未来だわ)

夢の内容はともかくとして、諦めてしまったことを悔しく感じる。
知らず知らずに唇を噛み締め、紅葉は深く項垂れるように俯いていた。

すると、蹄の音が近付いてくる。

『全く、女一人に何を手間取っている!』
『申し訳ありません』

頭上に声が降り注ぐ。
瞬きをして顔をあげた紅葉は、疲れた面持ちで男の顔を見た。

兵とも違う、獣車の男ほど良い身形ではない。
だが、おそらく獣車の男の近くに仕えているのだろうと想像するに足る装いをした男だった。

『時間がないぞ、早く連れて来い』

男が部下に目配せを送ると、紅葉は男達に手を取られ、腰の後ろで両手を一括りに縛られる。

そのまま村の入り口の方へと連れて行かれると、紅葉ははっとした反面、やはりという思いで停まっている獣車を見た。
その前には、腰の後ろで腕を組む、派手な男がいる。

(さっきも夢に出てきた人だ。でもやっぱり、一番最初に見た夢とちょっと違ってる……ってことは、少しでも未来が変わったってことだ)

いい方に変わったとは言い難かった。
村へと振り返ると火の手は更に広がり、村人達は逃げ惑い、ある者は家の前で崩れ落ちるように泣いている。

『お待たせいたしました、エフルク様』
『おお、ご苦労ご苦労。この娘が巫女か?随分薄汚れているな。本当に巫女なのか?』
『はい、セトゥナという娘は言葉を発することが出来ないという村人の証言と一致しております』

紅葉は自分を見下ろす男を見上げ、ふいっと顔を背けた。

『随分と可愛げのない娘。殿下の機嫌を害するような真似だけは勘弁願いたいな』

男が、自分に対して鼻で笑った事は確かだ。
舌でも出してやろうかと思いながら、結局はただ男から顔を逸らす。

紅葉は獣車に乗せられると、この地に来て初めて、いつも通っている森とは逆方向にある村の入り口から村を出た。

蹄の音に、車輪が回り砂を踏む音、小石を踏んだ振動で軋んだ音を立てる獣車。
先程の若い男が獣の背中に鞭を打つ。
獣の嘶きと共に、数頭の騎獣の足が力強く大地を蹴り始める。

紅葉の不安と静かな怒りともに、獣車は草原の中の一本道を風のように走り出した。



『あーあ、捕まっちゃった』

背の高い木の上から、蜜柑色の髪をした青年は呑気としか思えない口調で一人ごちる。

沈火に追われる村に振り返ると、その中央を隠れる様子もなく、堂々と歩いてくる白い獣がいた。
炎に照らし出されて赤く染まる白い毛皮と、本来獣が恐れる炎にさえ物怖じせずに歩くその姿は何処か神聖なものを感じさせるが、消火に追われる村人はその存在に全く気付いていない。

(うわっ、ウィンブルだ。本当に綺麗だな……金持ちが毛皮を欲しがっただけはある)

だが次の瞬間、高みの見物を決め込んでいた青年は顔に浮かべていた笑みを僅かに引き攣らせた。

ウィンブルがゆっくりと、視線を木の上に隠れる自分へと向けてきたのだ。
顔もはっきりと分からないほどの距離があるにも関わらず、目が合ったということだけははっきりと理解出来た。

ウィンブルは青年が隠れる木の前で足を止め、青年を見上げながら数回鼻を鳴らし、ふいっとそっぽを向いて行ってしまう。
何処か自分の主を思わせる尊大な態度が獣とは思えず、小憎らしくもある。

長い尾が踊っていた。
こうして近付けば、瞳まで主に似て目付きが悪いと、青年は心の中で密かに悪態を漏らす。

ウィンブルは木から離れると、大地を蹴り、獣車を追うように走り去っていく。

それでも獣の姿が完全に草原に隠れてしまうまで、青年はひたすら息を潜めていた。

昔、ウィンブルの毛皮は貴族の重宝され、現在では絶滅寸前の生き物だが、ウィンブル狩りに向かった狩人の多くは戻って来なかったと聞く。

(……ふぅ)

青年は気に凭れ、安堵のため息を漏らした。

敵と認識されて襲われたら堪らない。
青年は枝の上に立ち上がると、ふっと人懐っこい笑みに打算的なものを混ぜ込む。

(さてさて、獣はどういう制裁を下すのやら。ま、こっちは人間のやり方でやらせてもらうよ)

口笛を吹くと、青年が立つ枝よりも更に高い位置からくちばしの長い大きな鳥が飛び立つ。
鳥は木の上をぐるりと旋回すると、高度を落としてくる。
青年はすれ違い様に手綱を取りその背中に飛び乗ると、青い空に向けて飛び立った。



その頃、キートラから遠く離れた空を、大柄な鳥が群れを成して飛んでいた。
空を飛ぶ鳥の群れはその足に大きな箱を吊るしながら、統率の取れた動きで空を進む。

鳥達が抱える白塗りの箱には金の装飾が施され、全体的に丸みを帯びた柔らかな印象を受ける。
よく見れば窓が取り付けられており、中には4人ほどが余裕をもって掛けられる個室となっていた。

箱を抱えて飛ぶ鳥の周りを、別の鳥達にそれぞれ跨っている兵士が、警護している。

だが、中に乗る者は対極だ。
終始和やかに微笑みを浮か、外の景色を楽しんでいる。

『ふふ、早く着かないかな』

青年は嬉しそうに微笑みを漏らす。
その隣に座る少年は青年の笑みに耳を傾け、外見の割には何処となく落ち着いた雰囲気のある微笑みを浮かべて声を掛けた。

『楽しそうですね、兄上』
『それはもちろん楽しいさ。巫女というからにはさぞかし神聖な女性なんだろうね。とても楽しみだ』
『兄上にはアンレリーズ殿がいらっしゃるでしょうに。アンレリーズ殿がお気の毒ですよ』
『何を言ってるんだい、エーク。私はいつだってアンレリーズを一番に愛しているから問題ないのさ』

青年は幸福の絶頂であるように、悪意なく告げる。

鳥が羽音が空に響かせた。
兄弟を乗せた鳥籠はコーヴェラを目指し、優雅に空を飛ぶ。





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