「遠征ご苦労であった。ジュールの者が関わったとの報告もあり、悪意に満ちた噂を流すものもいるが、私は王妃は一切関わりのないことだと断言する。死者もなく乱を治めた功績、多大に評価したい」
は王座に座るアレックスを見上げ、違和感を覚えた。
言葉にすることの出来ない、僅かな違和感
「騎士団は、今宵はゆっくりと体を休めて欲しい。今後も諸君等の活躍に期待する」
謁見の間を後にして、は後ろのミゲルとルナマリアに声を掛けた。
「2人もご苦労様。誰かと交代して、ゆっくり休んでくれて構わない」
「あたしはまだまだ平気ですよ」
「心強いな。けどこの先、何が起こるか分からない。休めるときに休んでおけ」
ルナマリアにミゲルが言い添える。
が小さく笑みを浮べ、ミゲルの言葉に頷いた。
部屋へと続く廊下を歩くに気付き、官が道を開ける。
「民には英雄扱いされているが、報告書は読んだか?」
「あぁ、妃殿下がジュールの者を手引きしたんじゃないのか?」
官は達がすれ違うと、ひそひそと言葉を交わした。
ルナマリアが肩を揺らし、ゆっくりと振り返るミゲル
そして、ミゲルが官たちを睨み付ける。
「お前達・・・」
「言わせておけ」
が足を止め、振り返りもせずに告げた。
「やましいことなど何もない」
―未来の天秤―
久々に自室に戻ると、は鏡の前に立った。
結い上げた髪をばさりと解くと、長い黒髪が背中に零れ落ちる。
は自分の剣をベッドに立て掛けて置いた。
バルコニーに出て、手摺の上で腕を組む。
その上に項垂れるように顎を乗せ、長い溜め息を漏らした。
「皆、心がバラバラだね・・・シン」
は胸元に掌を当てる。
バルコニーから見える、ミゲルが持ち帰った母の苗木
青々と育ったそれを見下していると、庭師の少年達が水を運んでくる姿が見える。
2人はの苗木に水を巻き、悪い葉を摘んで戻っていく。
小さくくすりと笑みを向けた。
「兄さん!」
シンは兄の姿を見付けると、不安そうだったその顔に笑顔を綻ばせて駆け寄った。
「シン、よく耐えてくれた」
広げられた腕の中に飛び込むと、涙が止まらなくなる。
兄の顔は、亡き母の生き写しだった。
大きな手で頭を撫でられると、ひとつのベッドでと3人で眠った時が遠く感じる。
「泣くな、男だろ」
そう告げるイザークの瞳にもまた、光るものが滲んでいた。
ラスティが安心したように苦笑を浮かべる。
「殿下、敵の指揮官を捕らえました」
「ああ、すぐ行く」
イザークはタッドとシホに呼ばれて振り返った。
シンが兄を見上げ、握り締めていた服から手を離す。
そして、遠慮がちに口を開いた。
「俺も、行ってもいい・・・?」
「ああ、当たり前だ。その前にラスティ、こいつの涙と鼻水を拭いてやれ」
「しょうがないですね、シン様は」
ラスティがくすくすと笑みを浮べ、ハンカチで涙と鼻水を拭う。
シンは不貞腐れた面持ちでラスティからハンカチを奪うと、自分で顔を拭い、小走りに先を行くイザークの後を追い掛けていく。
小さく笑みを浮かべると、ラスティは2人の後をゆっくりとした歩調で追い掛ける。
庭にはつい先刻までジュールの城を我が者顔で占拠していたザラの兵達が、縄で縛られ集められていた。
今まで牢に捉えられていたジュールの兵士や重役たちも解放され、庭は人に埋め尽くされている。
ジュールの者達からあがる歓声と怒号の中を躊躇いなく突き進み、イザークは彼等の前に立つと、後ろのシンへと道を開けた。
シンが困惑した面持ちでイザークの顔を見上げる。
「シン陛下」
「っ!」
畏まった面持ちでよそよそしく自分を呼ぶイザークに、シンがびくりと肩を強張らせた。
「彼等は我が国の平穏を血と支配に穢した野蛮なザラの兵です。彼等への処罰を」
「それは・・・俺より兄さんが」
「今、この場で王の権限を持つのはあなたです」
シンが息を呑む。
震える手を隠すようにぎゅっと握り締め、縋るように兄を見た。
「俺は王になるのは兄さんだと思ってる!だから俺、今すぐにでも兄さんにその権利を譲るつもりで・・・」
「駄目だ、俺にはまだやることがある。国内の混乱が治まった後、王の兵をお貸し頂きたい」
「まさか・・・兄さん!」
シンが目を見開く。
「ザラに攻め込むの?が居るのに?そんなことしたらが!」
「無論、を救い出すためにだ。そしてザラを滅ぼす」
一斉に、その場に歓声が沸きあがった。
その中で、シンは取り残されたように愕然とする。
この流れを止めなければならない気がした。
それを、言葉に出来ないもので繋がったと自分が望んでいるような予感がしたからだ。
だが、すでに人々の心は怒りに満たされ、戦いへと踏み出そうとしている。
今シンが与えられた王の権限を振りかざしたところで、誰も従わない。
何故なら、本物の王の資質を持つイザークがいるからだ。
「さあ、まずはこの者達への制裁を」
「首を落とし、ザラへ送り返してやりましょう!」
「ぅ・・・」
誰かがシンへと促した。
誰もが、彼等の首を落とすことを望んでいる。
無論、シンとてその1人
だが・・・
「か、彼等に危害を加えたことがザラ本国に知れれば・・・の立場が悪くなり、命の危険に晒される」
シンの言葉に、その場が静まり返った。
不服そうな者達や、納得したような視線が入り混じる。
シンはその先の言葉を続けることが恐くなった。
すると、代わりにイザークが口を開く。
「なるほど。こいつ等を殺した後も国に報告の文を送り続け、こいつ等が生きているように見せ掛け、こちらの進軍に気付かれぬようするということか」
「え?」
自分の考えと全く違う言葉に、シンが戸惑う。
だが、頷くことしか許されない雰囲気だった。
数名の兵が鞘から剣を抜き放つ。
命の終わりは一瞬
首が落とされ、血が飛び散る光景を、シンは一生忘れられないだろうと思った。
何より、こうして立ち尽くすことしか出来ない自分を忘れられないだろう・・・
部屋に戻ると、シンはその場にうずくまった。
ラスティが気遣うように声を掛ける。
すると、シンは脅えたようにラスティを見上げた。
「ラスティ・・・お前も?」
「・・・・・」
「お前も、ザラを滅ぼしたい?」
肩で大きく息をしながら見上げてくる赤い瞳に、ラスティは顔を曇らせる。
「ねぇ、俺が変なの?俺はもう戦いなんて嫌だ・・・恐い。また母さんやディアッカのように、誰かが死んじゃうのは嫌だ」
「シン様・・・」
「あの日俺達は、平和になることを喜んでたはずなのに――皆、そんなこと忘れてるんだ」
「ザラ国を滅せば、平和が来ると皆信じているんですよ・・・」
ラスティが穏やかな中に虚しさを秘めた声で呟く。
シンは何かを言い掛けて俯いた。
「皆、女王陛下を愛していました。ザラの卑劣な襲撃で失われた多くの命への遣り切れなさを、こうすることでしか慰めることが出来ない」
「・・・けど、こんなことしたって死んだ人は生き返らない。それに、ジュールの今の財源で大きな戦争なんて民の生活を圧迫するだけだ。俺・・・今の兄さんが少し恐い」
ラスティが深く息を吐く。
「陛下。俺はね、元々孤児だから親や兄弟を知らなかった。だから、仲の良いあなた方を見ているのが好きでした。だから、正直それを引き裂いたザラが憎い」
「俺だってザラは憎い!けど、復讐の為の戦争はしたくない。俺って結局、死んだ人より生きている人を先に考えてる・・・皆のことが大好きだと思ってたけど、俺って薄情なのかな・・・」
「そんなことはありませんよ。俺がもしあの時死んでいたら・・・」
ラスティは穏やかに薄い笑みを浮かべた。
「復讐の為の戦いなんて、して欲しくなかったと思うから」
頭を撫でるラスティ
シンは奥歯を噛み締める。
「俺も・・・多分そう思う」
「はい」
「も、きっと兄さんも――」
呟くシンに、ラスティは静かに深く・・・頷いた。
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あとがき
2008/5/23